やくそく
「ヒーロくん、わかってると思うが君の妹は生きてるぞ」
「知ってる。俺の眼をいじっただろ?」
七宝夜桜を鞘に収め視線を向けると、アルスハリヤは空中で足を組んだ。
「自然開眼の条件は『最も大切な者の死を視ること』だからな……最もというのは、過去、現在、未来を通しての唯一無二。自分の未来どころか、自分の過去すらも正確に知り得ない普通の人間にはわからない。人間的な観点と基準で、最も大切な者を判断出来る人間など存在しないのさ。『誰よりも、君が一番大切だよ』なんてセリフは、陳腐なメロドラマでの口説き文句でしか使えない。生殖のための欺瞞なんかで魔眼が開けるんだったら、三条家はあそこまでして開眼条件を秘匿したりはしない。魔眼の判定は、そんなにチャチじゃあないんだ。あらゆる時間軸の情報を収めた払暁叙事を覗き、己の行き先すらも見通し、その開眼条件を真の意味で知覚し得た者だけが叶える」
ふよふよと浮きながら、アルスハリヤは肩を竦める。
「払暁叙事で急所を外していたとはいえ、君の妹の命懸けの献身を無為にするわけにはいかない。視覚情報に介入して、君に視えている光景を少しいじらせてもらったよ。僕の勝手な私見ながら、君に仕舞われていたあの場面でしか開眼は為し得ないと判断した」
「…………」
「極意書を通して払暁叙事の開眼条件を知らなければ、君はきっと、己が秘匿していた内奥へと眼を向けることはなかっただろう。ふとした瞬間に生じる波紋みたいなもので、なにも生まれずに消えゆく衝動でしかなかった。三条家が大切に隠し続けてきた開眼の鍵は、条件を満たすための手がかりなんかじゃあなかったのさ。それは、己自身に埋没し秘匿していた内奥に眼を向け開かせるための鍵。意識、そう意識だ。君に黒戒を持たせ意識付けを行ってきたアステミルは、なにひとつとして間違えちゃあいなかった。君の優秀な師と命を張った妹に感謝した方が良い。そのどちらもなければ、僕らは今頃、揃ってお空の上で反省会の最中だ」
アルスハリヤは、俺の胸に人差し指を突きつける。
「個人の尊厳プライバシーは守るが……許せよ、危急のことだ」
――いーくん
目元を押さえた俺は、ゆっくりと振り返って彼女を見つめる。
眼を閻く。
その瞬間、世界は変わった。
網状に広がった燈色の視線は、光り輝く糸となってこの世を埋め尽くし、三条櫻を中心として全てを視界へ収納する。
櫻が咲いた。
満開となった三条櫻からは、ひらひらひらひら、血の色をした櫻の花びらが降っては回り、散っていった。
目まぐるしく、昼と夜が移り変わる。
月が出て陽が昇り、明るくなっては暗くなった。
時間もまた、加速したり減速したり、櫻は咲いたり散ったりしながら時間の流れを示し生と死を匂わせる。
血色の花吹雪に包まれて。
俺は、一歩、進む。
足元に波紋が立った。
いつの間にか、朧車も景色も失せて、この場にあるのは三条櫻と足元を浸している青く光る水のみ。
その場に立っているのは、ふたり、燈色の瞳を介し邂逅する。
「来たのですね」
時間も空間も、綯い交ぜになった瞬間で。
藤原陽は、笑って振り返った。
「式神さん……貴方も失くした人間として、三界三世の魔眼へと至った。最も大切な人間の死を看取ったのですね」
「…………」
「現在ではない」
悲しそうに、陽はささやく。
「きっと、もっと昔に」
俺は、無言で、見覚えのある画へ視線をやった。
払暁叙事の固有魔法、『魔眼に映る因果の取捨選択』……三条に纏わる過去、現在、未来を捉えている三界三世の魔眼に捉えられ、並行世界という無限の可能性を持ち得たライゼリュートは、網にかかった魚みたいに逃げ道のない破滅へと至った。
だがしかし、ライゼリュートは完全に消滅しておらず、その権能の余力は未だに残っている。
恐らく、ただひとり……藤原陽のために。
「払暁叙事の固有魔法とライゼリュートの権能の相性は最悪……陽がどう足掻いたところで救えなかったでしょう。陽はライゼリュートを『壱』として選ばなかったのに、あの子は陽のためだけに僅かな猶予を遺した。そうであれば、陽がすべきことはひとつしかない」
藤原陽は、俺へと問いかける。
「復讐のために、陽を殺しますか?」
「…………」
俺は、陽を見つめる。
俺の視線を読み取り、両眼を見開いた陽はゆっくりと首を振り、信じ難いものを捉えたかのように後退りをした。
「どうして……なんでまだ……っ!!」
俺は――笑う。
「陽を救おうとしているのですか……っ!?」
「君を笑顔にすると」
俺は、俺として言う。
「約束した」
「妹を害されたとしても!? もう取り返しがつかなくなっているにもかかわらず!? なぜ、その道を選べるのですか!? たったひとり!! たったひとりしか救えないのだと!? なぜ、理解出来ないのですか!?」
「俺からすれば、なんで、お前がその道しか選べないのか理解出来ない」
「…………え?」
俺は、頭上を見上げる。
三条櫻の枝を伝い空へ延びている細く儚い可能性、それはきらきらと光り輝きながら、天へと吸い込まれ見えなくなっている。
どこへ繋がっているのかは……誰にもわからない。
「現在のお前を視ればわかる……誰かを犠牲にして作り上げられた幸せなんてものはろくでもねぇ……全員が笑っていられる方が良いに決まってる……終わってねぇ……まだ、ひとつも、終わってねぇんだよ……誰が死んでも誰が生きても……泣いている人間がいるなら終わらせねぇ……俺は、お前を救ってみせる……誰も見捨てない……櫻は咲かなかった……そんな道理……俺には……」
俺は、ひとり、天の下に立つ。
「通用しない」
「いつまで、そんなワガママをッ!!」
「ワガママも通れば道理だろうがッ!! 全員が笑って終われるッ!! それが非道理だとッ!! 夢見がちなご都合主義だとッ!! なんと言われようともッ!! 俺はッ!! 俺が抱いたワガママを通すッ!! それがッ!!」
笑いながら俺は叫ぶ。
「俺だッ!!」
「ならば、陽も陽の道理を通すのみッ!!」
俺――燈色――陽。
同時に、世界が割れ落ちる。
「「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」」
自然開眼。
燈色の双眼が衝突する。
可能性、可能性、可能性、可能性、可能性……ッ!!
世界が変わり、過ぎて、遷ろった。
凄まじい速度で月と太陽は交代をし、灼熱と極寒が垣間見えて、三条櫻は枯れては芽を出して花を吹雪かせ、俺たちの間を通り抜けるようにして人々の残滓が蒼白の光を残しながら消えていった。
世界が、世界が、世界が。
生まれては消えていく。
俺と陽は、道理を、理想を、自分を押し付け合う。
三条屍のみを救うために世界漂白を行おうとする陽が望む世界は、なにもかもを救うために世界生誕を願う俺の世界に阻まれる。
ありとあらゆる因果が巡り、数十、数百、数千を超えてもなお、運ばれた並行世界が確定することはない。
世界と世界は鍔迫り合い、日月、相照らしながら光を放つ。
残像。
微かに残ったライゼリュートの余力は、陽が発動した払暁叙事の固有魔法により、魔人の残像を形取って俺へと襲いかかる。
過ぎ去る並行世界の中で、俺とライゼリュートの残像が切り結ぶ。
三条櫻を端境とし、四方八方で魔力の蒼光が放たれ散って瞬いて、フィードバックを受けた俺の左腕が根本から千切れ落ち右目が弾け飛ぶ。身体中に亀裂が入ったかと思えば、どっと口から血が溢れる。
「ぐ…………ッ!!」
「式神さん、諦めてくださいッ!! 死にますよッ!!」
「…………」
「式神さんッ!!」
陽の呼びかけを無視し、俺は、残像の相手をしながら世界の押し合いへ意識を向け――左足が消し飛び、がくりと上体が下がる。
数万、数十万、数百万ッ!!
三条櫻を境にして起立する俺と陽は、己が求める世界を視て、視て、視て、血反吐を漏らしながら互いを懸けて道理を張り続ける。
「なぜ……そこまでして……ッ!!」
歯噛みした陽は、苦悶の声を漏らす。
「誰も彼もは救えない……この世の道理に抗うのですか……ッ!!」
「この世の道理が俺の道理に合わねぇからだよッ!!」
踏みしめる。
残った右手で世界を押して。
必死に踏みとどまる俺は、笑いながら叫声を上げる。
「誰も彼もは救えないッ!! 諦めるしかないッ!! 理想論を振りかざすなッ!! あぁ、そうだな、テメェの御託は正しいんだろうよッ!! でもなァッ!! どいつもこいつも、その気楽な御託に従ったらッ!! 泣く側に回った人間は何時までも救われねぇだろうがッ!! お前はッ!! 何時までも救われねぇだろうがッ!!」
「陽は……救われなくたって良い……ッ!! 兄様さえ兄様さえ救われればそれで……ッ!!」
「テメェの中に天秤を作って、選別を行ってる人間があッ!!」
俺は、一歩、また一歩、進む。
「選ぶ必要のない俺にッ!! 勝るわけがねぇだろうがァッ!!」
圧される。
一歩、また一歩、陽は圧されて下がる。
「救ってやるッ!!」
「いやだッ!!」
「救ってやるッ!!」
「いやだッ!!」
「俺がッ!! お前をッ!!」
「いや――」
陽の前まで踏み込んだ俺は、彼女へ笑いかける。
「救ってやる」
「陽は……」
膝をついた俺は、半ばから欠けた小指を捧げる。
たったひとりの彼女へと。
ひとり、願いながら。
「いやだ……」
涙を流しながら、陽は後ろへと下がる。
「いやだ……陽は……陽はいやだ……兄様を……姉様を救わなければ……認められない……認めたくない……なぜ……なぜ、兄様ばかり……兄様ばかり、こんな目に遭わなければならないのですか……いつも……いつもいつもいつも……どうして……っ!!」
「…………」
「陽を救うなら、兄様を救ってください!! 陽を救うくらいなら!! 貴方はすごいのでしょう!? わたくしを救えるのでしょう!? たくさんっ!! たくさんの人を救ってきて!! たくさんの人に愛されてきた!! 自分だけの意志でっ!! 命令されてきた陽とは違う!! 違うのですよっ!! 道具の……どうぐの……ようとはちがって……あ、あなたは……あなたは……っ!!」
一歩、二歩。
後ろによろけながら、陽は涙を飛ばし腕を振った。
「ようはちがう……やりかたをしらない……えがおだった、あなたの妹ともちがう……ずっと、だれかにつかわれてきたから……しっぱいした……あにさまをすくえなかった……たったひとりですらすくえない……どうぐだから……ようは……ようはちがうの……ちがう……ちがうよぉ……っ!!」
泣きじゃくり、陽は両手で顔を覆った。
顔が上がる。
泣きながら、笑って、小さな少女は唇を震わせる。
「どうすればよかったの……」
彼女は、ひとり、俺へと訴えかける。
「ようは……ようは、どうすればよかったの……ようはどうすれば……かぞくが……かぞくがほしかった……ひとをころしたくなかった……眼のことなんでどうでもよかった……どうぐとして……いきていたくなんてなかった……ただ、咲いたさくらがみたかっただけなの……みんなで……ただ、みんなで……」
「……春になったら」
半分なくなった小指を差し出したまま、俺は、彼女へと語りかける。
「みんなで、満開の櫻を見ようと思うんだ」
静かに。
陽は、俺の声を聞いた。
「そこには、藤原も三条も徳大寺も西園寺もいる……誰も欠けちゃあいない……家族だ……家族みんなで櫻を見る……俺の眼には、払暁叙事には、陽も屍も夭も星も光もライゼリュートもいる……君が望んだ家族が笑っている……毎年、春になったら、家族みんなで君のことを想いながら櫻を見上げる……」
「…………」
「俺は」
俺は、笑う。
「絶対に、君が帰る場所が在る世界で待っている」
涙を零しながら。
陽は、俺の小指を見つめる。
「ただひとりの人間の……君に誓う」
俺は――言った。
「俺が、君が帰る場所を作るよ」
両眼を見開いて。
身を震わせた陽は、ゆっくりと、小指を差し伸ばした。
そして、絡める。
すべてを手放して、ただひとりの人間として――誓いを捧げる。
「やくそく……」
血まみれの俺は言った。
「まもりにきたよ……」
震えながら。
口をぱくぱくと開閉させていた彼女は、俺の背中の上で両腕をさまよわせ――
「ぁあ……ぁああ……ぁあああ……っ!!」
声を上げて、泣きながら、俺にすがりつく。
「ぁあああああ……っ!!」
世界は変わる。
俺たちの前で、三条櫻はまばゆい光を発し――消えた。




