徳大寺霧雨 弐
煙草の引き金を引いた。
オーダーメイドスーツに仕込まれている導体同士が接続され、強化投影が発動する。
跳躍――瓦屋根へ着地したぼくは、煙草をぷかぷか吸いながら散歩する。
「…………」
引き金。
『操作:マイクロ波』、『変化:マイクロ波』。
UWBレーダーの有効範囲は、送信出力と壁の材質に依存する。
動作周波数は日本のマイクロ波帯3.4 - 4.8GHzを使用、西園寺の屋敷の壁素材は竹木舞を基礎とした土壁に漆喰で厚みは10cm程度、必要となる出力は数十mWから数百mW……スマホの電波程度の強度のスルー・ウォール・レーダーで、中にいる少女の姿が見えてくる。
前情報通り、自室にひとりか。
ぼくは空中へ一歩踏み出し、両手をポケットに突っ込んだまま落下、縁側へ向かって置かれた文机で習字をしていたカオウはびくりと反応する。
「どぉもぉ、空からお邪魔します」
「…………」
カオウは、まんまるの目を見開いてぼくを凝視する。
「さぁて、メディカルチェックのお時間だ。立って」
なんの抵抗もなしに。
筆を持ったまま立ち上がったカオウは、物珍しげにしげしげとこちらを見つめる。
「しつれぇい」
靴を脱ぎ散らかして。
和室へ踏み入ったぼくは、彼女の後ろへ回り着物の裾をめくり上げる。
赤と紫。
ふくらはぎには、色濃い赤色と紫色、薄桃色に色付いた線状のあざが数え切れないほど残っていた。
内出血のグラーデーション……過去から現在に至るまで、日常的に行われてきた躾けを示す証左。ふくらはぎの一部がえぐれていて内側にへこむ形で変形しており、指で触れると硬質化した肉とそのおうとつを感じられた。
「…………」
無感動に、カオウはぼくを見下ろしている。
丁寧に裾を戻したぼくは、彼女へ微笑みかける。
「藤条か笞か……まさか、この時代に棒打出孝子を見ることになるとはぁ」
「…………」
「おしゃべりは苦手? 喉に言葉を詰まらせるたいぷぅ?」
「……しらないひととはなしてはいけません」
虚ろな瞳で、カオウは繰り返す。
「しらないひととはなしてはいけません」
「いや、この間、火葬場でぼくとは話した筈ぅ……しかも、ぼくぅは親戚で身内、話したところで刑罰を受ける謂れはなぃ」
「…………」
ぼくは、用意しておいたゼリービーンズをポケットから出して手渡す。
受け取ったカオウは、それを口の中で転がしてからささめいた。
「くんれん」
「なに?」
「くんれんをしてます。しつけではありません」
12~14歳くらいに見えるカオウは、年相応とは言えない幼いしゃべり方で言った。
「訓練? なんのぉ?」
「かいがん」
思わず。
ぼくは、大きく目を見開いた。
「払暁叙事……」
我に返ったぼくは、勢いよく振り返り四方に視線を走らせる。
引き金、0.23秒で走査を終える。自身を中心として半径5メートル範囲にいる人間で、ぼくたちの会話を盗み聞きしているような挙動をしている人物はいない。少なくとも、ぼくの侵入に気付いた様子もない。
「…………」
マルボロの箱を手元で弄んでから。
指パッチンで指先に火を灯しては消してを繰り返していたぼくは、魔力探知に引っ掛かる恐れを思い出し不必要な魔法を控える。
「…………」
強烈な感情の惹起……最も手頃なのは『痛み』によるものだ……長い長い歴史の中で、藤原の血は三条、西園寺、徳大寺の三家に入り混じっている……どこの血筋も、開眼の可能性はある……西園寺は三条からの簒奪を目論んでいて、見込みのあるカオウの自然開眼を望んでいるのか……まずは、強制開眼の方法から学ばせていてもおかしくはない……しかし、今代の西園寺が、ぼくすら掴んでいない極意書の保管場所とその鍵の情報を得ているとは思えない……それに、簒奪は三条屍が大昔に仕込んだ巫蠱継承の儀という呪法機構によって封じられている……だとしたら、なぜ……?
視線を感じて。
顔を上げたぼくは、瞬きを繰り返しているカオウへ目を向ける。
「他になにか訓練はしているぅ?」
ふるふると、彼女は首を横に振る。
「…………」
秘密裏に事を進めているのか? 最終的な自然開眼を狙っているのであれば、痛み以外にも教えることはたらふくあるはずなのに。
まぁ良い。ぼくはぼくの正義を務めるだけだ。
「ねぇ、たまに、こうしてココへ来ても良いかなぁ?」
「……どうして?」
「友達になりたいんだ」
「…………」
『友達』の意味がわからないのか。
小首を傾げているカオウに、ぼくは持ってきたグローブとボールを手渡す。
「やればわかる」
中庭に出たぼくは、煙草を咥えてグローブを嵌める。
ぼくに促されて下駄を履いたカオウは、右手へグローブを嵌めようとする。
「右利きでしょぉ? なら逆の手だ……そう」
左手へグローブをはめたカオウへ、ぼくは下投げでボールを放り投げる。
「…………」
てんてんと。
棒立ちのカオウの横へ落ちたボールは転がっていく。
「そのグローブでキャッチするぅ」
カオウの着けたグローブを上へ向けてやり、拾ってきたボールをグローブのポケットへと何度も落とし入れる。
「こうやって、ボールが飛んできたらグーパーグーパーグーパー……そうそう」
ボールをキャッチさせる感覚を憶えさせてから、ぼくは再度距離をとって、下投げでボールを放り投げる。
今度は上手くいった。
見事にキャッチしたカオウは、自分がしたことが信じられないのか、しげしげとグローブに入ったボールを見つめる。
「次は投げるぅ……ほら、こうやって。肩を使ぅ」
ぼくは、空手でボールを投げるフリをする。
着物姿のカオウは、砲丸投げみたいなフォームでボールを投げてくる。
でも、前へと踏み込んでいたぼくへと届いた。
「ぉお、うまいうまい」
上気した頬で、カオウは下唇を噛んでこちらを見つめる。
「じゃあ、次はこっちから」
下手投げのぼくのボールを、カオウはおっかなびっくり受け取った。
「キャッチボールはコミュニケーション……ボールを通して、相手に嘘偽りのない自分の感情を伝えるぅ。普段、言いづらいことでも、キャッチボールをしてる時には言いやすいもんだ」
「…………」
「ぼくに『遊んでくれてありがとう』って、伝えても良いよぉ?」
「…………」
「はぃい」
唐突に始まったキャッチボールは続いた。
文句ひとつ言わず、ボールを捕っては投げるカオウの額にうっすらと汗が滲む。
様子を見に来た女中の姿がレーダーに映るまでの間、ぼくらは延々となにかを確かめるみたいにしてキャッチボールを続けた。
*
西園寺の屋敷へ忍び込んでの『遊び』は暫く続いた。
「…………」
ぼくの道楽を快く思っていないエマは『出掛ける』と言う度に、ガソリンを一気飲みしたみたいな顔で文句を飲み込んでいた。
しかし、ぼくは、カオウの遊び相手に適しているわけではない。本来であれば、もっと年の近い子供の方が好ましい。
「エイデルガルト・忍=シュミットよ」
というわけで、ぼくは、エマの娘……エイデルガルトを刺客として連れて行った。
この数週間、ぼくが来る時間には準備して待っているようになったカオウは、突然の新規侵入者をまじまじと見つめる。
「あなた、握力いくつ? 私は、あなたの手を握りつぶせるわよ」
「やめろ」
早速、初対面の相手を壊しにかかった自忍娘を止める。
戸惑っているのか、いつもは直ぐに中庭へ出てくるカオウは止まっている。
「キリウ、彼女、自分を主人公にしたストップモーション・アニメーションでも撮影しているの?」
「んなわけあるかぁ、忽然と出現したちんまいのに戸惑ってるだけだよぉ」
「あら、私の時間は高価買取中だと知っているかしら? 時間の浪費はやめましょう、キリウ、いつもみたいに拳術を教えてよ」
「あー……? エマに教えてもらえよぉ、エマにぃ……ぼくの師はエマだし、ぼくのは拳術というより拳覡ぃ。神楽を基にしてる割には罰当たりだし、自分用にアレンジし過ぎて原型がなぃ。それに、ぼかぁ、暴力は苦手なんだよ暴力はぁ」
「だって、ママより貴女の方が強いじゃない」
「…………」
ぼくは、ぷかぁと、ドーナツ型の煙を上方へ吐き出す。
誤魔化していると思われたのか、ちっこいエイデルガルトはこれ見よがしに肩を竦める。
「理解出来ないわね、キリウ。なぜ、わざわざ、この素晴らしい私の時間を奪うようなマネをするのかしら? カオウの遊び相手なら、貴女に傾倒しているアイズベルト家の小娘でも連れてきた方が良いじゃない」
「アレは、人を壊すことに慣れすぎたぁ……お嬢様然した兵器だよぉ。あんなもん、西園寺家の屋敷に連れてきたらテロ行為だと思われるぅ」
「老い先短いからって、貴女が仕込んだんじゃない」
「くっくっ、記憶にないねぇ……まぁ、用意が整ったら、アイズベルト家は、あの子の代わりにぼくがぶち壊すさ」
笑いながら、ぼくはカオウを手招きする。
それでもなお動かないカオウを見て、どうしようかと思っていると――土足で屋敷に踏み込んだエイデルガルトは、カオウの腕を引っ張って、転けた彼女をそのまま外にまで引きずり出す。
「喰らいなさい、レディーファーストよ」
「『喰らいなさい』なんて、枕言葉のつくレディーファーストがあってたまるかぁ。いい加減にしとけよ、このフィジカルバカが」
土まみれになったカオウは、ぱちくりとまばたきをして。
それから――くすくすと笑った。
ぼくとエイデルガルトは顔を見合わせる。
「キリウ、壊れたわよ」
「おまぇが壊したんだよ」
やれやれと苦笑したエイデルガルトは、倒れているカオウへと手を差し伸べる。
「さっさと立ちなさい、弱者」
「おまぇ、その子は西園寺家の――」
「カオウ」
自ら名乗ったカオウを見て、ぼくは仰天し煙草を取り落とす。
「三条華扇」
「弱そうな名前」
そして、ふたりはキャッチボールを始める。
初級から豪速球を放ったエイデルガルトの直球を顔面で受け止め、弾き飛ばされたカオウが楽しそうにしているのを見て、ぼくはぱちぱちとまばたきを繰り返した。




