払暁 対 払暁
「陽」
俺は、ひとり、取り残された少女へと呼びかける。
「終わりだ」
現在、この場にいる人間の中で払暁叙事を持つのはただひとり……彼女を視ることが出来るのは俺だけだった。
たったひとり。
かつて、俺を『式神さん』と呼び慕ってくれた少女は、苦しそうに顔を歪めて首を振る。
「……終わりなどありませぬ」
彼女の瞳が揺れる。
「終わりなど……終わりなどどこにも……陽には……陽には帰り着く場所がない……ようやく……ようやく手に入ったと思ったのです……ずっとずっとずうっと……陽は家族が欲しかった……兄様を……ふたりの姉様を取り返したい……この手で奪われたものを取り返し笑う……それが……」
小指を差し出し、陽はつぶやく。
「貴方との約束だから」
「…………」
「本当は……式神さんの前に現れたくなんてなかった……この眼とライゼリュートを使い、陽は永劫にも思える時を懸けて探し続けました……櫻が咲いている世界を……兄様と姉様たちが笑いながら生きている世界を……そこに陽がいなくても良いから……兄様と姉様が笑ってくれていれば……それだけで良かった……なのに……っ!!」
自分の顔面を両手で鷲掴みにして。
チカチカと緋色に瞬いている両眼から赤色の涙を流しながら、陽はその喉から苦渋を吐き出した。
「どこにも……どこにもそんな世界はなかった……数百、数千、数万、数百万の世界を超えても……っ!! 兄様と姉様は酷い死に方をする他なかった……光様も救える術はなかった……幾千、幾万の世界を超えても積み重なったのは遺骸だけ……なぜ……なぜなのか……頭がぐるぐるぐるぐる、延々と回転する自問自答の獄中……陽は……陽はようやく思い至ったのです……っ!!」
かくりと、陽は頭を横に倒す。
ケラケラと口だけで笑いながら、彼女は真顔で言った。
「この世の自己は、常に他者と相克している」
くるりくるり、陽は、くるりくるり、まわり始める。
翻った紅模様の袖は血の飛沫を飛ばしながら踊る雀のようにして、小さな斑点を描く血球を宙空へ散らしていた。
「ある世界の話でありまする。Aという人物が流行り病で死んだ。しかし、異なる世界ではAは死なずBが流行り病で死んでいた。なぜかと思った陽が調べてみれば、なんてことはない、Aが死ななかった世界ではBのために用意された薬をAが奪っていた。それを視た時、陽は理解いたしました。あぁ、そうか、人間は常に相克している。Aが死ねばBは生き、Bが死ねばAは生きる……壱と壱の奪い合い、世界とは選別とは、そのように形作られているのだと……それに気付いた瞬間、陽の頭蓋骨の中で光が弾けたっ!!」
嬉しそうに。
陽は、にっこりと笑う。
「兄様と姉様以外の人間を殺せば良い……そうすれば、最早、兄様たちを害する他という存在はなくなる。陽の救いたかった壱は全へと裏返る」
口を開こうとした俺を見て、すっと手のひらを前へ出した陽は首を振る。
「わかっておりまする、そんなことは不可能。この世に蔓延る人間を殺し切るなど現実的ではない。ですが、その気付きは無駄ではなかった。かつて、道具として生きていた藤原陽であれば、他者を……全を害することなど思いつきもしなかったでしょう。人間として、壱を優することに目覚めた陽だから考えついた方策。考えました。陽は考えたのですよ、式神さん。長い長い長い長い世界から世界を渡る旅路の只中、沈着した無の曠野を歩く最中、帰り着くところのない無意味な帰路の行中、尽未来際を超えて陽はついに答えへと行き着いた」
宙空へと浮かび上がった陽は、紅の両袖を広げて両腕で世界を抱いた。
「人間が相克するのであれば世界も相克する筈だ」
その厳かな答弁を聞いて。
俺は、ようやく、陽がなにを目的として長和六年の禍を起こそうとしているのかを理解した。
「陽は、この世界を漂白する……そうすれば、この世界と相克している他の世界に変化が訪れる……より良い方向へと世界が変わり、死ぬ定めにある人間が死なない世界が生誕する……」
「それは、なんの根拠もない仮定に過ぎな――」
「なんの根拠もない仮定で良いのですよ」
陽は笑う。
「上手くいこうが上手くいかまいが、試してみる価値はある」
「この世界が……この世界が消えれば、住んでいる人間たちはどうなる……なんの罪咎もない人間が一瞬にしてすべてを奪われるんだぞ……?」
「そんなことはどうでもいい」
ゆっくりと。
あたかも、倒れた人間へと手を差し伸べるかのようにして。
藤原陽は、目の前へと手を伸ばした。
「陽は、全を捨て壱を選ぶ」
しゅるりと。
ライゼリュートは人間サイズへと戻り、両眼に着けた緋色のレンズを光らせる。
「やれ、ライゼリュート」
合掌。
両掌を合わせたライゼリュートは右と左の掌をゆっくりと離していき、地響きを立てながら、横死した二本の櫻の両側へ巨大な画が開き、そこから這い出てきた施無畏印と与願印は眼前の空間へ手をかける。
三条櫻の真ん中。
横死した二本の櫻に挟まれ立死した櫻の中央に発生した境目に手をかけ、ふたつの巨手は世界をこじ開ける。
眼前の空間に亀裂が入る。
そのヒビ割れは、徐々に広がっていき――
「ライゼリュートッ!!」
「アルスハリヤァッ!!」
俺と陽は、同時に払暁叙事を閻いた。




