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冬の森の死体安置所  作者: 山田太朗
第七幕 デイドリーム・ビリーバー
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6.通訳

 イヴェルナが足を組み替えると、傍に置いていた蝋燭がかすかに揺らいだ。誰も話そうとしないが、礼拝堂に流れる空気は緩むどころか、より張り詰めてゆく――そんな感覚がイルミナを支配した。


「こういう依頼だってあるのよ」


 そう、感情を一切残さない声で呟いたイヴェルナの言葉が脳裏によぎる。彼女の正体を知ったのは此度の依頼だったが、イルミナは特に驚きもなく受け止めた。イヴェルナ・バストラという人間の底の見えなさは、初対面時から感じていたからかもしれない。

 間諜にしたってそうだ。多少とはいえ世界の裏側を見てきたと自負していたし、常人が鼻で笑うようなゴシップが真実だったこともイルミナは知っていたから。そんな時は決まっていつかの『埋葬』後に、実の妹と添い遂げるため自死した悲しげに笑う貴族の顔を思い出す。その残像を頭を振って追いやるのと、ジョンが一歩を踏み出したのが同時だった。


「なぁ、イヴェルナ。ぼくは何故殺されなければいけなかったのか教えてくれないか?」


 問われたイヴェルナは今度はファーストネームで呼ばれたことを咎めず、珍しくちょっとだけ眉を寄せて思案しているようだった。

「死にゆくものにそれくらいの慈悲を与えても神は――ああ君たちにとっては御父様だったな。ともかく、罰は落とさないと推測するが……」

 ジョンが言い終わる前にイヴェルナが煙管で長椅子を叩いた。金属特有の甲高い音が礼拝堂に響いて、ジョンもイルミナも肩を竦ませる。それは、まるで彼の失言を咎めるかのような音だった。いつの間にか無表情に戻った彼女の瞳の奥が何かを帯びたのをイルミナは見逃さない――それも一瞬で、かすかな笑みをたたえ、立ち上がるとジョンの元へと歩み出す。ドレスの薄青が冷たく光り、右手に持った煙管までもが青く見えた。

「イヴェルナさん、危ないです」それだけを絞り出したイルミナを、彼女はまるで珍しい生物を見るように一瞥した。「フォートナーさん、先ほど説明した通りです。暴力だけはおやめください」

「分かってます」イルミナに視線をやることもせず、こちらもいつの間にか無表情になって繰り返した。「分かっていますとも」

 わずか一フィートの距離で二人は対峙した。どちらにも表情はないが、ジョンがわずかにたじろいだ。イヴェルナは薄笑いを浮かべてそんな彼を見詰める。

「イルミナ、ちょっとこれ持っておいて」

 そう言って、彼女は煙管をイルミナに向ける。

「なんであたしが」

「この前言ったでしょ、私は貴女の上司よ。ほら、早く。高いから傷つけないで頂戴ね」

 渋々ながら思いの外ずっしりとしている煙管を受け取りつつ、イルミナは少しだけ安堵していた。いつもの彼女に見えたからだ。

「理由……と言ったのかしら?」

 ジョンが頷く。

「教える義理なんてないんだけれど、貴方が安らかに旅路を行けるようだものね」

 ジョンが頷く。

「いいわ、教えてあげる。貴方が股肱(ここう)(たの)んだ部下に殺された理由、それはね」

 ジョンが、真剣な表情で頷く。


「特にないわ」


「は?」

 そう声を上げたのはジョンではなくイルミナだった。

「イルミナ、早く通訳してあげなさいな。貴方が死んだ理由はたまたまこの国に潜伏していて、たまたま私たちの目に留まったからだって」イヴェルナは今日の天気を話すかのように言葉を紡ぐ。「強いて言うならば、運が悪かっただけよ。両国を結ぶ線が緩んでいたのを張り詰めさせるには一番手っ取り早く、そして確実な方法」


 どこまでも平坦に。


「間諜なんてそんなものだって貴方も理解していたはずよ、いつか使い捨てられる覚悟くらいしていたでしょう?」


 だからこそ簡潔に。


「両国の間諜に緊張を与えるためだから犬死にではないわね。国のために死ねたのよ。満足でしょう?」


 あくまでも残酷だった。


 イヴェルナが息をつくと、イルミナが手にしていた蝋燭がかすかに揺らいだ。彼女は呼吸をしている。彼女は生きている。まるで脳面のような無表情で。

「…………ふざけるな」

 拳を握りしめ、(うつむ)き震える死者。イルミナからは見えないが、怒りを滲ませているのが容易に想像できた。彼の方が、死者の方がまるで生きているよう。


「ふざけてなんかないわ。これが世界だって学んで来なかったのかしら?」

 イヴェルナは挑発するように一歩を踏み出した。二人の――彼我の差はもうなく、鼻先が触れるかのような距離だ。

「貴方が無能で良かったわ。あちらも躊躇(ちゅうちょ)せずに作戦を実行しただろうし。あら? そっちの方が良かったかもね。こんな地獄から早々と退場できたのだから」

 ジョンの右手がイヴェルナの肩を掴む。その手から立ち上る炎がイルミナにも見えた気がした。蝋燭に照らされたジョンの表情が見える。微笑んでいた。

「なるほどね」手を挙げてイヴェルナの肩を叩くが、それに力は入っていなかった。「噂には聞いていたが本当に優しいんだな」


「どういうことですか?」

 イルミナがようやく口にした。イヴェルナが顔を思い切り顰めて、肩に置かれたジョンの手を振り解いた。その表情はイルミナが知っているギルドマスターのものだった。

「彼女はこの儀式を早く終わらせたかったのですよ。ええと……」

「『埋葬』、と言います」

「そう、ぼくに暴力を振るわせて『埋葬』を切り上げるつもりだったのです」

 イルミナは眉を寄せることしかできない。ジョンがイヴェルナを見るが、彼女は首を振るだけだった。

「ぼくは間諜です。そして部下に殺された。しかも自国ではなく、この国で」

「……はぁ」

「報告書は読んだと思いますが、ぼくの死因は心臓発作です。もちろん、証拠を残すことなんてしませんよ。自然死と診断されたはず。そして間諜だとこの国に知られた理由は、ぼくの殺害犯――つまり部下が()()()()()()()()()書類たちからでした」

「ああ」

 イルミナにもようやく飲み込めてきた。これは両国間の綱引きなのだ。それも国家間ではなく、いわゆるスパイ組織間のもの。ジョンの遺体をわざとらしく我が領土で発見させ、こちらもわざとらしく間諜だと知らせる――それによって得をする者がいて、損をする者がいる。それはどちらの国にもいるのだろう。


「それらの炙り出しをしたかったから今回の『埋葬』を行ったのでしょう。しかしイヴェルナはそれを()としない。彼女にも何らかの思惑があるのでしょうね、いや、(しがらみ)と言った方がいいでしょうか」


 イルミナが振り返ると、いつの間にかイヴェルナは長椅子に深く腰掛けていた。イルミナが言語化不可能な表情をしている。無理にでも例えるならば、子供が拗ねたような顔、だろうか?

「ずいぶん調子良くペラ回してくれるじゃないの。それで風上に立ったつもりなの?」

「ぺら……?」

「あんたもうるさいわね。早く伝えなさいよ、そもそも仕事は通訳でしょ? 何サボってんの?」

「ですからぺらって何ですか? 名詞? それとも修飾語ですか?」

「そのまま伝えなさいよ! あんたは通訳なの、『私は通訳です』はい復唱」

「私は通訳です……」

「よろしい」

 釈然としないイルミナにジョンが微笑んだ。

「ああ、下町言葉ですよ。きちんと訳すのであれば『気持ちよく口上を述べている』でしょうか」

「……めちゃくちゃどうでもいい情報ですね」

 下町言葉と聞いて、以前宿泊した宿の女将の顔が浮かんでイルミナは顔を顰める。今日だけで何度こんな表情をしなければならないのだろうか。この後も続くであろうこの時間から逃れたくてザックを見やると、腕を組んで俯いていた。おそらく眠っているのだろう。いつも通りだった。


 そう、いつも通りの『埋葬』なのだ。


 だから通訳に専念すべきだ。もうジョンは暴力など使わないだろうし、それでいいのだ。

 しかし、一つ頷いたイルミナの表情は、次のジョンの言葉でまたもや曇ることになった。


「今回の『埋葬』その依頼人、つまりは今回の件を表に出したい人間は女王陛下ですね?」




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