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追放された遠征書記官は、勇者パーティの敗因を知りすぎている  作者: 黒猫
第一章 失敗を拾う者たち

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閑話 休みの日


 《灯火の羅針盤》と名乗るようになってから、三日ほど経った。


 その日は珍しく、迷宮に潜らない日だった。


 朝の南区は、依頼へ向かう探索者と、夜勤明けの荷運び人足が入り混じっていて、普段より少しだけ騒がしい。そんな通りを眺めながら朝食を取っていると、ミラが湯気の立つ椀を置いて言った。


「今日は買い物に行きましょう」

「買い物?」

 シエルが先に反応した。

「何の?」

「親睦会がてら、必要なものを見て回るの」

 ミラは当然みたいに言う。

「名前も決まったんだし、迷宮の中だけ整ってても仕方ないでしょ。外でも少しは隊らしくしておいた方がいいわ」

「親睦会と買い物が同列なんだ」

 ノアがぼそりと言う。

「同列よ」

 ミラは真顔で返した。

「隊として動くなら、そういう時間も必要」

「異論はない」

「ノアがすぐ乗るの珍しいね」

「革紐を替えたい」

「ぶれないなあ」

 シエルが笑う。


 そこでミラの視線が、すっと俺に向いた。


「レインも来るのよ」

「……俺もですか」

「あなたが一番必要」

「なぜ」

「その格好」


 即答だった。


 俺は思わず自分の上着を見下ろした。別に破れているわけじゃない。けれど色は少し褪せているし、袖口も擦れている。街を歩くぶんには困らないが、気を遣って選んだ服でもなかった。


「まだ着られます」

「着られるかどうかの話じゃないの」

 ミラは少し呆れたように言う。

「あなた、自分のことになると後回しにしすぎ」

「図星だね」

 シエルがにやっとした。

「うるさい」


 でも否定はしづらかった。


 記録紙やインク、保存用の油布や紐なら迷わず買う。必要だと分かっているからだ。だが、自分の服や靴となると、まだ使える、まだ大丈夫、と後へ回してきた覚えがある。


「仕事着みたいなのばっかりだと、休みの日まで休んだ気がしないし」

 シエルが言う。

「普段着と迷宮用を分けた方が長持ちもする」

 ノアまで続けた。


 三対一だった。


「……分かりました」

「よろしい」

 ミラが満足そうに頷いた。その表情が少し柔らかくて、俺はそれ以上何も言えなくなる。


 そうして俺たちは、南区の市場通りへ出た。


 石畳の両脇に並ぶのは、探索者向けの店と、働く人間向けの実用品の店ばかりだ。仕立て屋、革細工屋、魔道具店、小物屋、保存食の露店。通りのどこを歩いても、革と油と乾いた香草みたいな匂いが漂っていた。


 最初に入ったのは、派手な飾り気のない仕立て屋だった。


 吊るされた服は地味だが、布はしっかりしている。肩が動かしやすいように縫い目が工夫され、内ポケットの位置も考えられていた。迷宮に潜るための装備ではないが、働く人間の服としては信用できそうだった。


「レインはこれ」

 ミラが迷いなく一着抜いた。


 深い紺色の上着だった。厚すぎず、でも安っぽくもない。街で着ても浮かず、椅子に座って記録を取る時にも邪魔にならなさそうだった。


「似合いそう」

 シエルが覗き込む。

「地味すぎないし、ちゃんとして見える」

「それに、この色はレインによく似合う」

「……よく見てるんですね」

 思わず言うと、ミラが少しだけ眉を上げた。


「何その言い方」

「いえ、意外だなと」

「失礼ね。私だって服くらい見るわよ」

「かなり見てるよね」

 シエルが笑う。

「前に靴の革色だけで一週間くらい迷ってたし」

「シエル」

「事実でしょ?」

「……長く使うものだから、ちゃんと見てただけよ」


 そう言ってミラは少し視線を逸らした。その横顔が、妙に可笑しくて、少しだけ可愛かった。


 結局、俺はその上着と、灰白色のシャツを買うことになった。試着してみると、今まで着ていたものよりずっと軽い。布がちゃんと体に合っている感じがして、妙に落ち着かない。


「どう?」

 シエルが聞く。

「変じゃ、ないですか」

「変なわけないでしょ」

 ミラが言う。

「むしろ、なんで今までそうしなかったの」

「言いすぎだ」

 ノアが口を挟む。

「だが、俺もそう思う」

「ノアまで」


 三人とも少し楽しそうで、俺はため息をつきながらも、それ以上は言い返さなかった。


 ただ、店を出る時、ミラが俺の袖を軽くつまんだ。


「ほら」

「え」

「裾、少し曲がってる」


 そう言いながら、彼女は指先で布を整える。ほんの一瞬のことなのに、妙に近くて、俺は言葉を失った。


「……ありがとうございます」

「そのくらいで固まらないで」

 ミラは何でもない顔で言ったが、耳が少しだけ赤かった。

 シエルが隣で、にやにやしている。

「何ですか、その顔」

「別に?」


 店を出てしばらく歩いたところで、ふと懐の重みを思い出した。


 勇者遠征隊付きだった頃の報酬。追放されても、規定ぶんはきっちり支払われていた。大金ではないが、記録紙や宿代に使っても、まだ少し残っている。


 手元に残してはいた。だが、自分のために使う気にはなれなかった。


 あの場所で得た金は、俺にとってどこか借り物みたいだった。俺が受け取っていても、俺自身のために使っていいものには思えなかった。


 でも今日は、不思議と別の気持ちが湧いていた。


 市場通りの先、小さな魔道具店の前でシエルの足が止まる。


「気になる?」

 ミラが聞く。

「……ちょっとだけ」

 シエルは店先の棚を見たまま言った。


 並んでいるのは大仰な杖ではなく、小さな耳飾りや指輪、髪留め、首飾り。日常にも馴染む補助具ばかりだ。


 シエルの視線は、その中の一つに吸い寄せられていた。

 小さな銀の耳飾り。青灰色の石が雫みたいな形で下がっている。


 店主の老婆がそれに気づいて、棚からそっと取り上げた。


「水を扱うのかい?」

「……分かるんですか」

 シエルが目を丸くする。

「分かるさ。目の留まり方でね」


 老婆は耳飾りを手のひらに乗せた。


「既存の水を掴む時の精度を少しだけ上げる。派手なことは難しい。けど、薄く広げるとか、細く操るとか、そういうのはやりやすくなる」

「小細工をする分には十分ですね」

 俺が言うと、老婆は頷いた。

「そういうことさ」


 シエルはしばらく何も言わなかった。

 欲しいのだと分かった。でも、それを口にするのを少しためらっているのも分かった。


 金貨一枚。魔装具としては安くもないが、高すぎるほどでもない。

 ただ、今の俺たちにとっては少しだけ背伸びのいる値段だった。


「欲しかったんですね」

 俺が言うと、シエルは少しだけ肩を跳ねさせた。


「え」

「顔に出てます」

「そんなに?」

「ちょっとだけ」

 シエルは耳飾りを見たまま、小さく笑った。

「……欲しかったよ。こういうの、ちょっと憧れてた」


 その言い方が、妙に胸に残った。


 迷宮で使えるかどうか。役に立つかどうか。そういう基準だけじゃない、ただ欲しかったもの。そういうものを口にできるのは、たぶん悪いことじゃない。


「なら、買います」

 俺が言うと、今度は三人ともこっちを見た。


「レイン?」

 ミラが聞き返す。

「これ、俺が出します」

「え、いや、でも」

「《灯火の羅針盤》になった記念です」

 財布を取り出しながら言う。

「高いものは無理ですけど、これくらいなら。……今の仲間のために使うなら、たぶん一番いい」


 口にしてから、ようやく自分でも腑に落ちた。


 自分のためには使えなかった金でも、今の仲間と歩く今日のためなら使える。そう思えたことが、少しだけ嬉しかった。


 シエルは少し黙ってから、耳飾りを見て、それから俺を見た。


「……ありがとう」

 その声は、本当に嬉しそうだった。


 魔道具店を出たあと、シエルは鏡代わりに店の窓へ顔を寄せて、耳飾りをそっとつけてみせた。


「どうかな」

「似合ってる」

 俺が言うより先に、ミラが答えた。

「すごく」

「えへへ」

 シエルが笑って、くるりと一回だけ回る。

「レインはどう思う?」

「うん、似合ってる」

「やった。ありがと」


 振り返ったシエルの顔は、少し赤く見えた。

「じゃあ今日はこれで歩こっと」


 その素直さに、なんだか俺まで嬉しくなる。


 今度は革細工の露店でノアが立ち止まった。


 見ているのは、手袋の留め具と革帯、それに盾革の補強具ばかりだ。相変わらず実用品しか見ていない。


「自分で修理するんですね」

 俺が言うと、ノアは棚から視線を外さずに答えた。

「直せる方がいい」

「……ノアさんらしい」


 ノアの手が止まっていたのは、小さな鉄留めのついた厚手の革帯だった。盾の持ち手側にも、荷袋にも使えるらしい。地味だが、何度も見比べているあたり、欲しいのだろう。


「それ、気になってるんですよね」

「今すぐ必要ってほどじゃない」

「でも見てたじゃないですか」

「見ただけだ」

「じゃあ、見てたものを買います」

「勝手だな」

「たぶん今の俺、少し勝手です」


 そう言うと、ノアは一瞬だけ黙ったあと、小さく鼻を鳴らした。


「……好きにしろ」

 それは、断っていないのと同じだった。


「これも記念です」

 代金を払うと、ノアは受け取った革帯を指先で確かめる。

「無駄にはしない」

「ノアさんらしい返事ですね」

「お前が勝手だからだ」

 でも、その口調は少しだけ柔らかかった。


 最後に足を止めたのは、小物と装飾を扱う店先だった。


 ミラはさっきから、服そのものよりも留め具や髪紐、装飾の少ない革小物をよく見ていた。派手な色ではない。でも、ちゃんと似合うかどうかで選んでいるのが分かる。


 深緑の革紐の前で少し迷って、値札を見て手を止める。

 そのあともいくつか別の品を見て、結局最後に空色の組紐を手に取った。


「これにしようかな」


 そう言うミラの目線は、まだ深緑の革紐の方へ残っていた。


 そこで俺は、その深緑の革紐を手に取った。髪をまとめるためのものらしい。装飾はほとんどないが、留めの金具だけ少しだけ細工が入っている。


「ミラさん」

「何?」

「こっちの方が似合いそうです」


 差し出すと、ミラは一瞬だけきょとんとした。


「……私に?」

「はい。記念の最後です」

「最後って、何よその言い方」

「三人分そろえたかったので」

「ついでみたいに聞こえるんだけど」

 シエルが笑う。

「ついでではないです」

「そこはちゃんと否定するのね」


 ミラは少しだけ困った顔をしたあと、革紐を受け取った。


 指先で触れて、ほんのわずかに目を細める。


「……ありがと」

「そっちの方が似合ってて、可愛いです」

 俺が言うと、ミラはわずかに視線を逸らした。

「そういうの、急に言うのやめなさい」

「すみません」

「謝ることじゃない」

 シエルが楽しそうに言った。


 そのまま店を離れかけたところで、ミラがふっと立ち止まった。


「……ちょっと待って」


 そう言って、彼女は買ったばかりの革紐を袋から取り出した。


 慣れた手つきで髪をまとめ直す。深緑の紐が、明るい茶の髪に静かに馴染んだ。


 振り向いたミラと、目が合う。


「どう」


 たった二文字なのに、少しだけ緊張しているのが分かった。


 たぶん俺だけじゃない。シエルも、ノアも、一瞬だけ黙っていた。


「……似合ってます」

 最初に言えたのは、それだけだった。

「すごく」

 シエルがすぐに続ける。

「うん」

 ノアまで頷いた。


 ミラは一瞬だけ言葉に詰まって、それから前を向いた。


「そう」


 短い返事だった。でも、耳が赤い。


 俺の胸の奥が、少しだけ妙な速さで鳴った。


 買い物を終える頃には、昼の光が石畳にまっすぐ落ちていた。


 俺の腕には自分の服の包み。シエルの耳には小さな雫の耳飾り。ノアの手には新しい革帯。ミラの髪には、さっきの深緑の革紐が静かに馴染んでいる。


「じゃあ最後、ご飯食べに行こう」

 通りの先で、シエルがぱっと振り返る。

「買い物の締めはご飯でしょ」

「結局そこに戻るのね」

 ミラが笑う。

「否定はしない」

 ノアが言った。

「俺も異論はありません」

「よし、全会一致」


 三人の声を聞きながら、俺は歩調を合わせる。


 迷宮に潜るための装備だけじゃない。

 街で着る服も、日常で使う小物も、補助の魔道具も。

 そういうものまで含めて、これからの俺たちを形にしていくのだろう。


 それに、きっと大事なのは品物そのものだけじゃない。


 欲しいものを口にしていいこと。

 必要なものを選べること。

 そういう時間を、四人で持てること。


 その嬉しさを、まだうまく言葉にはできなかった。

 でもきっと、こういう日が増えていくのは悪くない。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


昨日は更新できず、申し訳ありませんでした。


これにて一章は終わりです。

次章からは、《灯火の羅針盤》が積み上げていく実績と信頼を書いていければと思います。


皆様が読んでくださり、応援してくださることが励みになっています。

引き続きよろしくお願いいたします。

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