徳大寺霧雨 壱
正義の味方ってのは窮屈なもんだ。
まずもって、永久の平和を願う求道者みたいな立ち位置からして、ピッチピチに隙間が見当たらない。
なんせ、永久の平和なんてのは、この世界には存在しない。
人類史において平和が実現したことはただの一度もなく、人間が人間を殺すという同族殺しの摂理は、ギロチンへ歩む死刑囚が迎える最期のようにつきまとっている。
ないものねだりをするのは、正義の味方と六歳児くらいのもんだ。
正義の味方は成り立ちから矛盾している。
存在しない理想を掲げ、実在しない夢想を捧げる。
誰一人として見捨てず全員を救うなんて、『空想』ってネームプレートのついた四角い箱の中にだけ在る夢物語。
何時か、白馬の王子様が自分を迎えに来ると信じる夢見がちな乙女の方がまだ現実味がある。
「だからこそ、ぼくは『正義の味方』で在り続ける」
ぼくの話を聞いて、『首だけ女』は脂汗を垂れ流した。
夕闇に包まれた廃工場の裏手、ささくれ立った地面に首まで埋まった女は、頭だけを外に出した状態で目をギョロつかせる。
「き、霧雨……」
「あぁ、あぁ、ぼくの名前も知らぬうちに知れ渡っていたらしい……いやぁ、実に感心。その記憶力には驚嘆だぁ」
ぱちぱちと拍手を送ってから。
ぼくは、彼女を埋めるのに使ったショベルを手に取った。
ぽんぽんと面上を叩きながら感触を確かめていると、つい先程まで他人だった彼女の発汗が増える。
「し、知ってる……が、学校で噂になってる……さ、三条家のお嬢様が暇潰しで『私みたいなの』を狩ってるって……じ、自警団気取りの半グレ……そ、その癖、スコアは一万を超えてるから黙認されてるようなもんだって……」
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」
ショベルの面を受け止め、ぼくはニコリと笑いかける。
「好き?」
「ね、ねぇ、聞いてよ……わ、私はほぼ無関係で……あ、アイリ……アイリに命令されてただけで……だ、だってさ、死ぬとは思わないじゃん……ふ、服脱がせろって言うのもアイリのアイディアだし土下座しろってのもアイリで……」
ショベルを手の甲でノックしながら。
ポケットの中の引き金を引くと、女の両隣に置いたスピーカーから交響曲第41番ハ長調K.551……『ジュピター』の第一楽章が流れ始める。
「わ、私は悪くないじゃん……SNSに上げたのもアイリだしさぁ……わ、笑って写真も撮ったけどソレだけだし……だ、だって、そもそもアイツは男じゃん……す、スコア0で……な、なにしても良いって……」
ショベルをぽんぽんと手で打ち上げながら、ぼくは彼女の周りを廻り始める。
鼻歌混じりに軽やかに。
右へ左へ、ぼくのことを追いかける目に涙がにじみ始める。
「も、もぉしない……もぉしないからぁ……で、でもアイツも悪いじゃん……な、なんで、冬に裸にさせられて家に帰んないの……あ、アイツの服、ハサミで切っちゃったのは悪かったけど弁償するし……だ、だから……」
穏やかな第二楽章を経て、第三楽章に入りボリュームが上がる。
すすり泣きは声を上げての号泣へと変わっていた。
「ごめんなさぃい!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! もう二度としません!! 悪いことしましたごめんなさい!! ねぇ、謝ってんじゃん!! おい!! ふざけんじゃねぇぞ!! テメェ!! 謝ってんだから許せよ!! 悪かったって!! 16歳の子供相手に恥ずかしくねぇのか!! ブス!! ババア、てめ、聞こえ――」
第四楽章、ハ長調、2分の2拍子。
ド、レ、ファ、ミのジュピター音型が際立つ盛り上がり、彼女の真後ろに立ったぼくは高々とショベルを振り上げる。
「聞こえてるよ」
C major。
ド・ミ・ソの主和音が響き渡って……止んだ。
*
三条家の別邸。
縁側に座り込んだぼくは、血まみれの手で煙草を吹かす。
「霧雨様」
「ん~?」
「お遊びも程々に」
「ん~……」
咥えた煙草をぷらぷらと揺らしたぼくは、唯一の協力者であるシュミット家の密偵を見つめる。
「こう見えても、ぼかぁ、道楽でやってるつもりはないけどねぇ」
「貴女の本業は学業でしょう。本業以外の事柄はすべて道楽です。卒業までの単位は足りているんですか。殺しまでしていないのは救いですが、後片付けを手伝わせるのは実母だけにしてください」
「ぼくの母親は、薬のやり過ぎでおっ死んだことになってるよ」
「知っています、皮肉で言っている。実際のところは、徳大寺を削るための三条家による恒例行事でしょう?」
「ここが、三条家の別邸だとはご承知ぃ?」
「認識能力に不便はありませんよ」
お高い黒服で身を包んだドイツ人の密偵兼付き人は、サングラスを指で押し上げてからため息を吐く。
「何時から、16歳の子供を私刑するのが趣味になったんですか」
「何時から、16歳の子供同士であれば私刑は合法になった?」
「…………」
「エマ」
煙をくゆらせるぼくは、薄闇を舞っているホタルを眺めながらつぶやく。
「自分の娘が同じ目に遭っていたら……どうする?」
「あの子は男ではないし訓練も受けている」
「議論の主題に対して適切ではない回答だぁ」
「…………」
「強者と弱者は簡単に入れ替わるぅ……腹ん中にいた時に事故った母親のお陰でこの滑舌だから、色々と得をすることが多くてねぇ……一度、実験したことがある……三条家の人間であることを隠し偽装ツールでスコアも伏せ同年代の学生グループに入った……いやはや驚いたねぇ……あたかも、別の人生を歩むがごとく……虐げられる側を受け持つということがこんなにも苦痛だとはぁ……お陰様で、頭のネジが余分に何回も回転しちまったぁ……どんどんどんどん、回る度に捻じくれながら奥へと進んでいって……現在も……」
ぼくは、煙草の吸い口でトントンと側頭部を叩く。
「ここに埋まってるよ」
「暴力を暴力で解決するのですか?」
「子供に大人気のアンパンの形したヒーローは、毎度のごとく、悪役をパンチでぶっ飛ばして喝采を浴びてるよぉ」
「実に素敵な解答ですね。戦争のプロパガンダに採用されそうなくらいに」
「くくっ……ホワイトハウスのSNSが日本のアニメをプロパガンダに使ってる時代には皮肉になっちゃいなぃ」
「お口が達者で」
「実母が身を持って教えてくれたんでねぇ」
「…………」
「ぶらっくじょーくぅ」
笑いながら、ぼくは、ポケット灰皿へと煙草を押し付ける。
立ち上がり、二本目の煙草に火を点けた。
「ぼかぁ、正義に心酔している……誰も彼もが笑って暮らせる世界なんて幻想に酔った幻想中毒者……わかっているぅ……わかっちゃいるさぁ……この世にそんなもんが成立する隙間なんてないってことはぁ……重々承知……重々承知の上でぇ、ぼかぁ……」
灰皿へと埋めた吸い殻を見つめる。
役割を失って赤く燻る灰溜まりへと、ぼくはつぶやきかける。
「窮屈な正義を張り続ける……」
「その先は」
真っ直ぐに闇を見つめたままエマはささやく。
「地獄ですよ」
「ぼかぁ、芸術鑑賞が趣味でねぇ」
ふぅーっと、ぼくは、黒い宙空へと白い紫煙を吐きかける。
「長岳寺の大地獄図は実に好みだよ」
「……ろくな死に方しませんよ」
「おぅいおい、死後の話なのか生前の話なのか議題の本筋を明確に定義してくれよぉ」
「明日のスーツは?」
露骨に話題を変えた付き人へと、ぼくは肩をすくめて答える。
眉間を押さえた彼女は、ぼそりとささやく。
「HUGO BOSS」
「Nein」
「Escada」
「Nein……ドイツ人好みのジャーマンコンチネンタルはぼくの好みじゃあない。そもそも、墓前に備えるにしてはカジュアル過ぎる」
「知ってますよ、日本の葬儀における奥ゆかしさは……ストライプ柄のグレーのキートンで通夜に出ておいて、今更、なにをのたまうのか。貴女以外、全員、黒無地でしたよ。せめて、告別式はエルメネジルド・ゼニアくらいで抑えておいてください」
「Kleider machen Leute?」
ニヤニヤと笑っているぼくに対し、エマはコレでもかと顔をしかめる。
立ち上がって伸びをしたぼくは、吸いかけの煙草をエマへ差し出す。
「Wie du willst」
「……der Rotzlöffel」
受け取った煙草を吸った彼女は、灰皿へと乱暴に押し付けてから去っていく。
その背中を見送って、ぼくはコキリと首を倒した。
*
火葬場の煙突から白煙が昇る。
「…………」
青い空に白い煙が生える。
そこに交じる紫煙……ぼくの吹きかけた有害物質をふんだんに含んだ副流煙は、風に流されて見えなくなる。
景気の悪い子供がいるなとは思っていた。
現在にも腹の中に詰まった不景気を吐き出しそうな面構えをしていて、駅前でこの世がどれだけ終わっているかを喧伝するためのA4ペーパーを配っていそうな雰囲気を醸し出している。
「……西園寺家の一人娘ですよ」
ぼくの視線に気付いたのか。
背後に控えていたエマがささやきかけてくる。
「本夫の娘か?」
「えぇ、今代の西園寺のは色狂いではありませんでしたからね。なにもかもがOpenだったから身辺調査の結果も真っ白い。今時、珍しいくらいの勤勉家の真面目さんですよ」
「聖書にカラーマーカー引いてそうだなぁ」
「熱心な仏教徒ですよ。他宗教の教典を色ペンで汚すほどの度胸も軽率さも持ち合わせてはいない」
「随分とケチのついた褒め言葉だ」
「褒めてはいませんからね、実際」
エマは、じっと、その一人娘を見つめながらつぶやく。
「熱心で勤勉というのは、他者を加害するのに適した素質だ」
「…………」
ぼくは、無言で西園寺家の娘を煙草で指す。
「首から下」
「えぇ」
「腹か?」
「内臓にダメージを与えるのは危険を伴う。それに子宮が近い」
「足……腿?」
「動脈を避ければ手頃でしょうね。けれど、もっと適切な部位がある」
「ふくらはぎ」
「…………」
「痕は残らなぃ?」
黙ったまま、エマはくいくいと指で引き金を引く真似をする。
ぼくは、肩を竦める。
「で? 名前は?」
「華扇」
エマは言った。
「三条華扇」
「華やかな扇、ね」
「…………」
「正式には西園寺華扇?」
「貴女にはボリュームつまみがついていないんですか? ココは三条家の火葬場ですよ。西園寺も徳大寺も、とうの昔に廃嫡している」
「くっくっく、失礼失礼、おためごかしも極めれば真実へと裏返るぅ」
ぼくは一歩踏み出し、エマに肩を掴まれる。
「さすがにアレはダメですよ」
「アレ、とは?」
「カオウは、貴女の趣味に適してはいない」
うんざりとしたぼくは天を仰いで、肩にかかった手を振り払う。
「キリウ……ッ!!」
制止を無視したぼくは、三人の侍衛と一人の従者がついたカオウの下へと向かう。
警戒した侍衛に留められ、ぼくは、大袈裟にしっしっと手を払った。
「はいはい、わーたわーったぁ、お勤めご苦労さん。同じ三条で親戚のぼくぅが身内と歓談してなにを咎めるって言うんだかぁ。くっくっ、後で告げ口されて時給下げられたくなかったらぁ、黙って次に買うサングラスのブランドでも考えてな」
冷や汗をかいた従者は首を振り、三人の侍衛は静かに下がった。
「…………」
影がかかる。
影中のカオウは、ぼくを見上げる。
「こんにちは、お嬢さん」
「…………」
「あんたを」
ぼくは、口に咥えた煙草に火を点けようとし――やめる。
「救っても良いかな?」
「…………」
無言。
他人とは……いや、格下とは話すなと躾けられているのか。
まんまるとした目で、彼女はぼくを見つめる。
「ぅーん……」
ぼくは、ポケットをまさぐる。
折良く、広告配りからもらった飴玉が入っていた。
「はぁい」
しゃがみ込み、視線を合わせたぼくは、おどけた様子で両の握り拳を突きつける。
「どっちだぁ~?」
「…………」
わざと、飴玉を包んだ包装紙をはみ出させる。
「…………」
長い沈黙が続いた。
ぼくを追ってきたエマがなにか言いたげに睨んできて、一人の従者と三人の侍衛は落ち着かなそうに身じろぎする。煙突から白い煙が上がる。黒無地の連中は遠巻きにこちらへ視線を注いでいた。
青空の下、戸惑う彼女は従者へ救いを求めた。
その強張った表情に答えがないことを見て取ると、彼女は親戚連中と話し込んでいる父親を凝視する。目には見えない繰糸を捉えるために。現在の現在まで、自身を繰っている透明な意思を確認するために。
「選んで良い」
だから、ぼくは言った。
「自分で……選んで良い」
躊躇があった。
長い長い躊躇があって……カオウは、ためらいながらも、飴玉が入っている方の握り拳を選んだ。
「おぉ、正解」
ぼくは、お椀の形で広げた彼女の両手へ飴玉を落とした。
そして、その頭へ手を置いて微笑んだ。
「あんたは選んだ」
ぼくは言う。
「あんたは自らの意思で……選んだんだ」
ぼくは、彼女へ微笑みかける。
困ったように、彼女は手の内に残る飴玉を見つめる。
オレンジ色の水玉模様……その包装紙へ残る甘い残り香を辿るようにして。
エマの咎めるみたいな視線を浴びながら。
ぼくは、静かに彼女の前から立ち去った。




