第六話② 帰り方を指すもの
没案をいくつか出しても、さすがに食堂の卓ひとつで決まる話ではなかった。
朝食を終えたあと、俺たちはギルド裏手の石段へ移った。
荷車の出入り口に近いその場所は、表より少しだけ静かで、名前みたいな大事な話をするにはちょうどよかった。遠くで車輪が軋み、荷を運ぶ人足の声が時折聞こえてくる。けれど、掲示板の前ほど落ち着かないわけではない。
「じゃあ改めて」
ミラが言った。
「どういう名前にしたいか、で考えましょう」
名前そのものより、先に中身を決める。
たぶんその方が、俺たちらしい。
「私はね」
ミラは膝に肘を置き、少しだけ前を見た。
「強そうな名前じゃなくていいと思ってる」
「そうだな」
ノアが言う。
「何度も言うけど、私はもう強そうに見えるだけの部隊はいい」
その声音に、軽さはなかった。
「前の隊では、勝てるかどうかより勝てそうに見えるかの方が重かった。引くべき場面でも、崩れてるって言いづらかった。私はああいうのが嫌」
「……うん」
シエルが小さく頷く。
ミラは続けた。
「だから名前をつけるなら、虚勢じゃなくて、ちゃんと中身に追いつける名前がいい」
「中身、か」
ノアが腕を組む。
少し考えてから、彼も口を開いた。
「俺は、壊れないのがいい」
「壊れない?」
俺が聞くと、ノアは頷いた。
「連携でも、判断でも、気持ちでも。前にいた連中は、崩れる時は一気だった。強い弱いじゃなく、どこか一つが割れると、そのまま全部駄目になる」
「……分かる」
シエルが言う。
「私も、そういうの見たことある」
「だからせめて、崩れかけた時に戻せる隊がいい」
ノアはそこで一度言葉を切った。
「お前が言う崩れる筋を潰すって話、俺は嫌いじゃない」
その言い方は不器用だったが、十分に伝わった。
シエルは少しだけ考え込んでから、ぽつりと言った。
「私は、怖いって言っていい隊がいいな」
「怖い?」
ミラが聞き返す。
「うん。怖かったとか、痛かったとか、今のでちょっと遅れたとか、そういうの」
シエルは膝を抱えたまま続ける。
「強い人って、たまにそういうのを言わなくなるでしょ。でも言えなくなると、どこで無理してるか分からなくなる」
「だから反省を毎回やりたいって言ったのか」
ノアが言う。
「そう」
「理にかなってる」
ミラも頷いた。
「言えない失敗は、次でも言えないものね」
三人の言葉が、一つずつ積み上がっていく。
虚勢じゃない。
壊れない。
怖いと言える。
そのどれもが、ただ格好いい隊名よりずっと大事だった。
「レインは?」
ミラが聞いた。
俺はすぐには答えられなかった。
考えていないわけじゃない。
むしろずっと考えていた。
ただ、それを言葉にすると、少しだけ怖かった。
「……僕は」
口にした声は、思ったより静かだった。
「勝ち方より、帰り方を忘れない名前がいいです」
「帰り方」
シエルが繰り返す。
「迷宮って、入る時より出る時の方が危ないことが多いんです。勝てるかどうかより、帰れるかどうかの方が先にある。なのに、多くの隊は勝ち筋ばかり覚えて、帰り方を軽く見る」
「だから、黒冠もそういう相手を食う」
ミラが低く言った。
俺は頷く。
「一つの灯りでも、戻る方向が分かれば人は落ち着きます。逆に、強くても方角を失うと崩れる」
「灯り、か」
ノアが呟いた。
「方向、ね」
シエルも続ける。
そこで少しだけ沈黙が落ちた。
荷車の軋む音。遠くの呼び声。朝の冷たい風。
その全部の中で、言葉だけがゆっくり形を取り始める。
「灯りと……方向」
ミラが考えるように言う。
「道標、は少し硬いわね」
「帰灯?」
シエルが首を傾げる。
「ちょっと綺麗すぎる」
「羅針盤は?」
ノアがぽつりと言った。
三人が一斉にノアを見る。
「……何だ」
「いや、そういうの言うんだって」
シエルが少し笑う。
「悪いか」
「悪くない」
羅針盤。
その言葉は、胸の奥へまっすぐ落ちた。
方角を失わないためのもの。
暗い場所で、どちらへ進み、どう戻るかを決めるもの。
「灯りと羅針盤」
ミラがゆっくり口にする。
「悪くないわね」
「むしろかなりいい」
シエルが言う。
「灯火の……羅針盤?」
「灯火の羅針盤」
俺は小さく繰り返した。
言葉にした瞬間、不思議なくらいしっくりきた。
ただ明るいだけの灯りじゃない。
ただ指すだけの羅針盤じゃない。
暗い場所で、進み方と戻り方の両方を失わないための名前。
「それ」
ミラが言った。
「私、好きよ」
「俺も異論なし」
ノアが頷く。
「いいんじゃない?」
シエルも笑った。
三人の視線が、最後に俺へ向く。
「……僕も、それがいいと思います」
言った瞬間、何かが少しだけ定まった気がした。




