5.間者
いつものようにザックが詠唱をし。
いつものように何かが遺体に付着し。
いつものように死者が起き上がり。
いつものように伸びをして。
そしていつもとは違い、彼はイヴェルナを認めると憎悪の炎を燃え上がらせ叫んだ。圧倒的な怒りは他者をすくみ上がらせるものだが、当のイヴェルナは揺らぎもしない。
「貴様、イヴェルナだな! 殺してやるぞ!」
「何を言っているか知らないけれど、あなたにファーストネームを呼ばれるほど親しくはないわよ」
イヴェルナはどこまでも優雅に足を組み、いつの間に手にしたのか煙管を咥えている。ジョン・フォートナーは怒りを全身に纏い、その揺らぎがイルミナにも見えた。ゆっくりと、しかし確実にイヴェルナに向かって歩む彼を見て、ようやくイルミナは自身の役割を思い出す。
「待ってください、フォートナーさん」
ジョンが初めて、自分とイヴェルナ以外がこの場にいると認めたように歩みを止めた。
「貴女は……ロッキンジー女史? そっちは……ノーガーくんですか」
それまでの怒りを忘れ、ジョンはぽかんとした――としか形容し得ない顔でイルミナたちを見つめる。イヴェルナは自身に殺意を向けた男がわずか十フィートばかりの距離にいるというのに、慌てる様子もなくどこから持ち出したのかマッチを擦って煙管に火をつけ、煙を吐き出している。
「ちょっと待ってくれ、ぼくは死んだはずでは……?」
見知った顔があったおかげか、ジョンは冷静さを取り戻したようだった。今や彼はイヴェルナを忘れ、自身の手のひらを確認し、地面を踏み締め置かれた状況に思考を巡らせている。
「説明いたします、ジョン・フォートナーさん。あなたは先日、急な心不全により死亡しました。ここは冬の森にある一角、一時的に蘇生させられたにすぎません。ここまではいいですね?」
「ああ。何となくだけど理解できています」
イヴェルナが「流石ね」と零して煙を吐き出した。その言葉に反応したジョンが睨みつけるが、それだけだった。どうやら彼も自身がどういう存在なのか理解してきたようだ、イルミナは一つ息を吐いた。イヴェルナが流石と言ったのは古代語だろう。
彼ら――『埋葬』された死者たちは何故か古代語しか解さないようになっている。ジョンは医者だけあっていくつかの言語に精通していたようだが、文献が遥か昔に失くなったとされる古代語だけは別だったはず。それなのに古代語だけしか使えないというのは、『埋葬』の縛りの一つのようなものだ。複雑怪奇な規則がいくつもある『埋葬』だったが、今回はもう一つだけ追加されている。イルミナはそこで長椅子に座り込んでいたザックの隣に置いてある呪書に目をやった。
今回の儀式で最重要の規則、それは「死者は決して生者を傷つけてはいけない」というもの。もちろん、ジョンが破れば即座に物言わぬ死体へと戻る手筈になっている。しかもザック曰く「死者を蘇生させる『埋葬』は一人につき一度だけしか行えない」とのこと。つまり、今回のイルミナは古代語の通訳だけではなく、ジョンがイヴェルナを傷つけないようにしないといけないのだ。
当のイヴェルナはと言えば、そんなイルミナたちの心情を理解していないのか、座った長椅子から動く気配すらない。ちらりと見ると足を組み替えたところだった。ムカつく。
「――と、言うわけで貴方は一時的に此岸へと戻っています」
「なるほど。ようやく理解しましたよ、この冬の森のことをね」
ジョンは自重気味に嗤うと、珍しげに礼拝堂を見渡し深く息を吐き出す(素振りをした。死者は呼吸をしていない)。報告書をすでに読んでいたイルミナには、彼の気持ちは痛いほど理解できた。だが、この冬の森にいる時点でどうしようもないのだ。ジョンはもう殺されている。
「……ここが瑕疵だったのか」
「イエスでもあり、ノーでもあるわね」とイヴェルナ。「確かにこの場が知られたら、女王陛下が矢面に立つことになるけれど、貴方の祖国でもこの事を知っている人間が何人かいるのよ」
「それは願ったりだ。現政権も世論に流され過ぎているからね。我が国家は左右どちらの風も吹いちゃいけないんだ。永世中立――その立場を貫くためだったらぼくは何でもやるつもりだったし、事実汚れ仕事だって何だってやってきた。だが、それを貴様が語るな」
「あら、随分と嫌われたものね。貴方たちとはとてもいい関係だと思っていたし、仲良くしてきたつもりだったけれど」
「貴様たちとズブズブになったのがそもそもの間違いだった。ぼくはそれを諌めてきたつもりだったが、この様さ」
「この場合はご愁傷様、でいいのかしらね?」
「好きにしろ。どうせぼくは……死体だ」
感情を面に出すジョンと、それを柳のように受け流すイヴェルナ。この場に新聞記者がいたら彼らの会話を聞き逃すまいとしていただろう。
ジョン・フォートナーという男は表向きは医療大学嘱託の医師、だが実際は海を隔てた隣国から送り込まれてきた間諜だった。そして最期は――自国のエージェントに逆にスパイ容疑を掛けられ殺害された。
彼の怒りも当然だろう。ジョンを直接手に掛けたのは同僚とも言える人間だったが、それを囁いたのは、悠然と座っているこの女。
ギルドを統括し、そして真の役割は国家諜報部門の統括者であるイヴェルナ・バストラだったのだから。
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