家族喧嘩
瞬間、投げ捨てられた煙草だけを残し、キリウの姿は掻き消える。
右――俺の顔面へと拳が迫った。
下腹部に衝撃を覚え、フェイントの右に釣られ左を入れられた俺は、大量の血反吐を吐いた。
「ぼかぁ、暴力はきらいでねぇ」
脚。
対面の首を刈り取った長い脚は、地面へと俺の頭を叩きつける。
「相手を確実に殺すと誓うまでは手は出さない」
俺の右拳を――ひょいっとキリウは躱す。
「脚、出してんじゃねぇか」
「一休さんじゃあるまいし、殺し合いにとんちはいりませんよ」
「殺し合い?」
右鼻を押さえて鼻息を出し、左鼻に詰まった血を飛ばした俺は、右腕を回しながら笑う。
「ただの喧嘩だろ」
変幻自在。
ひらひらと服裾を翻しながら、一歩で、俺の懐へ飛び込んできたキリウの指に描かれたルーン文字が輝き――俺の下腹に溜まった蒼光が弾け飛んだ。
血肉が爆ぜる。
激痛を覚えながら、俺は拳を振るうが掌で流される。
キリウの扱う『神座』は、常に更新される相手の位置情報を基に『自分の攻撃が当たり相手の攻撃が当たらない位置』へ、三条由来の神楽を源流とした足運び、体捌きで、自分と相手を誘導する技術。
それは武術というより舞術に近く、指に刻んだルーンの術式刻印によって威力を底上げすることで短期決戦用に威力調整されている。
選択による優位性の奪取……神座の技術は、『可能性の選択』を前提とした払暁叙事使いの戦い方に近い。
「まぁ、つまり」
煙草を吹かしたまま。
ひらりひらりと、とらえどころのないキリウは拳を繰り出し――俺は、そこに己の拳を合わせる。
驚愕――爆ぜる――そのまま貫いて、俺の拳がキリウのみぞおちをえぐった。
「俺みたいに、冷静沈着な男相手には向いてない技術ってわけだ」
肉が爆ぜて、骨が覗いている拳。
まさか、自分から、威力で敗けているルーン刻印付きの拳に肉そのものの拳を合わせてくるとは思ってもいなかったキリウは、ものの見事に神座の道理から外れた俺の拳を喰らい血反吐を吐いた。
「拳に拳を合わせてくるイカれが……冷静沈着なわけないでしょぉが……」
「おいおい、キリウ、喧嘩に御託を持ち出すなよ」
俺は、パキパキと拳を鳴らす。
「喧嘩ってのは、肉と肉のぶつかり合いだろ……なぁ……っ!!」
頭から、俺は、思い切り突っ込んだ。
*
なんだこいつ。
キリウは、ぜいぜいと息を荒げながら、延々と突っ込んでくる馬鹿へ拳を繰り出す。
なんなんだこいつ……魔人を相手取っているから実戦慣れしてるとは思ったが、どうして武器を使おうとしない……劉悠然から伝授されている無形極も使ってはいない……ただの打撃、拳を振るっているだけだ……本当にコイツは喧嘩をしている……どうして、こんなにも喧嘩慣れしている……武器を扱うよりも、むしろ、ステゴロの殴り合いに特化している……本当に喧嘩のつもりか……ぼくは一撃一撃に必殺を籠めているのに……なぜ……。
迷いが動きに現れる。
顔面に叩き込まれた拳。
両鼻から血を吹き散らしながら、たたらを踏んで、キリウは後ろへ、五、六歩、たじろいだ。
「キ・リ・ウ・ちゃ~ん?」
血まみれのシャツを引き破いて。
半裸になったヒイロは、よろけながらも笑い声を上げる。
「良いお顔になってきたんじゃないのぉ~? んぅん~?」
「気に入ったなら……っ!!」
踏み込み。
キリウは、思い切り、右拳をヒイロの顔面に叩き込む。
「同じ顔にしてやるよッ!!」
鼻血を吹き散らし。
よろめいたヒイロは、ニヤニヤと笑いながら立ち止まる。
「神座」
ヒイロは拳を握り込む。
「使わないのか?」
思わず、キリウは驚愕で眼を見開く。
そこに拳が飛んでくる。
両腕の防御――すり抜けて、鼻の下に入る。
ぐわんぐわんと、世界が揺らいだ。
ふらつきながら、踏みとどまり、ぽたぽたと血を垂らしながらキリウは髪を掻き上げる。
「ぼくのじゃまを……するなよ……」
「あぁ? 声がちいせぇな、腹から声出せよ」
キリウは、息を吸い込み――声をぶち撒ける。
「ぼくの邪魔をするなッ!!」
駆ける。
思い切り踏み込んで――右――クロスした右拳がキリウの顎へ叩き込まれる。
がくりと、上体が下がる。
矢継ぎ早の追撃に、膝、両掌を重ね受けようとするが勢いを殺しきれない。
また、鼻の下に入り、口中に溜まった血に溺れながら顔を上げる。
ふらふらと。
お互いに後ろへ下がりながら、両者は対峙する。
「あんたが……あんたが気に食わない……あんたぁ……さいていさいあくだ……三条の呪縛にがんじがらめにされていた陽は納得づくで消えていった……なにをしたのかは知らないが、あんたが救った……あんたが救ったんだぁ……もう三条は終わってたんじゃないのかよ……だったら、ぼくだって同じことが出来た筈なんだ……カオウを……あの子を救えたのかよ……ぼかぁ……ぼかぁ……」
血を流しながら、キリウは半笑いで問いかける。
「なんで、すくえなかったんだよ……」
「俺はお前じゃないぞ」
血で霞んだ視界の中で。
立っている男は、キリウへと言った。
「俺はお前じゃない。キリウ、テメェはテメェで正義を諦めた。生憎、俺は、生まれついてから諦めが悪くてな。殴っても殴っても思い通りにならないなら、拳がなくなるまで殴りきってから次の手を考える。俺は、お前を否定しない。誰も彼もは救えない、それなら自分の大切な人間だけでも救う存在で在ろうとする……そうやって、悪の味方であろうとするお前はお前で正しいんだろうよ。だけどなぁ」
拳が――飛ぶ。
右頬に入って、キリウの上体がガクリと揺れる。
「そうやって、お前が悪に裏返った時ッ!! 正義を待ち望む人間はッ!! かつて、一心不乱に正義を望んだお前はッ!! お前と同じように正義を貫きたいと望んだ人間はッ!! 一体、なにを信じれば良いッ!?」
拳。
飛んでくる握り拳を視て、キリウはその中に入っている飴玉を思い描いた。
――どっちだ?
かつて、自分がカオウへと投げかけた問いかけが。
――君が選べ
現在、ココに戻ってくる。
「…………ッ!?」
血反吐を吐き散らしながら。
キリウは、下がって下がって下がって……目の前の障害へ拳を打ち付ける。
「信じられる正義なんて、この世のどこにもないだろうがっ!! ぼくはっ!! ぼくは信じてたんだっ!! きっと!! きっと、なれると!! ぼくはっ!! ぼかぁ!!」
手が視える。
目の前で行われているヒーローショー、六歳の小さな自分の手が大きな手を握り締めている。
そのあたたかさが、心の臓を回っている。
「だったら、テメェが信じられる正義になれば良いんだろうがッ!! テメェがッ!! テメェ自身が誓ったんじゃねぇのかッ!! 正義の味方になるとッ!! だったら、その誓いをッ!!」
拳、拳、拳。
次から次へと飛んでくる拳に打たれる度。
心臓が鳴って、血潮が巡る。
「ないがしろにするんじゃねぇッ!!」
――貴女の……貴女の想うことをしなさい……正義の味方になるんでしょう
熱が蘇る。
「俺を視ろッ!! 俺がッ!! この俺がッ!! テメェの描いた正義をなぞってやるッ!! 正義も悪も併せ呑んで、ひたすらに突き進んでやるッ!!」
――貴女の選択は貴女にしか出来ない……貴女の想う正義の味方に……
ひとり、自分を愛してくれた母の姿が浮かぶ。
「視ろ、俺をッ!! 現在、ココにッ!!」
――ぼくが……正義の味方になる……
見開いた両眼。
咄嗟に、キリウは応じ手を繰り出した。
「正義の味方が来たぞ」
正義の味方を諦めたひとりと、正義の味方を諦めなかったひとり。
2億5432万3162の世界を超えてもなお、その正義を貫いてきた男の拳が迫りくり――キリウは過去を思い出した。
暴力が嫌いだった。
暴力を愛する父母のようにはなりたくなかったから。
父母の愛を受け、血を流し、助けを求めている幼い自分に視えていた光景。
閉ざされた襖があった。
暗闇の中、絶え間ない暴力に晒され、幼いキリウは襖へと指を伸ばし――光が差し込む。
『キリウさん』
エイデルガルトが投擲したノートPC。
白光する画面に映った少女は、自分へと両手を広げてキリウを受け入れる。
『もう大丈夫だよ』
双方の拳が――ノートPCを貫いた。
電子部品が辺りに散らばり、画面には拳状の穴が開いて、奇妙な電子音を鳴らしながら画面上の少女に虹色の線がかかった。
「ぁ……ぁあ……っ!!」
キリウは、散らばった部品をかき集めノートPCを抱き締める。
「か、かおう……かおう、なんで……」
『コレで良い……コレで良いの……西園寺華扇はコレで良い……キリウさんがいない間、わたし、エイデルガルトとたくさんのことをした……キャッチボールをしたし、インターネットのお友達とも会ったし、可愛いアバターで配信して、画面の中で美味しいステーキを食べたし、海のワールドにも行ったし、通信教育だけど学校にも行けたよ……』
「ち、ちがう……ぼくは……ぼくは、きみからからだをうばった……ほんとうなら……ほんとうなら、きみは、ぼくとはちがって……もっとたくさんのことができた……ぼくのようには……ぼくのようにはなってほしくなかった……ぼくは、きみをにんぎょうにしたくはなかった……ぼかぁ……せいぎのみかたには……なれなかった……」
『キリウさんは、正義の味方だよ』
点滅を繰り返しながら、画面上でカオウは微笑む。
「ぜんぶ……ぜんぶぜんぶぜんぶ、キリウさんが教えてくれたんじゃない……わたし、幸せだよって伝えたかったから……だから、Vtuberになったの……遠くに行ってしまったキリウさんの目にも入るかもしれない……可愛いお化粧をして配信してるところを見てもらったら……そのことがキリウさんに伝わるんじゃないかって……」
そっと、カオウは画面にてのひらをつける。
促され、キリウも画面にてのひらをつける。
ふたりは、画面越しにてのひらを重ね合う。
『たのしかった……たのしかったんだよ……わたし、たのしかったの……この道は自分で選んだ……人形じゃない……人間として……西園寺華扇として生きたの……正義の味方が助けてくれたから……』
涙を流しながら。
カオウは、嗚咽を漏らし告げる。
『この箱の中にいても……電気で動いていても……わたしは電気人形にはならなかった……ならなかったんだよ、キリウさん……』
「…………」
『エイデルガルト』
何時からココにいたのか。
やり取りを見守っていたエイデルガルトは頷く。
「……カオウ、コレで良かったのね?」
『うん、これでお別れ……わたしの最後のお願い、聞いてくれる?』
「えぇ」
『キリウさんに教えてあげて』
ノイズ音混じりに、カオウは笑顔で言った。
『わたしが、キリウさんのお陰でどれだけ幸せだったか……教えてあげて』
「それは主命?」
『ううん』
カオウは首を振る。
『貴女が大好きな、たったひとりの大事な友達からのお願い』
笑いながら、エイデルガルトは一筋の涙を流す。
「相変わらず、うるさい小娘ね」
『あれー、忍者は泣いたりしないんじゃなかったのー? 返事はー?』
「わかった」
カオウに背を向け、エイデルガルトは涙声でささやく。
「わかった……」
『キリウさんっ!!』
じーじーと。
ノイズが酷くなり、聞き取りにくくなったスピーカー音。
満面の笑みを浮かべたカオウは、画面の中でグローブを嵌めており、握り締めた野球ボールをキリウへと突きつける。
『キャッチボールしよ!!』
「かおう……まってくれ、ぼくは……ぼくは……」
『いくよ』
綺麗なフォームで。
笑いながら、カオウは、画面に向かってボールを投げる。
『キリウさん』
光――思わず、その行く先を見上げたキリウの目に球体の影が映る。
落ちてきたその影を、彼女はしっかりと受け取った。
『遊んでくれてありがとう』
オレンジ色の水玉模様……鮮やかな包装紙に包まれた飴玉。
自らの意志で掴み取った飴玉を見つめ、ゆっくりとキリウは振り返る。
振り返った先には、破損し、画面が消えたノートPCが沈黙していた。
「…………」
膝をついたキリウは、両手のひらの上に残った飴玉を見つめる。
ハート型のステッカーが貼られた飴玉を見つめ、嗚咽を漏らし、項垂れたキリウは涙を流した。
いつまでも。
哀切を奏でながら、ひとり、正義の味方は泣き続けた。




