第六話③ 灯火の羅針盤
名前が決まると、不思議なくらい足取りが変わった。
大げさに気分が高揚したわけじゃない。
でも、ただの四人組ではなくなった感覚がある。
同じ方向を向くための、輪郭だけが先に与えられたような感覚だった。
ギルドの受付へ戻ると、奥で書類をまとめていたギルドの記録係、ハロルドがこちらに気づいて歩いてきた。年配の男で、相変わらず眼鏡の奥の目が鋭い。
「決まったか」
「ええ」
ミラが答える。
「今後の報告を隊名付きで整理してほしいの。これからも四人で潜るつもりだから」
「隊名は?」
ハロルドが羽根ペンを構える。
ミラは一拍だけこちらを見た。
それから、はっきり言った。
「《灯火の羅針盤》」
「……いい名だ」
ハロルドは短くそう言って、書類へ筆を走らせた。
灯火の羅針盤。
紙の上に書かれたその文字を見た時、ようやく実感が追いついた気がした。
ハロルドは続けて、記録欄を確認する。
「隊長名」
「ミラ・ベルク」
「前衛」
「ノア・リース」
「支援魔術」
「シエル・アルマ」
「記録・補給・後方判断」
そこでミラが一度言葉を止めた。
「レイン・エルマー」
その一拍だけで、胸の奥が少しだけ強く打った。
もう仮じゃない。
ただ一緒に潜っているだけでもない。
この隊の役割として、名前と一緒に書かれる。
「これで今後の詳細報告は隊名と紐づけて保管できる」
ハロルドが言う。
「どこでどう動き、何を残したかが積み上がる。お前たち向きだろう」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
その時、受付の隅で依頼札を見ていた若い探索者二人組が、こそこそとこちらを気にしているのが見えた。年は十代後半くらいだろうか。まだ装備の革も硬そうだ。
やがて、そのうちの一人が恐る恐る近づいてきた。
「あの」
「何?」
シエルが柔らかく返す。
「旧灰鐘坑道の追記札……あれ、あなたたちが書いたって本当ですか」
「正確には、私たちが報告した内容が反映されたのよ」
ミラが答えた。
「それがどうかした?」
若い探索者は、少しだけ気まずそうに頭をかいた。
「俺たち、今朝あの依頼を受けるか迷ってたんです。でも追記札見て、投擲灯を買いに行って、それで手持ちが足りないって気づいて別の依頼にした」
「……」
「だから、その、たぶんですけど。何も知らずに行ってたら、ちょっと危なかったかもしれません」
その言葉に、俺は一瞬だけ返事を失った。
まだ迷宮に潜る前の段階だ。
戦ってもいない。
それでも記録は、もう誰かの判断を変えている。
ハロルドが横で低く言った。
「そういうことだ」
「……はい」
俺は小さく答えた。
若い探索者は、もう一度だけ頭を下げると、連れのところへ戻っていった。
その背中を見送りながら、俺は書類の上の隊名へもう一度目を落とす。
灯火の羅針盤。
ただ格好をつけるための名前じゃない。
暗い場所で、どちらへ進み、どう戻るかを忘れないための名前だ。
「レイン」
ミラが呼ぶ。
「はい」
「改めて言うわ」
彼女はまっすぐ俺を見た。
「これからも一緒に来て。仮じゃなくて、正式に」
「……はい」
「返事、短い」
シエルが笑う。
「いや、でも今のはちょっと仕方ないでしょ」
「そうだな」
ノアまで頷いた。
俺は一度だけ息を整えてから、言い直した。
「お願いします。僕も、これからは《灯火の羅針盤》の一員として動きます」
それでようやく、胸の中にあったものが綺麗に収まった気がした。
追放されて三日間、どこにも要らないと言われ続けた。
戦えない。守る余裕がない。荷物になる。
そうやって居場所を失った俺が、今は自分の名前が隊名の下に書かれている。
強くなったわけじゃない。
前に立てるようになったわけでもない。
でも、ここなら自分のやってきたことを、荷物じゃなく装備として持っていける。
ギルドを出ると、夕暮れが南区の石畳へ長く影を落としていた。
「じゃあ、記念に何か食べる?」
シエルが言う。
「食べ物基準だな」
ノアが呆れたように返す。
「でも賛成」
「あなたが一番乗り気じゃない」
ミラが笑う。
三人のやり取りを聞きながら、俺はほんの少しだけ後ろからその背を見た。
もう、追いかけるだけじゃない。
並んで進む側にいる。
灯火の羅針盤。
その名前は、たぶんこれから先、何度も試されるだろう。
でも今はまだ、それでいい。
暗い場所で進むための灯りと、戻るための方角。
その両方を忘れない隊として、俺たちはようやく最初の一歩を踏み出したのだから。




