Moi, je dis que les bonbons, Valent mieux que la raison
「…………」
着流し姿の俺は、文机に肘をついて頬杖する。
前後の襖の前に配置されているのは、緋色の羽織がトレードマークの『燈色組』を自称する侍衛の少女たち……侍衛頭たるネズミの任を受け、じーっと、前と後ろから俺が逃亡しないか見張っている。
「…………」
座布団の前で、あぐらをかいている俺は逃げ場がないことを再認する。
既に、三度の逃走に失敗している……天井には隠形衆が張っているし、廊下から庭園に出たところで侍衛頭が張り巡らさせた警戒網を抜けるには、払暁叙事の固有魔法とほんの少しの奇跡が必要となる。
「…………」
俺は、ちらりと時計を確認する。
約束の時間まではまだある……どうやって時間稼ぎをすればいいのか。
たらりと、額から頬へ汗が垂れていった。
「…………」
どうにかして、この場から逃げ出さなければ。
俺は、着物の上から自分の心臓を鷲掴みにする。
さもなければ、俺は、ココで死ぬこととなる。囚われの身のまま現状を享受すれば、待ち受けるのは惨憺たる死の影。こんなところで死ぬわけにはいかない。俺は。俺で在り続けるために生きる。
「次」
襖の外から、侍衛頭の声が聞こえる。
びくりと反応を示した俺は腰を浮かせ、前後の燈色組の少女は握り手に手を寄せる。
「…………」
絶妙な間合い。
一粒の汗が床に落ちて、俺は、ゆっくりと腰を下ろした。
襖が開く。
三つ指をついた絶世の美少女は、頬を赤らめて俺へ媚を売る。
「三条家ご当主様へご挨拶申し上げます」
彼女は、もじもじとしながら愁眉をこちらへ送る。
「も、もうよせ……もうよせぇ……っ!!」
その艶姿を視た瞬間。
辛うじて保ってきた精神が――崩壊する。
そのハッキリとした好意の視線を受けた俺は、心臓がどくんと跳ねるのを感じ、耐えきれず後ろへ下がり襖を押し倒す。
「……この度は、菅原家輿入れのお願いの儀に参りました」
「ひいぃ……やだぁ、もうやだぁ……っ!!」
奥の和室へ逃げ込もうと、這いつくばった俺は、必死に畳を掻きむしりながら逃亡を図る。
「わ、わたくし、殿方に懸想するのは初めてのことで」
肢体をくねらせながら。
俺への想いを熱弁する少女から這って逃げ出す。
真顔で歩いてきた燈色組の少女たちは、俺の足を片足ずつ掴み、ズルズルと顔合わせの場へと連れ戻す。
「よせぇええええええええええええええええええええええええええええええええッ!! もうよせぇえええええええええええええええええええええええええええええええッ!! なんで、払暁叙事の固有魔法が発動しなぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!? 誰を裏切ってるアルスハリヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
「ヒイロ様、両の眼が燈色にぴかぴかと明滅して……とても綺麗ですわ」
開いた襖の隙間から。
明滅を繰り返す俺の両眼の光が漏れ出て。
廊下から門外まで、ずらーっと並んだ美しい少女たちの眼に入り、彼女らは何事かとささやきを交わし合う。
「次」
ひとり、冷静な侍衛頭は三十四番目の伴侶候補を通した。
*
「…………」
丸一週間をかけて。
全280人の候補者との縁談を終えた俺は、げっそりと頬がこけた状態で出土(地面に潜って逃げてた)された。
点滴を受けた後、解放された俺は約束の時間を迎える。
三条家本邸の正門前に横付けされたイタリア車から、見覚えのある顔つきの人物が下りてくる。
「あろ~は~!!」
アロハシャツにハーフパンツ。
これみよがしにサングラスをかけたキリウは、車の天板に両腕と顎を預けている。釣り竿を肩に担ぎ、咥えた煙草を揺らしながら助手席を指した。
「どうぞぉ、ご当主様ぁ」
「……こぉすぞ」
「くっくっくっ……あまりの苦役に女児化とは、随分とファンシーな牢獄だったよぉで?」
「……いいから、とっとと出せ」
「あいあいさー」
俺を助手席に乗せて。
キリウは、アバルト・500を発進させる。
高速に乗った小さなイタリア車は、スポーツ仕様のエンジンを積んでるとかなんとかで、なかなかの馬力があって良い走りを見せる。
徐々に潮の臭いがしてきて、俺たちは目的地の海浜公園に辿り着く。
ふたり、並んで、釣りを始める。
「……で?」
撒き餌を撒いているキリウの横で、付け餌をつけている俺は問いかける。
「なんで、お前、アロハシャツ?」
「いんやぁ、探すのに苦労しましたよぉ。なんせ、ぼっちゃんがこ~んなにも小さい頃にお召しになってたアロハシャツでしょぉ~? 当時の記憶を頼りに従者に又聞きし、フクシマいわきのハワイアン雑貨店まで足を運び、よぉやく手に入れましたぁ」
「誰も入手方法は聞いてねーよ」
キリウの指導に従って。
高そうな竿をしならせて、俺は、餌付きの針を海へ投擲する。
「しかし、くっくっ、ぼっちゃん、あんた当主って感じがしませんねぇ……まるで、お仕着せのお飾り人形だぁ」
「半ばテメーの手回しだろ。アレだけいた反対勢力が数日で黙るわけがねぇし……リールの巻き方ってコレでいいの?」
「えぇ、えぇ、処女を相手にする時みたいに慎重にね……ぼかぁ、なにかした覚えはありませんがねぇ? ぼっちゃんの人徳ではぁ?」
「人徳のあるおぼっちゃまは、軟禁状態で280人もの名家のお嬢様との縁談を一週間で済ませたりしねーんだよ。コレもテメーの手筈だろ。輿入れを済ませて、子供でも出来れば、俺を三条に定着させられるとでも思ったか?」
「あんた、正義の味方だろ?」
竿がしなる。
ひゅんっと音を鳴らし、海と糸で繋がったキリウはささやく。
「ぼくが視ててあげますよ。あんたが、最後の最後まで正義の味方を貫けるのかどうか」
「ストーカー禁止法って知ってるか?」
「ぼっちゃん、専属のメイドに自分のパンツを買わせるのはやめた方がいいですよ?」
「自分で買ってきたりすると、高いだのなんだのうるせーんだよ。お陰様で、今まさに、俺の股間で二宮金太郎がヘッドスピンしながら勉強してるよ」
「どこ行けば、そんな柄のパンツ買えるんですかねぇ……?」
闇のファッションショーで、三連勝するともらえる(スノウ談)。
キリウは、ちらりと腕時計を確認する。
「送っていきましょぉ~か?」
「ノーサンクス」
釣り竿をキリウに預け、歩き出した俺は後ろ手を振る。
「ぼっちゃん」
呼ばれて。
振り返った先で、キリウは俺へと両手の拳を突きつける。
「どっちだぁ~?」
ニヤリと俺は笑って――
「両方」
開かれた右と左の手のひら、そのどちらにも飴玉があった。
「正義は」
吹っ切れたように笑いながら。
「それで良い」
キリウは、空へと飴玉を放り投げる。
どこまでも、どこまでも、放物線を描きながら。
ふたつの飴玉は、あたたかな陽の光へと吸い込まれていった。




