神が知り得るもの
ゆっくりと、俺はレイを下ろした。
「…………」
眼を――閻いた。
瞬間、燈色の視線が天を駆け、宙を埋め、地に走った。
俺が視る先には、尽く線が走り、魔人に絡みつく。
幾百、幾千、幾万にも解けた視線の束は、魔人の四肢にまとわりついて寸断し、その全身をひとつひとつ細かく部品へと分けている。
肌、筋、肉、管、骨、胞、分、原、素。
俺の視る先には、魔術演算子にまで分解けた魔人が在った。
その粒子のひとつひとつは、落ちた雫から広がった波紋のようにして空間中に広がっている。魔人として活動している魔術演算子の塊は、俺の視線の先で幾百、幾千、幾万通りにも分裂し、ありとあらゆるパターンで俺への攻撃を繰り出そうとしている。
じわーっと、空間に染み出している燈色の人型。
その人型は、0.7秒後の魔人が持ち得る行動の結末を示しており、俺は、数えることすら敵わないほどに分解けた無数の行動帰結を視線の網で絡め取って収束させる。
結果として、ライゼリュートの放った鉾は俺の頬を掠める。
愕然とした魔人の表情を視る。
瞬間、俺の上下左右、四方八方に開いた画から放たれた剣、鉾、羂索、宝棒、手刀、掌底は、次から次へと襲いかかるが、立ち尽くしている俺の肌の表面を削るだけ削って虚しくも通り過ぎる。
「…………」
眼が合った。
魔眼を閻いている魔人は、並行世界へと繋がる横穴を開いて、格納していた七宝夜桜を引き抜こうとし――俺の手は、その刀を掴んだ。
驚愕。
現在、まさに己のために開いた穴は忽然と消え失せ、代わりに俺の手元で開いて七宝夜桜を手渡していた。
視線は絡みついている。
俺は、無言で七宝夜桜を引き抜いた。
刹那――降り注ぐ剣閃。
無限にも思えるほどに細かく開かれた画から撃ち放たれた剣撃、それらは無数に分かたれ、上面、正面、背面、下面、問わずに白刃の驟雨と化し、宙空を粉微塵にしながら俺へと斬りかかる。
その攻撃の元となっている魔人は、現在、俺の視線に捕らえられている。
だから、収束する。
「…………」
紫電、紫電、紫電、紫電、紫電ッ!!
一閃には一閃、紫電を散らしながら鋼と鋼はぶつかり合った。
振り向きもせずに、俺は、そこへ来ることが決まっている剣閃へと剣刃を合わせ、明朗な音を立てながら弾き、散らし、へし折り、その衝撃の大きさに反して刃毀れひとつしない七宝夜桜を振るい続ける。
俺は、正面を向いたまま、背面からの一撃を受け止める。
「…………」
燈色。
燈色の目玉で、俺は、眼前の魔人を覗いたまま背後からの刃を受け止める。
ライゼリュートの顔面が歪む。
「うちは……うちは……っ!!」
そして、叫んだ。
「魔神を超えたッ!!」
画、画、画、画、画――木っ端微塵に吹き飛んだ朧車、宙空へ投げ出された人間と魔人の一対、360度に開いた数多の画は渦を巻きながら、俺とライゼリュートの周囲を廻転し始める。
人間と魔人は、墜落しながら切り結ぶ。
「七宝夜桜は、ただの玉鋼だろうが!? なぜ、折れないッ!?」
決まっている。
ただの玉鋼から出来ている刀が魔力で補強されていようといなかろうと、白刃と白刃がかち合った一合の先には『刀が折れない未来』は存在している。
最善を”選”ぶのではなく”運”ぶ。
現在、ここには無限の並行世界を開くための鍵となる魔人が在る。そうであれば、自然開眼した払暁叙事の運ぶ能力に制限はなく、ありとあらゆる命運は視線の先に備わっている。
俺は、ただ、眼の先にある帰結を運べば良い。
廻転、廻転、廻転ッ!!
俺を包み込むようにして廻り続ける画からは、錫杖、宝輪、羂索、宝剣、宝棒、宝戟、宝鏡、月輪、日輪、宝箭、鉞斧、鉄鉤、払子、金剛杵が飛び出し、あまりの廻転の速度に黒い線となって渦巻きながら襲来する。
九鬼正宗を抜刀し、二刀となった俺は必要最小限の動きで全方位からの剣嵐を受け流し、ライゼリュートの胴体を輪切りにし、両手を切り飛ばし両足を切断し、下方より鼻梁から入り脳天をかち割った。
「その眼をやめろ……」
燈色の双眼で、俺は、魔人を見つめる。
「その眼をやめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
絶叫と共に開いた画から、呼び出された並行世界のライゼリュートが現れる。
視る。
こちらへと襲いかかる二体目のライゼリュートは、同じ画から現れた弓ヒイロに四肢を射抜かれ、反対側の画へと落ちながら一緒に姿を消し、上方から降ってきた三体目のライゼリュートは杖ヒイロが放った光線で貫かれ胸に大穴を開けたまま足蹴にされ画の中へと消えていった。
三体目、四体目のライゼリュートは、画から飛び込んできた拳ヒイロに頭を消し飛ばされ首を掴まれたまま画の中へと吸い込まれ、五体目のライゼリュートは現れた瞬間に着物ヒイロに唐竹割りにされて別の画へと引っ張り込まれて消え失せる。
六体目のライゼリュートは、汚いヒイロの両手に掴まれて身動きを封じられ、斜め上方向の画から突っ込んできた朧車に轢かれ、バラバラになりながら斜め下方向の画へと放り込まれる。
新たに、雪崩のように押し寄せてきた六体のライゼリュートは、どこからともなく現れた車椅子のヒイロに押し留められ、ベキベキと音を立てながら丸い肉塊と化し、苦笑した白髪の彼に引き連れられて漏斗状の画へと消える。
約60秒の間に行われた並行世界の人間と魔人の攻防の合間、俺は回転するスロットのリールのようにして自分を中心に廻り続ける三十二の画を相手取り、無尽蔵にも思えるほどの武具を片っ端から撃ち落とした。
きらきらと、廻りながら、砕け散った武具の破片が宙空でかがやく。
「陽!? 陽、なにをしてる!? うちを助けろ、よぉおッ!!」
魔人の視線の先で、無駄だと知っている陽は無言で事態の推移を見守っていた。
歯噛みし、ライゼリュートは吠える。
「なぜ勝てない!? なぜッ!? うちは魔神を超えたッ!! 愛を知った!! 愛を知った唯一の魔人で、すべてを手に入れた筈なのに!?」
魔人の顔面が絶望で彩られる。
「なぜ、たかが人間に勝てない!?」
「愛は手に入れるものではなく、手に入っているものだ」
俺は、ささやく。
「現在、お前の手の中には――」
斬り飛ばされた魔人の右手。
開かれた手の中にあった虚空を凝視し、ライゼリュートは呆然と眼を見開く。
「なにもない」
「ち、ちがう……う、うちは……うちは、見つけたんだ……うちは……」
涙が溜まった眼で俺を見据え、魔人はつぶやく。
「かみ、だ……」
「なら、教えてくれよ神様」
俺は、魔人を捉える。
「愛とはなんだ?」
唖然とした魔人は、俺を見つめ――一閃――ライゼリュートの頭の傷をなぞり、一刀は燈色の線を描いた。
頭の傷が開いたライゼリュートは、ぼんやりとした表情を浮かべ、ひとつの画を覗き込む。
彼女は視た。
ひとつの並行世界。
その視線の先には、頭を怪我したまま治療をせず、陽と遊び回っているライゼリュートの姿があった。
楽しそうに笑いながら、無邪気に人間とかくれんぼをして遊ぶ魔人。
決して相容れることのない人間と魔人は、あたかも、本物の家族みたいに笑顔で遊んでいる。
「よぉちゃん……」
眼前の幸福な景色を、震えながらライゼリュートは確かめる。
触れるか触れないか。
ぴくぴくと指先を蠢かしながら、大切な軌跡をなぞるかのようにして魔人は手を伸ばした。
そして――触れる。
彼女は、心底、幸せそうな笑みを浮かべた。
「みぃつけた……」
さらさらと、伸ばしたその指先から全身が崩れ落ち始める。
自分自身の意志で消滅を願った魔人は、ようやく、探し続けていたものを見つけ出し潰えてゆく。
「…………」
やって来た朧車に着地し、俺は、流れ去ってゆくきらめきを眺める。
視線の先で。
強く瞬いたその光は、天上から人間へと教えを与え――消えていった。




