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冬の森の死体安置所  作者: 山田太朗
幕間 クリウッド戦記 起
54/75

がらすのようにきらきらとひかるみなもをみて

 硝子のようにきらきらと光る水面を見て、俺は生まれて初めて美しさというものを理解した気がした。

「綺麗ですね」

 見慣れているだろうに、心の底から楽しそうにウミは笑った。仕事柄、性格上どちらにしてもあまり笑う質ではないと言っていたが、そうは見えない。俺と一緒にいるから――そう思うのは自惚れだろうか。

 この国に打ち上げられて最初の冬を越えた。ちょうど一年経つ事になる。トカゲでもないので、手足が生えてくるなんて事は当然なく、俺の三肢は動く気配もない。しかし慣れとは恐ろしいもので、少なくとも表面上は自身を受け入れ始めている。移動だって自力では無理だったが、車いすさえあれば可能だったし、筆を持つのも覚束(おぼつか)なかった左手は、今では利き腕よりも遥かに達者な字を書けるようになった。

『とても美しい』

 君の方が――そう記そうとしてやめておいた。ウミにとって俺はただの患者なのだ。命の恩人に好意を持つのはごく自然なことだろう。だが、医者にとってはそれに一々応えていられない。分かっている。だが、こいつは軍事と復讐のみに生きてきた俺が持つ初めての感情なのだ。

 祖国に妃はいた。正確には憶えていないが子供も数人はいたはずだ。だが、それらは儀式のようなものであって、俺や妃(名前すらも記憶にない彼女)の感情が介入する余地はなかった。

 彼女らの顔を思い出そうとしてやめた。どうしたって想起されるのは、苦悶のまま斬首された生首だけだから。

 筆先が軽く震える。それを目ざとくウミが見つけてしまった。

「どうかなさいました?」

 この会話に慣れているウミは、紙に滲む墨の揺らぎから俺の機微(きび)を察するまでになっていた。ウミとの距離を表しているようで嬉しくもあるが、こころの奥底まで覗かれているような気になる。だが、俺もウミには隠し事などしないと決めているので、素直に『昔を思い出していた』と書いた。

 こういう時、ウミは決まって泣き笑いのような表情を一瞬だけ作る。そして微かに憐憫(れんびん)を含んだ瞳で俺を見る。本人は上手く隠しているつもりなのだろうが、読心術の心得がある俺には無駄なことだった。

 そんな顔を見たくなくて目を逸らした。これもいつもの事だった。互いの心中を理解し、敢えてそれには触れない。ウミにだって奥深くに(おり)が溜まっていると知っている。しかしそれを言わないし、俺も聞かない。

 まるでままごとのようだ。無垢な少年少女の初恋のような有様。だが、俺にとっては間違いなく初恋であったし、ウミにもそうであって欲しいと望んでいる。

 自嘲気味に笑うと、ウミが微笑みを浮かべ小首を傾げる。これもいつの間にか定まっていた俺らの規則だった。この話はこれまで。

『さすがに冷えてきた。戻ろう』

 おれの()()を見たウミは無言のまま頷いた。


「あ、そうだ」

 車いすを押していたウミが立ち止まる。しばらくの間言い淀んでいたようだが、俺が見上げると観念したように話し出した。隠すのは無理だと判断したのだろう。

「例の件、考えてくれました?」

 思いつくのはひとつしかない。義足の事なのだろう。思い切り顔を顰めてしまい、ウミは諭すような口調になっていた。

「いつまでも車いすじゃあ、不便でしょう? 出かけるのにだってこうやって誰かと一緒じゃないといけないし……って、もちろん嫌だって事じゃないですよ、ってこれも言い訳くさいな……」

 狼狽したウミはあれこれと口にしていたが、その話は入ってこなかった。

 義足。

 この国では医療技術がとんでもなく発達していて、足の代替品という程度ではないらしい。まるで本物のように動かす事が可能だと聞く。もちろんそちらのが望ましいだろう。今の俺は便所に行くのすら一人では不可能なのだ。義足手術も簡単なもので、一週間もすれば自力で動くことができる。一もなく飛びつくような話だ。

 悩む理由は単純に今俺の椅子を押しているウミだった。

 どこかに出かけるのに誰かと一緒なのだ。そしてそれは大抵がウミの役目だった。今日のような美しい景色を誰かと共に出来る。それは、軍事しか知らない俺にとってはとても贅沢なものなのだ。更に隣にいるのはウミ。これがなくなるのは耐え難い事だが、俺の我儘にウミを付き合わせるのも悪い。そう、一緒に行きたければ、ウミを誘えばいいだけなのだ。

 後ろを振り返らずとも、微かな潮騒が聴こえる。海にこころを洗われた気分だった。

『分かった。手術の日程やらは君に任せる』

「よかった」

 当然声が弾んでいる。こんな時の笑顔は見たくはなかったから、紙だけをウミに見せた。

「これ、同意書です。形式だけなので署名お願いします」

 随分と用意がいいものだ。今日の外出もこれを切り出す為だったのだろう。

『署名はどっちがいいだろう?』

「ああ、そうか。スザク・ドラフォード……は嫌ですよね?」

 久しぶりに本名を聞いた気がする。だが、俺はもう軍人ではない。だから君が付けてくれた名前で呼んでくれ。

「分かりました。では、ザック・ノーガー。手術は来週にしましょう」



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