自然開眼
朧車から朧車へと飛び移り。
どちゃりと、倒れ込みながら不格好に着地したレイは辛うじて立ち上がる。
「レイ……」
息も絶え絶え。
へし折れた左腕の肘からは、肉を突き破り骨が突き出している。
腰元まで伸びている髪は赤黒く染まっており、レイは、痙攣しているまぶたをこじ開けこちらを見つめた。
「今更……今更ながらに思いました……私が私であるように貴方も貴方なんだって……バカですね……貴方は、きっと、こうするってわかってたのに……」
そっと、俺は、差し伸べられた手を握る。
ぽたぽたと。
俺とレイの血は入り混じりながら、指先から滴り、地面へと落ちて綯い交ぜになる。
泣きながら、レイは、俺へと微笑みかける。
「初めての……兄妹喧嘩ですね……」
「あぁ」
俺と妹は、血を境に並び立つ。
「仲直りは……後に取っておこう」
飛来。
俺は飛んできた陽炎を上へ弾き飛ばし、回転しながら落ちてきた槍をレイは背面掴みで受け取った。
「ぅるわしい兄妹愛」
自身を貫いた陽炎を引き抜き、投げ返してきたライゼリュートは、天を見据えて臓腑へ響き渡るような笑い声を上げる。
「よぉ~く、出来ましたぁ」
「お兄様」
「レイ」
俺とレイは、そっと手を放し――駆ける。
ライゼリュートの眼前へと飛び出した俺は、刀を振り上げながらしゃがみ込み――轟音――側頭部を駆け抜ける朱色の槍、その身に刀身を当てて軌道を調節し、ライゼリュートの脳天に風穴が開いた。
俺の背、肩を蹴って跳躍し、レイは陽炎の石突きを蹴りつける。
頭の奥深くまで突き刺さる朱槍。
抜刀、一文字、それを引き抜こうとしたライゼリュートの腕が上方へ飛ぶ。
返す刀で胴を薙いだ。
逆袈裟――燐光が目の端をチラつく。
粉々に砕け散った光剣……六臂のうちの一本が手刀で光剣を叩き割り、逆側のもう一本が丹念に刀身を砕いていた。
一……二、三、四、五、六ッ!!
次から次へと飛んでくる剣、鉾、羂索、宝棒、手刀、掌底、俺の背後に張り付いたレイと合わせて四腕二十指、その尽くをもって防ごうとするも、防ぎ損ねた鉾と手刀が肩口を貫いて切り開いた。
一瞬、視界が闇へ落ちる。
マズい……血が……血が足りない……意識が……落ちる……ッ!!
俺もレイも限界だった。
血も足りなければ魔力も足りず、並行世界を開いては別空間の魔力を補填し続けるライゼリュートとは異なり、限界値へ近づき続けている俺たちは、死の淵を直ぐ傍に感じながらも次手を担い続ける。
アルスハリヤは、俺の耳元で怒声を張り上げる。
「ヒーロッ!! 閻けッ!! 自然開眼しかないッ!!」
左、左上、上、右、右下、下。
ライゼリュートを中心に開いた計六箇所の画、そこへ魔人の六臂は突っ込まれ、同様に俺を中心として開いた計六箇所の画から、剣、鉾、羂索、宝棒、手刀、掌底が現れては正確に急所を狙ってくる。
「閻けてたら……とっくの昔に閻いてる……ッ!! だけど、意識しても……ッ!! 数秒も閻けない……ッ!!」
開かれた画は変幻自在に位置を変え、狙う急所が左右反対になったり、上下反転したり……とらえどころのない攻勢により、開腹、ぼだぼだと臓物を零しながら俺はぜいぜいと息を荒げる。
「まだ、君は、払暁叙事を理解し切れていないッ!! 自然開眼の条件を反芻し、意識し、染み込ませろッ!! 現在、ココでッ!! 完全に閻くんだッ!! それ以外、ヤツに勝つ方法はないッ!!」
「…………ッ!!」
「陽ちゃぁ~ん?」
六臂が――十二臂に増える。
前面と背面の六臂、合わせて十二臂を操り続けるライゼリュートは、防戦一方の俺とレイを完全に抑えながらのんびりと言った。
「世界漂白、始めましょぉ~?」
「…………」
顔面蒼白で。
戸惑っている陽は、削られ続ける俺を見つめ――
「三条屍」
ライゼリュートの言葉を受け、びくりと身を縮こまらせる。
「不幸のまま死なせてだいじょぶそ~?」
「…………」
走り続ける朧車の上で。
くるりと振り返った陽は――燈色――払暁叙事を開眼させる。
世界の崩壊が始まる。
至るところに亀裂が入り、そのヒビ割れは徐々に大きくなる。
揺れる、揺れる、揺れる……三条櫻を境目として天と地に一本の線が入り、地響きを立てながら世界そのものが揺動する。
全人類が揺りかごに乗った地球上でなすすべなくあやされるかのように、なにもかもが音を立てて黙示録のラッパを受け入れる。
「ヒーロッ!! 時間がないッ!! 僕の声に合わせろッ!! 集中しろッ!!」
「…………ッ!!」
「ヒーロッ!!」
アルスハリヤの声が聞こえる。
なにもかもが、スローに視えた。
――ふ、ふつぎょうじょじのしぜんかいがんのじょうけんは……で……
わかってる。
わかってるから、俺は、もう自然開眼を行える。
でも、俺は、きっと。
――いーくん
未だに、現実を受け入れられていない。
赤い。
赤い光が宙を埋める。
逆さまになった天が、真っ赤な血溜まりへと沈んでいくようだった。
逆に青くなっていく地は、真っ青な空へと吸い込まれていくようで。
世界の終わりは、こんなにも美しいのかと思った。
「…………ッ!!」
どうすればいい。
痛みと苦しみ。
永遠と廻り続ける永劫の苦難を前にして俺は歯を食いしばる。
どうすれば……どうすれば、自然開眼の条件を満たせる……俺は……俺はどうすれば……もう二度と……もう二度と間違えないと誓ったのに……言ったろ……俺は俺で在り続けると……助ける……救う……陽も屍も星も夭も光も華扇も霧雨もエイデルガルトもスノウもレイも……全員……全員、助け……全員、助けるなんてことは出来ないのか……?
――ヒーロー参上ッ!!
俺は、未だに、あのジャングルジムの上で夢を見続けてるのか?
――いーくん
俺は。
――いーくん
俺は……ッ!!
「お兄様」
呼びかけられ我に返る。
血と肉が視界を埋める中、俺の後ろにいてくれたレイの声が聞こえた。
「ふたりで一緒に行った遊園地を憶えてますか……?」
こんな状況でなにを?
返事も出来ずに、俺は、九鬼正宗を振るい続ける。
「楽しかったですね、メリーゴーランドに乗って……パパとママに連れてもらった遊園地……お兄様とも一緒に行ってみたかった……私は、ずっと、子供のままで……あの思い出の遊園地に小さなレイを置いてきてしまった……あそこから、私は、ずーっと進めないまま……迷子のままでさまよっていた……」
羂索と宝棒が迫り、右と左へ弾き返す。
「誰かが……誰かが迎えに来てはくれないかって……ううん、違う……パパが迎えに来てはくれないかって思ってた……でも、パパはもうこの世にはいない……だから、あの遊園地で迷子になった小さなレイはさまよい続ける……ひとりで……ずっと……永遠に……でも……でもね……」
涙声が響く。
「あなたが……あなたが来てくれた……」
俺は、刀をふるい続ける。
守るために。
後ろにいる大切な妹を守るためだけに。
「お兄様……ふたりで乗ったメリーゴーランド……観覧車……たのしかったね……たのしかった……私ね……レイね……ようやく、お家に帰れたの……パパからもらった使い捨てカメラ……パパと一緒に、思い出カメラって名前をつけて……パパが言ってた……将来、レイに家族が出来た時にこのカメラを思い出の写真でいっぱいにしたら……その時、レイのお願いごとは叶うよって……最後の一枚……スノウとお兄様と私で……笑顔で撮ったよね……その時……その時、ようやくわかったの……」
俺の前に、レイの笑顔が映る。
俺の後ろから前へと回り、俺を包み込むようにして前へ飛び出したレイはとびっきりの笑顔で言った。
「こんな私にも」
その胸の中心から――
「大好きな家族が出来たよ」
鉾が突き出る。
胸の中心を貫かれたレイは、笑いながら血を吐き出し――倒れる。
俺は、彼女を抱き留める。
「レイ……レイ……ッ!!」
「ふ、ふつぎょうじょ」
無理矢理、しゃべろうとして口から血が溢れる。
肺に血が溜まって呼吸が出来ていない、地獄の苦しみの中、レイは顔を歪めて血を吐き出しながら言った。
「ふ、ふつぎょうじょじの……し、しぜんかいがんの……じょ、じょぉけん……わ、わたし……じ、じしんないけれど……お、おにいさまの……たすけ……に……」
「しゃべるな……しゃべらないでいい……っ!!」
震える手で。
レイは、血で汚れた一枚の写真を撮りだす。
そこには、少し色褪せた俺、レイ、スノウの三人が並んで笑っている姿が映っていた。
「わ、わらって……そ、そんなかお……し、しないで……おっ……おっ、にい……さま……の……えがお……が……すき……」
「…………」
俺は。
震えながら、笑顔を作る。
レイは、嬉しそうににっこりと笑った。
「ご……ごめ……ごめんなさ……まきこんで……ごめ……ぱ……ぱぱのかわり……させて……ごめん……」
「もういい……もういいから……」
「そ……そぉだ……わ、わた……し……お、おにいちゃ……んが……ほしかった……ま……ままに……おねだりして……こ、こまらせて……」
「しゃべるな……たのむ……しゃべるな……血を止めよう……れい……」
「お……おに……いちゃんって……よんでも……いい……?」
「あぁ……いいよ……いいよ……」
「おにぃ……ちゃん……わたしの……おにいちゃん……かぞく……みんなで……ゆうえんちに……」
俺の腕の中で、レイは微笑んで俺の頬を撫でる。
「ぱぱ……」
そして、彼女は笑った。
「おねがいごと……かなったよ……」
手が落ちる。
ひとりでに瞳が広がって――止まる。
俺の腕の中で、虚ろな瞳をした少女は空を見つめていた。
ぐったりとしたまま彼女は動かない。
「…………」
絶好の教材を前にして。
攻撃を止めていたライゼリュートは、興味深そうにこちらへ視線を注いでいる。
「…………」
彼女を腕に抱いた俺は立ち上がる。
そして、振り返った。
燈色。
――ふ、ふつぎょうじょじのしぜんかいがんのじょうけんは……
その双眼は、燈色に染まる。
――最も大切な人間の死を視ること
この世は払暁に焼かれ、ひとりの叙事を書き記した。




