そこらへんに転がっているもの
喜、怒、哀、楽、驚、嫌の六面。
壇陀印、剣、鉾、羂索、宝棒の六臂。
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六足。
肩から斜めにかかった条帛に天衣、首から下がる瓔珞、上腕は臂釧で飾られ手首と足首は腕釧と足釧が、虎皮裙の腰巻きが腰回りを覆っている。
蒼色の長髪がゆらゆらと揺れながら逆立ち、不定形の焔髪として燃え立っていた。
大威徳明王を模したライゼリュートは微笑む。
その頭の傷は、綺麗に塞がっていた。
正気を取り戻した魔人が一柱は、臓物をぶち撒けて倒れ伏した俺を抱き起こし耳元へ息を吹きかけてくる。
「Bless you……ASMR……」
ふーふーと、俺の耳朶に息を吹きかけてから。
笑いながら俺を放り捨てた降閻魔尊は、中央の二本腕で組んでいた壇陀印を解いて陽の頭を撫で擦る。
「よーちよちよち、よぉーちゃぁーん……よぉく出来まちたねぇ。アンナタァは、このライゼリュートに『愛』を教え魔神をも超える存在へと至るためのキッカケとなることが出来まちたぁ」
犬猫を可愛がるかのようにして。
ライゼリュートのふたつの手は、陽のほっぺを揉み込み髪を掻き回す。
力強く陽の両頬を引き掴んだライゼリュートは、その頬に爪を立て肉を削ぎながら目の中を覗き込む。
「全部……ぜんぶぜんぶぜんぶぅ、この眼で視ましたよぉン……藤原陽、アンナタァは、たったひとりの兄を救うためだけに全てを捨てた……うつくしぃ……すこぶるうつくしぃ愛……愛愛愛ぃン……屍から生まれし陽光……はぁン……っ!!」
恍惚の表情で、ライゼリュートは己の顎から頭の先まで己が鉾で貫いてビクンビクンと震えながら仰け反る。
「…………ッ!!」
なにかを叫んだライゼリュートは、スッと真顔になってから鉾を引き抜く。
「……顎から頭の先まで貫かれたら声出るわけなかった」
真顔のまま涙を流したライゼリュートは、無表情を保ったまま、反背互相箸合掌の手印でぱちぱちと拍手をする。
「さんじょぉーひーろーくぅん!! アンナタァ、そーぞーいじょぉ!! ナァイスフォロー!! うち、アンナタァのお陰で愛を知ったよぉ!! うち、アンナタァに愛を教えてもらったよぉ!!」
「…………」
血溜まりに突っ伏した俺は、接触している朧車から取り込んだ鉄分により作った鉄糸で腹部血管を縫合しながら機を窺う。
青ざめた表情で立ち竦む陽と肩を組んで。
ぴょんぴょんと左右に跳ねて揺れながら、ライゼリュートは囃し立てる。
「わっかるかな!? わっかるかな!? 真実の愛を知ったうちが次にすること!? わっかるかな!?」
「…………」
陽を突き放したライゼリュートは、臓物をぶち撒けて倒れ伏した俺を抱き起こし耳元へ息を吹きかけてくる。
「End of the world……ASMR……」
ふーふーと、俺の耳朶に息を吹きかけてから。
笑いながら俺を放り捨てた降閻魔尊は、俺の腸をちょうちょ結びにしてから雑に腹の中に戻してくる。
「うち……うちね、感謝してるんだよ……」
両手を組んで、頬を染めたライゼリュートはしゃがんで俺を覗き込む。
「頭を壊し純粋無垢になったうちは、理外しのアンナタァのお陰で『魔人は愛を知ることが出来ない』という無常から脱し、三条という生きる教科書から愛を学ぶことが出来たぁン……だから、うちはこれから真実の愛を見届け唯一無二の愛を知った魔人へと至るぅ……藤原陽という教材を完遂させる……そ・の・た・め・にぃ~?」
つんつんと、俺の頬をつつきながらライゼリュートは笑う。
「この世界を漂白する」
「…………」
「愛のたンめぇにぃ!! たったひとりの兄へ!! 血の繋がらない赤の他人のたンめぇにぃ!! 他の全てを生贄の祭壇へ捧げるぅン!! 愛ッ!! 愛、愛、愛ぃ~ン!! なんて、うつくしぃ愛ぃ~ン!!」
仰け反りながら叫声し、ライゼリュートは両手を筒の形にしてブリッジする。
「愛はそこにありますかぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
「…………」
しゃがみ込んだライゼリュートは、俺の耳をそっと手筒で包み込む。
「品切れですかぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
「…………」
その絶叫によって、俺の鼓膜が破れる。
「……………………」
俺の耳に指を突っ込んできたライゼリュートは、丹念にほじほじと中をほじくり回してから血まみれの指を引き抜いた。
その指を自ら切断し、もぐもぐと食べながらライゼリュートはため息を吐いた。
「はぁ、喜ぶフリも疲れましたねぇン……やはり、なんやかんやとやかましい七椿はイカれているぅン……生涯を捧げた目的を達したところで頭は絶頂ちゃいなぃン……むしろ、涼し気だ……颯爽とした気分で胸がスッキリとしているぅン……夜と朝の境目で、朝露に濡れたミントを口内で噛んだ時のような……めいりょーで……やさしい……目覚め……」
微笑み、己を抱いたライゼリュートは空を見上げる。
「世界が……平和でありますように……」
神様へ願い事を託したライゼリュートは、くるりと振り返り陽へ笑いかける。
「ではぁン、愛をもって世界を滅ぼしましょうか?」
「…………」
そこでようやく、陽はわかったらしい。
己が家族と見做していた魔人は、人間という生物とは根源から異なる魔性であり、高潔さのひとつも持ち合わせない畜生であることを。
「陽ちゃんは、未だ教化が済んでいなぃン……どぅあいじょぉぶ……オン・シュチリ・キャラロハ・ウンケン・ソワカ……愛を知ったうちが、これから、アンナタァを導いてあげ――」
「…………ふっ、ふふっ」
思わず、俺は笑い声を上げる。
振り向いたライゼリュートは、笑い続ける俺を見下ろした。
「……七椿ごっこがお気に召しましたかァん?」
「いや、あまりにもおかしくてな」
ふらつきながら、無理矢理、はみ出した臓物を腹の中へ戻した俺は立ち上がる。
「魔人が愛を知った……ははは、おいおい、冗談抜かすなよ……悪徳さのない純粋無垢さを保つために頭の傷をこさえたお前がね……その傷、陽が目的を達する直前、最後の最後で治るように仕組んでたんだろ……? 屍、陽、光のこともお前が仕込んだ悲劇だ……なにもかもが予定調和に行われる世界漂白……お前がまがい物の愛を知るための筋書き……そんなもんで、本当に愛を知ることが出来たとでも思ってたのか……?」
「…………」
「頭の傷があった時のお前は、必死でなにかを探していたな……?」
「……なにかを探していた? うちが?」
本当に憶えていないらしい。
怪訝な顔つきをしたライゼリュートは顔を歪める。
「お前は、まだ探し物を見つけられてねぇよ……愛……愛ねぇ……人間ですら理解不能な代物だ……人間ですら手の内に収められない美しいもの……お前みたいな杜撰な物書きには描けない美そのものだ……そんなにも愛を知りたいのなら……教えてやるよ……」
ふらふらと揺れながら。
俺は、真っ直ぐ、魔人の胸の中心を指した。
「愛は……愛ってのは……」
その胸に――豪速――飛来した一本の槍が突き刺さる。
串刺しになった魔人は血を吐きながら目を見張り、やって来るもう一台の朧車、血でまみれた一本槍の投擲手は顔を上げる。
「私の兄に……」
三条黎は叫ぶ。
「私の家族に手を出すなッ!!」
膝をついた俺は、笑いながらささやく。
「どこにでもある……」




