三条燈色の紹介
「ミュールさん、扉を!!」
「魔力借りるぞッ!!」
座席の下から這い出たミュールは、引っ張り出したレイの肩に手を置いて拳を撃ち放ち――蒼光と共に弾かれる。
「残念ながら内部からは壊せませんよ。丹念に対魔障壁を張っておりますので」
ガスマスクをつけたネズミは、幾度も拳を叩きつけるミュールへと語りかける。
「デスルフランという麻酔ガスです。致死性はないのでご安心を」
咳き込みながら、レイはミュールの頭を持って伏せさせる。
その様子を見て、パチパチとネズミは拍手を送った。
「正しい対応だ。デスルフランは空気より軽いし揮発性が非常に高い」
「そもそも、空間中の濃度を管理することは不可能でしょう? 致死性はない……例えば、手術用の吸入麻酔薬であれば、濃度が維持されていなければ意味がない。必要濃度に達することは不可能な筈」
「仰るとおり、デスルフランであればね」
がくりと、身体を支えていたレイの腕から力が抜け落ちる。
その様子を見下ろしながら、ガスマスクの裏側でネズミの目が笑む。
「デスルフランは、ハロゲン化エーテル系の揮発性麻酔薬……無色透明ですよ」
愕然として、レイは投擲弾から噴霧されている白色のガスを見つめる。
「申し訳ないが偽装です。効いてくるまでの時間稼ぎが必要だったのでね……米国で臨床試験中にあり、世には出回っていない体性神経系に作用する筋弛緩薬の一種とのみ言っておきますよ」
「…………」
無理だ、私はネズミの存在を想定の外に置いていた……取るに足りない侍衛頭のひとりとして侮ったのが運のツキ。入念に準備してきた彼女に対し、ココから巻き返す術はない。
黙り込んだレイを見て、ネズミは頷いた。
「貴女の対応はすべて正しい。今から貴女には三条家の礎として命を捧げて頂こうとは思っておりますが……その前に話をしましょう」
「今日は良い天気ですね、から始めるつもり? さっさと用件を話しなさい」
ガスマスクの裏から苦笑の声が漏れる。
「レイ様、貴女はなぜ、三条燈色が次代の後継者となることを拒むのか? 確かに、巫蠱継承の儀で次代として選ばれれば、ヒイロ様は藤原、徳大寺、西園寺、三条に纏わる呪いに巻き込まれ、その後、娶った妻や儲けた子すらも生贄に捧げなければならなくなるやもしれません。しかし、富、名誉、権力、およそ人が要するものはすべて手に入る。幸福だと感じる瞬間も手中に収めることもあるでしょう」
「…………」
「にもかかわらず、なぜ、貴女は愛した兄の栄冠を阻むのか? なぜですか?」
「…………ふふっ」
思わずレイは笑って、徐々にその笑い声が大きくなる。
笑い続けるレイを見下ろし、困惑気味にネズミは貫通扉のガラスへマスクを押し付ける。
「なにがおかしいのか?」
「おかしいに決まっているでしょう……あの人が、何時、富、名誉、権力なんて望んだのよ……そんなものを手にして、あの人がしあわせを感じる瞬間なんてあるわけがない……憎まれ口を叩いてばかりの私を助け……何度……何度、その命を懸けて誰かを救ってきたのか……現在も……現在も、あの人は、私を救うために……誰かを救うために命懸けで戦っている……誰も見捨てず己を懸けて戦い続ける……ただ失い続けるだけで、得られるものはなにひとつない……おかしいのよ、あの人……壊れてる……でも、いつも……いつも、笑っている……私の傍で……兄として……家族として……なんの見返りも求めず、ただ、私のしあわせを求めて笑っている……自分以外の何も捨てずに救い続ける……そんな人の……そんな兄の幸福を……」
レイは、涙を浮かべながら言葉を吐き出す。
「お前ごときに……理解出来てたまるか……っ!!」
「恩返しか」
ガスマスクを取ったネズミは、どこか寂しげに微笑む。
「貴女は、肉親を三条家の手で奪われた。だから、復讐のために三条を得たいという怨讐の念もあるのだと思っていた。しかし、違っていたのか。貴女は三条燈色を救いたい一念でこの場にやって来た……三条から脱し、どこか、遠い地で幸せに暮す兄の姿を求めていたのか」
ゴンッと。
音を立てて、拳を貫通扉に叩きつけたネズミは額をガラスに押し付ける。
「私は、三条燈色という男を知らない。縁もゆかりも無い。だから、貴女の気持ちは理解出来ない。同様に、貴女も三条屍を知らない。ゆえに、私の気持ちも理解は出来ないのでしょう。どこまで行っても、我々は平行線、理解の境地で握手することは叶わない」
朧車の速度が上がる。
大きな揺れが車内にまで伝わり、覗き込むネズミはレイを見下ろす。
「貴女は……家に帰れば良かったんだ……あの日、三条家の屋敷にヒイロ様が迎えに来たあの瞬間に……その手を取っていれば……」
「もう、私に家は要らない……あの人が与えてくれたから……」
微笑を浮かべ、レイは答える。
「だから、あの人にあげたい……私がもらったものぜんぶ……あの人が失ってきたものぜんぶ……私は、もう、見つけてもらえなくたっていい……ただ、あの人が……」
ネズミは目を見張る。
「しあわせであれば……それで良い……」
「…………」
「だから……っ!!」
ふらふらと立ち上がったレイは、ガラス窓に拳を叩きつける。
「私は……こんな……ところで……っ!!」
レイは、泣きながら、何度も拳を叩きつけ――その腕が止まる。
「三条妹」
ふらりと起立したミュールは、レイの腕を掴んだまま笑みを浮かべる。
「よく言った」
そして、全力でガラスに拳を叩きつける。
魔力が通わない全力、拳の肉が弾けて骨が飛び出し血でガラスが染まる。
「な……ッ!!」
愕然としながら、思わず、数歩下がったネズミの前で二発目が打ち付けられる。
変形した拳がひしゃげる。
ミュールは、笑いながら、三発目、四発目をガラスへ叩き込む。
「対魔障壁が施されてるなら、単純な膂力で叩き割れば良いだけの話だよなぁ……ッ!!」
「な、なぜ、動ける!? 筋弛緩薬がッ!!」
「どいつもこいつも、中国武術の内功を知らないのかッ!! 筋弛緩薬だか近親間に妬くだか知らないが、毒だろうが薬だろうが、内功使えば巡りを遅くさせることは出来るんだよッ!!」
五発目――ガラスに亀裂が入る。
六発目、と同時に、ミュールの手首が折れてぺしゃりと音を立てる。
その様子を見て、ネズミは勝ち誇った笑みを浮かべ――間髪を容れずに、左拳が叩き込まれる。
「こ、こいつ……」
眼前の光景が信じられず、固まったネズミはつぶやく。
「イカれてる……」
七、八、九……ッ!!
拳から肉へと変わり、骨が露出した左拳が勢いよく振り上げられ――
「あぁ、イカしてるだろ?」
ミュールの言葉と共にガラスが砕け散り、勢いを保ったまま貫いた左拳がネズミの顔面を捉える。
猛烈な勢いでネズミは吹き飛び、錐揉みしながら床へ叩きつけられる。
「三条燈色に、縁もゆかりもあるわたしが教えてやろう」
肉塊となった両拳から血を滴らせ、激痛で大量の脂汗を滝のように流しながら、扉を開け放ったミュールは笑って言った。
「コレが三条燈色だ」




