12.笑顔
気づくと、雪はいつものように舞い踊っていた。どうりで冷えると思った。イルミナは長椅子に置いてあったケープを肩にかけると、未だ狂ったように古代語で罵声を投げかけるアリアを見つめた。それを受けているロメオは、先ほどの優しい瞳が嘘かのように無言でただ底冷えするかのような視線をアリアに向けている。
フリエッタが美しい遺骸へと戻ったあれからしばらくして――『埋葬』始まって数刻ほど経っても、まともな話は出てきていない。アリアはロメオを認めるとこの調子で有らん限りの呪詛を吐いている。
イルミナは嘆息し、手元の議事録に視線を落とす。当然そこにはアリアがロメオに向けた罵声の大半が記してあった。今回のイルミナの仕事は通訳ではなく書記なのだ。
「アリアの話は予想がつくから、最低限だけ訳してくれたらそれでいい。内容だって後で確認したらいいだけだしね」そうロメオは『埋葬』前に言ったが、まさか本当にこうなるとは思わなかった。義理とは言え親子なのだ。彼女の性格をしっかりと理解していたのだろう。
この鬼子めが。そこまでを記したところで急にアリアが言葉を切った。死者には呼吸という概念がないらしい。それならばどうやって音を発しているのか――イルミナは気になってザックに聞いてみたが、いつものように肩をすくめただけだった。彼も理屈は知らないのかもしれない。
「管理人どの。ああ、通訳のロッキンジー氏の方だ」
「何か?」
「ようやくアリアも落ち着いたそうだし、これからの言葉を通訳してくれ」
ロメオは僅かな言葉をアリアに投げると、それで話は終わったとばかりに椅子に腰を下ろす。
イルミナは息を一つ吸い、一息で終わらせるつもりでゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ぼくが愛しているのは家ではなく、弟と妹だけだ。これからすぐにでもモンジューは終わる。どうせ親父も首を括るだろうし待っているといい。貴様らには地獄が似合いだ」
そう伝えると、アリアは目を見開いて項垂れた。肩を震わせているが、涙は出てこない。死者は涙を流せない。
「アリアは何か言ったかい?」
その問いに首を振ると、議事録に目を通していたロメオは満足そうに頷いた。
「管理人どの。これで終わってくれていい。アリアの遺書はとうにできているし、この錯乱したとしか思えない議事録を管轄しているギルド経由で裁判に提出できるだろうし、問題はない」
「わかった」
「ザックちょっと待ってよ!」
イルミナの叫び声に驚いたロメオが目を丸くしている。ザックはいつものことだからか一瞥しただけだった。むかつく。
「これが最後なんだよ、こんなのダメだよ。いくら貴族だからだって……憎んでいるからだってあんまりだよ」
俺に言ってどうする、ザックの目はそう言っていた。だからイルミナはロメオの向かいまで歩いてゆき、その眼前に立った。
「マーキス、差し出がましいですが一つだけいいでしょうか?」
「今のでわかったよ、管理人どの」
ロメオは立ち上がると、イルミナの肩を叩いて未だ俯いているアリアの前に立つ。
「アリア……いや、母上様。申し訳ないが、モンジューが終わるのは避けることが出来ない事象となる。だが、それでも貴女の血は確かに続くだろう。貴女を憎んでいるし、先ほどの言葉を取り消すつもりはない。だが、全てを憎んでいた訳でないのは理解して欲しい。覚えているだろうか。子供の頃に木を登って下りられなくなり泣いていたのを。あの時の貴女は、登ったことなんてないのに梯子を用意して震えながらも気丈に俺を励まし、抱きしめて下ろしてくれた。厳しくも優しいあの頃の貴女であれば……いや、管理人どのここは訳さなくていい。ともかく、貴女を憎みながらも愛していたのは確かなんだ。俺は――ただ貴女と家族になりたかった」
それで終わりのようだった。アリアは顔をあげると、「うるさい、お前も死んでしまえ」とだけ吐き出した。しかし、その瞳からは言語化できない何かが消えていた。イルミナにはそう見えた。
「もう結構だ。話はない」
それだけ搾り出すようにアリアは言うと、ザックが頷く。イルミナも、今度は何も言わなかった。
ロメオはザックが詠唱を続ける間、アリアから目を向けていた。微かに震えるその背中を見て、イルミナは何も言葉をかけることなど出来ない。ただ――ただ自分だけは泣くまいと必死に耐えていた。
やがてアリアは遺体に戻った。それは初めからそうであったように、誰がみても完璧な遺骸だった。
誰も言葉を発しない静かな礼拝堂。静寂がまるで全身を貫くかのようで、イルミナは息を吐いたが、適切な言葉を探せず、押し黙るしかない。その沈黙を破ったのはロメオだった。
「二人とも、ありがとう」
ロメオはそれだけ言うと、続けようとしていたがイルミナと同じく言葉を見つけられないようで、ただ曖昧に笑った。
唯一雄弁だった死者はもういない。その現実を確認するように、誰もが顔を上げられずにいた中、ザックがゆっくりと口を開いた。
「家族というものは、血や時間で作られるものじゃない。与えられるものではなく、選ぶものだ」
ザックが口を開くといつもこうだ。禅問答のような、ふわりとしたことしか言わない。イルミナが続きを促そうとした時、ロメオが大声で笑い出した。
「選択できるのか。そいつは新解釈だ、なるほどね、納得したよ管理人どの……いや、ノーガー氏、ありがとう」
意味が分からず、ポカンとしたままのイルミナはザックとロメオを交互に見ることしかできない。
「いずれ、君にも理解できる時が来るさ」
そう笑ってロメオはイルミナを見る。まるで子供のような笑顔のロメオは満足したように一つ頷いた。
「満足だ。最期に君達と話せて良かったよ。このために生きてきたと言っても過言じゃないだろう」
いや、流石にそれは過言ではないだろうか。イルミナが何かを言う前にロメオが二人の手を握った。「ありがとう、本当にありがとう」
それだけ言うと、ロメオは礼拝堂を出て行った。客間できっと彼は最期を迎えるのだろう。イルミナは絶対に阻止するつもりでいたのだが、ロメオのまるで子供のような笑顔を見たら、何故かこのまま死なせてやろうと思えてしまうのだ。当然悪き事なのは理解している。止められるのに何故止めなかったのか、そう言う人間だっているだろう。だが、この場にいた者であれば、彼の決断を尊重するだろう。ロメオの表情はそういう類のものだったのだ。
彼が出ていってしばらくしてもイルミナは動けなかった。頬をかきながらロメオが戻ってくるのを期待したからではない。ただ彼がここに居た事を噛み締めるように見ていたのだ。誰かが言ってたっけ。「死とは存在を忘れ去られること」だと。そんなイルミナを見てもザックは何も言わずに片付けを始めていた。
愛とは。そして家族とは。
答えの出ない問いを思ったイルミナの脳裏に浮かんだのは、いつかの『埋葬』で見たピーターとエディだった。
「ねぇ、ザック」
一つ息を吐き、イルミナも片付けを始める。とりあえず呼びかけてはみたものの、何か言いたかったが、適切な言葉が出てこない。
「なんだ?」
珍しくザックが手を止めてイルミナを見据える。
そんな彼を見ていると、今まであった蟠りが消えてゆくのを感じた。この森にいないとザックは理解できないだろう。自分だけでも信用しないと、彼の味方はいなくなってしまう。
――まずは。そう、まずは部屋に転がっている反古の群れを片付けよう。
そう思うと、イルミナの心は軽くなった。
一年ぶり、いやひょっとしたら生涯で初めてかもしれない笑顔で、イルミナはザックに言った。
「生きるのって、難しいけど楽しいね」
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