徳大寺霧雨 参
「エイデルガルト! 今日こそ、泣かしちゃうから!」
「相変わらず、うるさい小娘ね。忍者は泣いたりしないのよ」
「…………」
なぜ、馬が合ったのかは理解できないが。
エイデルガルトと遊ぶカオウはよく笑うようになり、子犬の姉妹がじゃれつきながら駆け回るみたいにして遊んでいた。
楽しい時間に水を差す部外者は望んじゃいない。
青空の下、警戒を続けるぼくは、ぷかぷか煙草を吸いながら二匹の小娘を眺める。
幼いながらに、エイデルガルトの体力はバケモンだ。
時代の表に立ってきた本家・転法輪三条の裏で、室町から江戸に至るまでの間、諜報・工作・戦術・謀術・暗殺を主にしたいわゆる忍者は、他家と同様に三条屍もまた子飼いにしており、その集団を藤原北家魚名流・藤原千方の四鬼を起源として『隠形衆』と呼んでいる。
甲賀・伊賀・風魔・透波・軒猿・黒脛巾・鉢屋・雑賀・根来・苫屋八々……当時、各地に実在していた忍者たちと隠形衆が隔絶しているのは、黄金郷開拓時代の際に日本へ雪崩込んできた異人、つまり、他国からの強制転移を受けた外人を三条屍の一声で組み入れたことだ。
エマやエイデルガルトのご先祖様は、当時、天下を治めていた徳川の手による征伐を受ける前に三条の手で救い出され(厳密に言えば、ちょろまかしだが)、その一部は隠形衆として務めることとなり、現在に至っている。
昔から、三条屍は人を使うことに長けている……西園寺と徳大寺を三条へと組み入れ、本家大本となる藤原の血を濁しながら、最終的には三条の支配下に置いている手腕は見事としか言いようがない。
エイデルガルトは、その人材の確保・育成の賜物だ。
ぼくにつけられているエマは、三条屍から『万事、キリウの決に従うこと』と言いつけられており、その頑な忠節から外れることはなく、エイデルガルトもまたぼくの言いつけを破ることはないだろう。
「…………」
あぁ、なんともまぁ、嫌になるくらいに三条だ。
「キリウ……さん」
くだらないおさらいに沈んでいたぼくは、カオウに声をかけられ顔を上げる。
「キリウで良いよぉ」
「…………」
「どうした?」
携帯灰皿に煙草を押し付けたぼくは微笑みかける。
「どうして」
カオウは、戸惑いがちに問いかけてくる。
「どうして、三条華扇と遊んでくれますか?」
自身を『三条華扇』と定義している彼女の問いかけへぼくは答える。
「正義と悪をどう定義する?」
「……え?」
「そういう談義を好むアイズベルト家のお嬢さんがいてねぇ……幼い彼女いわく、人間は、生を受けたその瞬間から自身の正義と悪を定義するぅ。そして、人間の決定のことごとくは、その正義と悪の天秤にかけて決められる。要は、人生における選択の数々は、正義と悪の二律によって定義付けられるってことぉ」
「…………」
「わるいわるぃ、あの子は年齢に応じない賢さでねぇ。年を超える聡明さは、もはや悪徳と言っても過言ではない。言い直そうかぁ。例えば、空腹の女の子がふたりいたとする。片方の女の子の家は貧困でパンを買うことすら難しいが、もう片方の女の子の家は裕福で毎日ステーキを食って暮らしているぅ。さて、このふたりの女の子は、同日、同じ商店でパンを手に入れた。けれど、貧しい女の子はパンを盗み、富んでいる女の子はパンを買った。さて、この決断の差異はなんだろうかぁ?」
「……考え方」
「そう、考え方が異なる。貧しい女の子はパンを盗まなければ死ぬが、富んでいる女の子はパンを盗まなくても死ぬことはない。この時、貧しい女の子はパンを盗むことを悪いことだと考えるだろうかぁ? 窃盗が己を救う唯一の正義であったならば、女の子は悪いことだと知りながらも盗みに手を染めるだろう。彼女が盗みを広義的に『悪』と定義していたとしても、状況を鑑みて狭義的に『正義』と定義付けることもあるだろう。対して、富んでいる女の子は、パンを盗まなくても死ぬことはないから、悪いことと知っている盗みを行うことは絶対になぃ」
「…………」
「この世の悪を生むのは『仕方ない』だよ。環境、状況、事情を基にする思考が、判断を濁らせ天秤を傾けて悪を生み始める。三条も同じだ。三条という環境が、状況が、事情が、正義と悪の天秤を大きく左右させるぅ」
ぼくは、地面の上で死んでいくトンボを見つめる。
大量のアリに囲まれて、抵抗ひとつ出来ずに死処へ運ばれていく羽がもげたトンボを。
「……ぼくは、そんなクソは許さない」
「…………」
「そう言えば」
ぼくは、持ってきていたノートパソコンをカオウへ手渡す。
カオウは、まんまるの目をこちらへ向ける。
「これは?」
「型落ちのノートパソコン。大体のヤツは小導体で魔導触媒器にOSを導入するんだろうが、魔力の通らない場所で使う事例を考えたり、魔法を使えなくなった人たち用に電子計算機を作成してるメーカーは幾つも現存してる。まぁ、そもそも、信頼性の観点で魔導を排除した環境は諸々の企業で採用されてるぅ」
「…………」
「ほらぁ」
ぼくは、可愛げのないパソコンにハートのステッカーを貼り付ける。
「コレでかわいい」
「私も貼るわ。はい、忍者」
急に寄ってきたエイデルガルトは、クソダサい『忍』のステッカーを貼る。
幾つかのステッカーが貼られたノートパソコンを受け取り、おっかなびっくりのカオウはレクチャーを受けて電源を点ける。
「エイデルガルトも訓練があるから、毎日は来られなぃ。こいつを使えば、エイデルガルトとビデオチャットも出来るぅ。外との繋がりは大切だぁ、コレで他の友達も作れば良ぃ。ポケットWifiを契約しておいたからコレを使いなぁ」
「…………は?」
「あん?」
小さな声で、カオウはぼくを見上げる。
「……キリウさんは?」
「あぁ、ぼくは……講義中でなければぁ」
カオウは微笑む。
そんな様子を見て、エイデルガルトは肩を竦める。
「カオウも女の趣味が悪いわね。こんなタトゥーだらけのバンドマン崩れみたいなカスのどこが良いのかしら?」
「だから、コレは北欧魔術の術式刻印だって言ってんだろうがぁ」
ぼくは、エイデルガルトの髪をかき回す。
その後、ぼくはカオウにPCの使い方を教え、吸収力の高いカオウはあっという間にその使用方法をマスターしていった。
「エイデルガルト」
PCに夢中になっているカオウを見つめ、ぼくはささやく。
「君は……君だけは、カオウの味方でいてくれ」
「それは主君の命令?」
「あぁ、ぼくの命令よりもカオウの命令を優先して欲しぃ」
「忠臣は二君に仕えず……良いのね?」
「あぁ」
エイデルガルトは静かに膝をつく。
「エイデルガルト・忍=シュミット、仕りました」
ぼくは、彼女の頭をぽんぽんと叩いて頭を撫でる。
今日もまた、日は暮れていった。
*
「脳に損傷があるんですか?」
三条家……否、西園寺家から、カオウを誘拐するとぼくが言った瞬間、奥の間で着替えていたエマは眉間を押さえて言った。
エマの背中にある無数の鞭の痕……過去にヘマをした時についた傷と彼女は言うが、その詳細をぼくですら知らない。
「貴女には、正気という状態が存在しない」
ぼくがDIYした小さな勉強机で宿題をしていたエイデルガルトは、延々と『忍』と書きつける作業を中断し顔を上げた。
「褒め言葉として受け取っておくよぉ」
「愚者の楽観が行き着く先は破滅ですよ」
ぼくの前にコーヒーを置いたエマは、こちらへ視線を向ける。
「で、計画は?」
「口ではなんと言おうとも身体は正直だねぇ……ちょいと話は変わるが、喫緊、西園寺のところの曾祖母がお亡くなりになりそうで」
「キリウ、貴方……ッ!!」
「ちょいちょい、疑惑で人様を黒く染めるなよ。ぼかぁ、なにもしてない。シンプルに寿命だぁ。まぁ、あの婆様に罪はないとは言い切れないが、西園寺の中では珍しいくらいになにもしてはこなかった。そんなお人に手を出したりはしないよぉ」
ニヤニヤしながら、ぼくは肩を怒らせたエマを諌める。
ぼくの表情から真偽を判断したのか、少し落ち着いた彼女は片眉を上げた。
「で?」
「また葬儀が行われる。で、何時もの火葬場で骨を灰へ。そうなれば、当然、半幽閉状態にあるカオウも外へ連れ出されるぅ。カオウは魔法に精通してはいないからねぇ、屋敷の外へ連れ出すのは難儀だったからつけ入る隙を見つけたかった」
「前菜のタネを知りたいわけではありませんよ。連れ去るだけならどうとでもなる。その後の話です。西園寺家はもちろん、ご当主様も黙ってはいないでしょう。西園寺の屋敷から誘拐した後、どのようにして彼女を保護するのですか? それに」
「それに……カオウの周りはきな臭ぃ?」
シャッシャッと、エイデルガルトが鉛筆を削る音が響く。
無言で目を細めたエマに対し、ぼくは咥えた煙草の先端を振ってお辞儀させる。
「払暁叙事、ふくらはぎの痕はしつけではなく開眼の試みだろ?」
「本人が?」
「まぁね、ぼかぁ、人と仲良くなるのが上手い」
「人を謀るのもね」
エマはため息を吐く。
「わかってるなら、西園寺華扇のことは諦めなさい。三条家における払暁叙事の取り扱いは知っているでしょう? 悲願であり宿願なのよ。ご当主様の執着が常に注がれている。溢れんばかりに。あの眼こそが、三条を司っていると言っても過言ではない」
「……知ってるさ」
ぼくは、そっと己の目元に手をやる。
そして、脇腹を露出させた。
「…………」
ぼくの脇腹に彫り込まれた術式刻印を見てエマは黙り込む。
「六歳だぁ」
次に、ぼくは右肩の術式刻印を見せる。
「こっちは七歳……人様に見せられないようなところにも彫ってある。ご存知の通りぃ、術式刻印の彫り込みには激痛が伴う。大の大人が泣き喚きながら、自分の舌を噛み切って窒息死するくらいに。しかも、後遺症としての魔力酔いが常に付き纏う。常時、人体が調節している体外魔力の吸入と排出を術式刻印という付加要素が阻害するからだ。調節が効かないから常に吸いすぎる。または足りない。だから、ぼかぁ、六歳の頃から熟睡出来たことがないし、こうやって多少の魔力と痛みと酔いを誤魔化すためのちょいと強めの煙草が欠かせない。くくっ、とっくの昔にぼかぁ薬漬けだ」
こうして口に出すのは初めてだったが、物心がつくかつかないかの頃からぼくの世話をしていたエマには既にバレている筈だった。
けれども、彼女は、ぼくから目を逸らさずに魔術刻印を凝視する。
「母からも父からもなじられたよぉ……なぜ、お前には才がないのかと……眼……眼、眼、眼だ……寝てる時も飯を食ってる時も女を抱いてる時も、母と父がぼくをなじる声が聞こえてくるぅ……痛みと記憶は結びついてる……結局、徳大寺家が試みた術式刻印の実験は失敗で……ぼくは自然開眼はおろか強制開眼も出来なかったぁ……いたい、やめて、いたい、やめて……幼い自分の絶叫が頭蓋骨の中で反響し、口蓋の奥底で渦巻いているのを現在も感じる……」
くすりと笑い、ぼくは緋色のカラーコンタクトレンズを外す。
「こうやって、強制開眼を簡易的に模しているレンズもつけてはいるがぁ……現在のところ、なにかが視えたり発現させたりすることは出来ちゃあいない……あの時……暗い自室で『父母の愛』を受けていたぼかぁ……いつも、正義の味方が助けに来てくれると信じてた……小さく開いた襖から漏れる光……ほら、正義の味方が来たぞ……ぼくを助けに来たぞ……現在にもあの光は広がり、ぼくの目を焼いて、格好いい正義の味方が颯爽と現れるのだと……でもねぇ……」
ぼくは、指でクマの出来た目元をなぞる。
「そんなもんこなかった……そんなもんはこなかったんだ……六歳の時、術式刻印を彫る前に母が見せてくれたヒーローショーに出てきた正義の味方は……ぼくを救いには来てくれなかった……あの時、ぼくの手を握ってくれていた母の手の感触が忘れられない……だから……」
ぼくは、両手で目の下を引っ張りながら目を見開いた。
「ぼくが……正義の味方になる……」
「…………」
いつの間にか。
宿題を終えていたエイデルガルトは、机に突っ伏してすぅすぅと寝息を立てていた。
エマは優しく彼女を抱き抱えて寝室へと連れて行き、ぼくの元へと戻ってきてからそっとぼくの頭へ手を置いた。
「……慰めか贖罪かぁ?」
「そのどちらでもない」
エマはささやく。
「愛情表現ですよ」
「……くくっ」
ぼくは、縁側から薄暗がりへ向かって煙草を放り投げる。
「十年遅い」
暗闇の中に灯っていた光は。
ゆっくりと、静かに、潰えていった。




