1.生命
「何故、あなたは生きているのですか?」
ゆっくりとした口調だった。
「何故、彼は生きているのですか?」
彼はザックを指差し、まるで子供に言い聞かせるように繰り返した。彼岸と此岸の違いなんて説明のしようがない。生きているか死んでいるかなんて、呼吸をしているかどうかだけみたいなものだから。
「では、呼吸をしている人間、あなたはそれを生きていると仮定していると言う事ですね?」
頷きかけたが、少し考えて首を振った。呼吸をしている――つまり生物学的には生きているだけで、死んでいるような人間だっているのではないかと思ったのだ。
「それだと目的がない人間は死んでいるという仮説になりうる。つまりあなたは目的を持っているから生きていると言えるんですね?」
それは違う。あたしには――イルミナにはそんな目的はないから。強いて言うなれば、イルミナが死んだら家族が悲しむだろう。そんな真似はしたくない。これを目的とするのであればそうだ。しかし、それでは彼の問いに答えていないも同然だった。
彼は、生きている意味をそして意義を問うているのだ。
生と死の狭間に存在している、この冬の森の死体安置所であれば解を得られると信じているのだ。
生物学というものの存在は知っている。人間だけではない、この世界に息づくありとあらゆる生命に関する学問だ。聞き齧りの知識だが人間を例にとると、頭の中にある脳という臓器に血液が循環しているからこそ、人は生きているという。実際はもっと複雑な構造をしているらしいが、脳が命令をだし、歩いたり走ったり物を手に持ったりという動作が可能とのこと。つまりは脳に血が回らなくなった瞬間、生物としての死に到達する。
しかし彼が言っているのはそういうことではない。生物としての死ではなく、個人としての生、その話をしているのだ。
これも昔から議論されていることなのだが、人間特有の思考と感情は、脳と心臓どちらにあるのか。思考の方はかなり昔に脳からの信号だと結論付けられていた。問題は感情の方だ。こちらの方は人類はまだ解決を得ていない。理由は簡単かつ単純なものだ。生きている人間の脳を研究することが不可能だから。頭を開いてしまうと人間は死ぬ。子供でも知っていることだ。
「個人としての生死、その境は一体なんなのか。何をもって生きている、死んでいると決定するのか、私はそれが知りたいだけなのです」
そんなもの、イルミナだって知りたい。知識として得てどうなる問題でもないだろうが、そうすることによって、いずれは確実に訪れる死に対しての準備ができるのではないだろうか。彼は、まずこう言った。
「そう、誰しもが持ちうる病、それこそが死と恐怖。私は一介の医師として、その二つに対する回答を知りたかった。死というものは理解できないから怖い、では生は理解できるのか? 悲しいことですが、それに答えを与えてくれる人間は誰一人としていませんでした」
それはそうだ。誰しもが意識して歩いたり話したり、感情を持ったりしていない。言うなれば日常なのだ。それこそが生だと言ったイルミナに、彼は悲しげな瞳を向けた。それからゆっくりと諭すように問うてきたのだ。「何故、あなたは生きているのですか?」と。
彼は、数ヶ月に一度冬の森へと遺体の点検にやってくる医師の一人だった。もちろん極秘裏に運営されている死体安置所だからこそ、医師の身元は確実であり、口が固くなくてはいけないし、ほぼ固定されている。老体で動けなくなった前任者に連れられてやってきたのが彼だった。
最初は今までの医師がそうであったように無言で作業を続け、イルミナの用意したハーブティーにすら手をつけなかったが、冬の森へと来訪する数をこなすうちに、短いながらも会話をしてくれたものだ。最近では、立ち会うイルミナやザックに軽いジョークすら口にしてくれていた。もちろんザックが返答をする訳もなく、会話していたのはほぼイルミナだったが。
しかし、彼が最後にやってきた時にこう問いかけてきた。
「生きているって一体なんなんでしょうかね」
普段の軽口かと聞き流そうとしたが、彼の瞳は真剣そのもの。何より彼の頬はこけ、目だけやたらとぎらついていた。あまりの変貌に、イルミナは最初誰だか分からず、ドアを開けるのを躊躇したほどだった。だからイルミナも真剣に答えようと思ったが、分かるはずもない。まさかまだ訪れてない死よりも、手にしているはずの生を説明することが難しいとは知らなかった。結局、この日イルミナは何を言ったのか記憶にない。ピントのずれたような回答をいくつもした気もするし、その反対に無言だった気もしている。彼がふと零した言葉が印象的で、それだけを覚えていた。
「生きているって、そんなに偉いことなんですかね」
結局、その問いにも、イルミナは答えることができなかった。
だから、次に会った時には答えを用意しておこうと思っていたのだ。その為に人類学や、生物学の書物をいくつも読んだし、仕事でも死生観をより強く意識したものだった。
その再会は、彼が病のために冬の森を辞して、わずか一月程度で叶うことになった。まさか、棺に収められて再訪してくるとは予想もしていなかったが。
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