三条霧雨
音は殺していた。
草陰へと引きずり込まれたカオウは、驚愕を隠せないまま大声を出そうとし――ぼくの姿を見て口を閉ざした。
「……キリウさん?」
「どぉもぉ、挨拶はほどほどにしてぼくに付いてきてくれるかなぁ?」
「ついていく……どこへ?」
「状況が落ち着くまではマニラあたりかねぇ……悠々自適の諸国漫遊の旅へ誘わせて頂きますよぉ」
「なんで?」
「君を」
ぼくは言う。
「助けたい」
「三条華扇は、電気人形にならなければなりません」
確定事項であるかのように彼女は言った。
「人間は、神経に電気が流れることで動きます。だから、三条華扇は与えられた電気を元に動く必要があります。その電気を与えてくれるのは三条家です。そのために、西園寺華扇は生まれてきました」
「……そう教えられてきたのか?」
「そう生まれつきました」
ぼくは間違えていなかった。
ひとり、ぼくは確信する。
三条家は……悪だ。
「まずは移動しよぉ……他の連中に見られると面倒なことになるぅ」
「三条華扇は行けません」
「なぜ?」
「三条華扇は三条家の所有物であり財――」
「君は、飴玉がある方の手を選んだ」
ゆっくりと、カオウは顔を上げてぼくを見つめる。
「君が選んだんだ」
「…………」
カオウと出会ってから。
常にポケットに入れられていたお菓子類……あの日と同じ飴玉を取り出して、ぼくは彼女へと握り拳を突き出した。
「どっちだ?」
「…………」
「カオウ」
ぼくは、彼女と目を会わせる。
「君が選べ」
震える手で。
彼女はぼくの右拳を指して――開いた手のひらの上に乗る飴玉を見て、ゆっくりと涙を流した。
「わたし……また、キリウさんとキャッチボールしたい……」
「あぁ」
「エイデルガルトと遊び回りたい……」
「あぁ」
「インターネットで会ったお友達と会ってみたい……可愛いお化粧をして配信してみたい……外で美味しいステーキが食べたい……海へ行って潮風を浴びてみたい……学校へ行ってお友だちと同じ勉強をしたい……わ、わたし……」
ぼくは、年相応の彼女の泣き顔を見つめる。
「電気人形には……なりたくない……」
「あぁ」
ぼくは、飴玉を掴んだ彼女の手を握る。
「ぼくが叶える」
「いや、それは許されない」
声の方向へと振り向く。
その先にいた白髪の少女は、後ろに控えさせている侍衛長から耳打ちされる。軽く頷いてから、彼女は頭を振った。
「キリウ、その手を放せ」
「黙れ、三条屍」
ぼくは中指を立てると同時に腰後ろへと左の手をやり引き金を引――人差し指が反対方向へとへし折れる。
視界が反転し転がされ、手首を極められたぼくは地面へと押し倒される。
「…………」
ぼくを拘束したエマは、無言で当主のカバネを仰ぎ見る。
カバネは首を振り、藻掻いているぼくを見つめる。
「下らぬ妄執は捨てろ、キリウ。『三条』という壱を考えよ。その他を捨てろ。我らは三条、しがらみなど不要よ」
「くくっ、頭の回転がそこまで鈍ったかババア……三条家なんて腐り切った壱に縋り付いて、妄執を捨て切れてないのはアンタだろうがぁ……ぼかぁ、正義の味方だ……全も壱も見捨てなぃ……カオウもその他も、ぜんぶ、救ってみせる……っ!」
「何人もいた」
カバネは、濁った目で言った。
「貴様のような蒙昧は何人も……そして、例外なく三条になった」
「待て……」
侍衛長に腕を掴まれたカオウは、カバネの後に従って歩き去っていく。
「待て……その子をどうするつもりだぁ……待て、カバネ……待て……待てぇ……っ!!」
エマの拘束から抜け出せず。
ぼくの前からカオウの姿は消えて――ぼくの視界はブラックアウトした。
*
ぼやけた視界に世界が映る。
三条家の地下にある座敷牢……存在だけは知らされていたが、現在まで入ったことのなかった牢が実在して眼前に現れる。角材を組み合わされた格子を眺め、ぼくは苦笑し血混じりの痰を床へ吐いた。
優雅な幽閉生活が幕を開けた。
一日に三回、格子窓から銀盆に載った食事が差し出される。
ご飯を中心とした和食は、まだほんのりと温かった。上階の台所で作られたものをそのまま持ってきているんだろう。日の差さない暗闇に慣れた両目、健康に配慮された精進料理みたいな料理を食べて命を繋ぐ。
一日に一回、湯の張った桶に布巾とビニールに包まれた下着と衣服が差し出される。
一日に数回、魔導触媒器を佩いた二人組の侍衛がやって来て、排泄物の溜まった瓶を回収していく。
一日に一日に一日に……ぼくは、長く伸びた髪と爪を眺めながら、いずれ、これらを切るために誰かが派遣されてくるのだろうと思う。
何日が経って、何日が絶たれたのか。
日がな一日、やることがないから闇を見つめ続ける。
そのうち、向かいの牢に誰かが入れられたのがわかった。
新しいルーティンが生まれる。
一日に三十六回、向かいの牢から獣の絶叫に酷似した人間の悲鳴が聞こえてくる。
ぞりぞりぞりぞり……なにかを剥くような音も聞こえる。
闇の中でなにかが暴れている。二人組の侍衛が誰かを押さえつけていて、暴れ狂っている誰かに従者のひとりが寄り添いなにかをしている。
「よ、よせ、やめろ……っ!!」
咽ながら、ぼくは、乾いた喉で叫ぶ。
「やめろぉ……っ!!」
やめるわけがない。
一日に三十六回、『やめろ』と言っても彼女らが聞き入れることはなかった。
どれだけの月日が流れたのか。
自身の無力さにほとほと呆れた頃には、ぼくは、土壁に背を預けムカデの足を千切ることが唯一の娯楽になっていた。閉じ込められてからの日付けを数えるために、壁に彫り込んでいた線も、壁に隙間がなくなったのでやめにした。
たぶん、このまま、ぼくはこの座敷牢の中で人生を終えるのだろうと実感していた。
足音が聞こえてくる。
いつもの侍衛の二人組……いや、一人分の足音。
暗がりから現れたエマは、唇に人差し指を当て、反応を示そうとしたぼくを静める。
格子戸の錠を壊した彼女は、手慣れた手つきでぼくの足枷を外し始めた。
「……おいおい、ぼくの敵なのか味方なのかハッキリしてくれよぉ」
「まだ、ゴミ箱にダンクシュート出来るくらいの大きさの頃から貴女の世話をしてきた。敵なわけがないでしょう。ご当主様の前で妙な動きは出来なかった。下手すれば、キリウ、貴女は消されていたんですよ」
「……わーったわーった、その涙溢れんばかりの真摯な謝罪は受け入れるよ」
拘束から脱し、ぼくは、痕のついた足首を擦る。
一歩目を踏み出し、よろけたぼくをエマは支える。
外へと出ようとし――止まったぼくは、向かいの牢を指した。
「たすけてやってくれ……」
「キリウ」
「たのむ……」
歩き始めた時から、頭がグラついているぼくは掠れた声で言った。
その場に座ったぼくは、エマの救出劇を眺める。
人間なのか人間ではないのか……顔面が髪で隠れている老婆のような女性は、ブツブツと何事かをささやきながらエマの助けを受け入れる。最早、自分が何者なのかも覚えていないのか、ぼくの誰何に彼女は反応を示そうとしなかった。
徳大寺の屋敷へと帰り着く。
座敷牢をシェアしていたお向かいさんを車に乗せたエマは、従者の看護を受けているぼくへと歩み寄る。
「………どこへぇ?」
「所要を済ませに。貴女の願い通り、エイデルガルトはカオウのお付きにしました。諸々の手続きは済んでいる。この後、貴女は海外へ出なさい。ほとぼりが冷めるまで、三条家には戻らないように。ご当主様もそこまで貴女には執着しないでしょう」
「悪ぃ、エマ……巻き込んだぁ……すまなぃ……」
「なにを今更」
苦笑して、エマはぼくの頬に手を添える。
「覚えていますよ、キリウ……ショッピングモールの屋上で行われたヒーローショー……貴女は大きな声で歓声を張り上げ、痛いくらいに私の手を握った……正義の味方になると何度も言っていましたね……ずっと、貴女を見守ってきた……エイデルガルトが生まれてもそれは変わらず……ずっと……私は貴女を実の子のように思ってきました……」
「あの手は……」
ぼくの混濁していた記憶がクリアに澄み渡る。
「君の手か……エマ……ぼくをヒーローショーに連れて行ってくれたのは……母ではなく……君の……なら、アレは君の独断で……せ、背中の傷は……」
「キリウ」
涙のうるんだ瞳で、彼女はぼくの頬を撫でる。
「ようやく……ようやく、貴女のことを救い出せた……ごめんなさい……ごめんなさい、キリウ……貴女がされていたことを知っていたのに私は貴女を救えなかった……」
何度も何度も、彼女はぼくへ触れる。
「貴女の……貴女の想うことをしなさい……正義の味方になるんでしょう……どうか、後悔しないで……貴女の選択は貴女にしか出来ない……貴女の想う正義の味方に……どうか……健やかに……」
エマは、ぼくの額に口付ける。
「私の可愛い子……」
くるりと身を翻し、エマは車へと乗り込む。
「まって……」
追いかけて、地面に落ちたぼくは這いずりながら手を伸ばす。
「まって、エマ……まって……まって……」
ぼくは、震える指を伸ばす。
「かあさん……」
車は走り去る。
その数週間後、半ば強制的に海外へ連れられたぼくの元へエマが事故死したという知らせが届いた。
*
奥の間へと通される。
白い髪。
数年ぶりに見る三条屍は、ぼくへとなんの情も満たさない目を向ける。
「……エマを殺したのは貴様かぁ?」
「ある意味では然り。三条の機構が彼女を殺した。私はなんの指示も出してはいない。しかし、三条の掟を鑑みれば、私の指図もなくキリウ、おまえを外へ逃がしたエマは万死に値する」
「カオウはどこだ」
ぼくは、カバネを睨めつける。
「カオウはどこだッ!?」
「自分の命惜しさに逃げ出した俗物が吠えるな」
ぼくは踏み込み――カバネの背後に控えていた侍衛長の刀が喉に当てられる。
「…………」
「そこまで、カオウに会いたいのであれば会わせてやる」
奥の襖が開く。
そこに座っていたのは人形だった。
いや、違う……人間。
ドール服によく似たドレスを着た少女は、前髪で顔の右半分を隠しており、瞬きひとつせずに座り込んでいる。
「三条華扇……否、現在は」
ぼそりと、カバネは言った。
「払暁叙事の極意書だ」
「な、なにを言ってる……?」
「払暁叙事の自然開眼は門外不出の秘事。ゆえに、三条の人間以外が目にすることを禁じる仕組みが必要だった。払暁叙事は三界三世の魔眼……三条に纏わる過去・現在・未来のすべてが記録されている媒体でもある。それゆえ、自然開眼の方法論はこの眼に焼き付けて仕舞うこととした。適宜、必要な機会に極意書へ強制開眼を行わせ、払暁叙事を持つ人間が覗き込むことで『視る』ことが出来る……実際には、三条家に与する魔人の権能も必要ではあるが」
絶句したぼくへと、座しているカバネは眼を向ける。
「三条家の地下の座敷牢は極意書の保管場所だ。元来、カオウは極意書の予備の人間として訓練を受けていた。何事もなければ、平穏な幼少時代を過ごせたであろう。キリウ、おまえが余計なことをしなければ」
「まさか……」
「あぁ、そうだ」
カバネは言った。
「エマを使いおまえが地下から連れ出したのは極意書だ。あの後、直ぐに極意書は死に、代わりが必要となった。だから、西園寺家は予備の人間を……カオウを差し出した」
天地が逆さまになる。
ぐらりと揺れて、気がつけば、ぼくは膝をついていた。
止まらない悪寒、吐き気。
ひたすらに、ぼくは、ぐるぐると回る世界で廻り続ける。
「カオウ、顔を見せなさい」
「はい」
カオウはカバネの命令を受けて、隠れていた顔の右半分を露出させる。
醜く引き攣った火傷痕の残る顔面。
――可愛いお化粧をして配信してみたい
ぼくの喉が、ひゅっと鳴った。
「己の顔にアイロンを押し当てて焼いた。キリウ、おまえを守るためだ。三条家の人間はおまえを殺すべきだと考え暗手を差し向けようとしたが、カオウは交換条件を出して三条家の人間を説得した。もう二度と三条家からは出ないと……その誓約を確かなものにするため、カオウは自分の顔を焼いて治療もしなかった」
嗚咽が漏れる。
己の情けなさに笑えてきて、ぼくは膝をついたまま喉を鳴らし掠れた声で笑った。
その様子を眺めながら、カバネはつぶやく。
「キリウ、おまえはなにを救えたんだ? おまえを救ったエマは死にカオウは人形となり、最早、おまえに与するものは誰ひとりとしていない」
「…………」
「カオウはもうおまえを憶えてはいない。二度と反応を示すこともないだろう。おまえの下らない正義の味方ごっこは最悪の結末を招いた。既に三条家の物語は終わっているのだ。理解しろ」
冷たい目で、カバネはぼくへ失意をこびりつける。
「誰も彼もは救えない」
「…………」
奥の間から追い出されたぼくは、表で待っていた待ち人と鉢合わせする。
「久方ぶりね、キリウ」
「…………」
「貴女のこと恨んではいないわ。母が選んだことよ。忠臣として、忍者として、母親として、彼女は為すべきことを為しただけ」
「…………」
「見て」
エイデルガルトは、ステッカーの貼られたノートPCを開いた。
赤と青のオッドアイ。
宮廷ドレスを模したネイビーカラーのゴスロリファッション、耳からは十字架のイヤリングがぶら下がり、逆時計回りで回転している懐中時計が胸に埋め込まれており、その両腕はデフォルメで白骨化されていた。
PC上の配信画面に映る美少女は、ぼくへと神妙な顔つきを向ける。
『キリウさん……』
「カオウよ」
じっと、ぼくは画面を見つめる。
「西園寺家に伝授されていた呪法。人形の依代の代わりに、貴女から貰い受けたノートPCを使ったの。己の人格情報を貴女にもらったPCへ複製した。人形を用いた呪法は西園寺家が得意とするものよ。だから上手くいった。貴女の知っているカオウのイメージからは逸脱しているかもしれないけれど、アレから色々とあったのよ。だから、あっちの肉体はホントの抜け殻で中身はなし、三条家のバカどもはカオウが極意書に変わる過程で壊れたと思っているけれど実際は――」
「すまなかった……」
ぼくは、膝をついてエイデルガルトへ土下座する。
「すまなかった……ぼくは……ぼくは間違えた……失敗した……あぁ、そうだ……ぼくはカオウを……カオウだけを救おうとすればよかった……全ではなく壱を……正義ではなく悪……悪の道を進む覚悟が必要だった……土台が腐っているならすべて壊せば良い……三条家の物語が終わっているならば……三条家ごと壊す……土台……土台が腐っているんだ……そうか……」
「キリウ、どこへ行くの……?」
ふらふらと、ぼくは三条家の門外へと歩いていく。
『キリウさんっ!!』
雨が降り出していた。
細やかな雨粒を受けながら、ぼくは、両手を天へと捧げて微笑む。
「壊してやる……」
――三条の機構が彼女を殺した
「こわしてやるよ、ぜんぶ……ぜんぶぜんぶぜんぶ……その機構ごと……カオウ、ぼくが……ぼくがすくってやる……カオウだけをすくう……そのために……ぼくは……」
天雷が痩身を浮かび上がらせる。
「悪に味方する……」
霧雨の中。
緋色の眼の中に小さな女の子の姿が映った。
紅薄様の衵姿。
腰まで流れる射干玉の長髪は、肩元で絵元結で結ばれ、大垂髪で束ねられている。
あたかも、雨に避けられているかのように。
一粒の雨粒にも触れられていない童女は、ぼくを見つめながら言った。
「陽のことが……視えているのですか?」
彼女の背後の空間に亀裂が入り、そこからハリージドレスを着た長身の女が忽然と現れる。
自然と。
ぼくは、笑っていた。




