1.帰還
拝啓、シャーガ・コリーダ様。
草木も芽吹き始める季、いかがお過ごしでしょうか? いくら王都から南方とは言え暦の上では新春、時節もあり体調には十全に心がけていただいているとは存じますが、お変わりはないでしょうか? いたずらに質問を重ねるのは重々承知しておりますが……ここまでを書いてイルミナは反故をくず入れに叩きつけた。だが既に紙の山になっているひとつに当たり、イルミナの足元へと戻ってきた。
室内では灯りが揺らめいているが、時間は夕刻間際。
うすぼんやりとした室内。燭台がイルミナの頬を撫でるように揺らいだ。
ため息をひとつ落とし反故を拾うと、丁寧にくず入れに置いた。丸めた紙から宛名が見える。そこにはアンドレア・フィッシャーの名があった。自分で書いたものだというのにイルミナは顔を顰めると、その名が見えないようくず入れの奥深くへとねじ込んだ。
数十枚……あるいは百枚近い反故には全て違う名が記されていた。そもそも何故手紙を書こうと思ったのか、誰に宛てるものだったのか、それすらも今は思い出せない。
あれから一年近くが経つ。
あの日王宮に向かった馬車が途中で事故を起こし、イルミナはしばらく入院していた。鎖に繋がれた大男も、自身を世界だと言った存在も、夢として片づけられることになった。事実誰かが死んだと言っていたイルミナはこの通り存在しているし、数日間にも及んだ男たちとの会話があったと仮定しても時間の辻褄が合わない。更にイルミナは自分に夢想癖があると自覚もしていたし、彼らが語った物語だって彼女が持っていた知識のうちでもある。
イルミナを診た医者に多くを語らなかったが、それだけで充分だったのだろう。精神の衰弱があると診断され、半年ほど自宅で療養することとなった。
何も知らないはずの両親はそんなイルミナを当たり前のように受け入れた。もちろん妹のマリッサだってだ。
伸びに伸びた休暇。それをイルミナは楽しむことはなかった。以前の彼女と決定的な違いに気付く日はすぐにきた。いつものように自室に備えてある大きな本棚。それから一冊を抜き出し開いた瞬間、えも知れぬ嫌悪感が襲ってきた。中毒と言ってもおかしくはないイルミナが活字を追えない。それだけで充分だと理解した。
――あたしは。この存在は。もう今までのイルミナ・ロッキンジーではないんだな。
少女が絶望を享受し、希望を捨て去るには充分な時間が流れた。
半年後。
再びギルドを訪れると、憐憫をたっぷりと含んだ瞳でギルドマネージャーが出迎えた。それだけで驚くべきことであったが、感情が平坦になっていたイルミナは、ただ「香水変えました?」と聞くだけだった。それを聞いて彼女の瞳は深度を増し、ああ、私は狂ってしまったんだな、と思う。何もかもがおかしくなってしまった。イルミナは自身を、そして瞳に映る世界を認識してはいる。ただそれだけだった。客席に座り、人形劇を見ているかのようだ。総てが希薄だった。
だが世界はそんなイルミナが立ち止まって思考を巡らすのを赦しはしない。ギルドから新しい仕事の辞令を受け取り、職場へと向かう。二本の足で歩いていたはずなのに、イルミナはどうやってそこにたどり着いたのか記憶にはない。
壁を抜け。
森を歩み。
針葉樹を抜けて。
灯りが見える。
小屋の前で。
立ち止まり。
扉を叩く。
足音が聞こえる。
こちらを伺っているような。
気配が届く。
息遣いがきこえる。
扉が開く。
暖炉の熱気が冷えた身体に心地良く。
男が立っている。
少年が立っている。
左目は塞がったまま。
真っ直ぐ結んだ薄い唇。
他人を寄せ付けない瞳。
鳶色の瞳。
実は優しいその瞳。
何もかもが。
そのままで。
だから。
イルミナは叫んだ。
「何であなたがここに居るのよッ!」
だが少年は応えない。
ただ。
ただそこにいるだけでなにもかもがそのままでだからいるみなはさけんだしおとこはそのままでくるっているのはいったいどこのだれなのだろうわたしはこのままきえてなくなりたいとねがいめのまえにそんざいしているおとこをころしたくってだきしめたくってそのものはどこにもたどりつけずにゆきばしょなんてどこにもなくってただひらひらとせかいをたゆたいつづけているような、彼の声が聞こえた。
「入らないなら閉めるぞ」
イルミナは何も言わず、ただ大声で泣き叫んで彼の――ザック・ノーガーの胸に飛び込んだ。
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