うたかたのねがい
汽笛が鳴った。
前方の煙突から蒸気が噴き出し空を染める。
しゅっぽしゅっぽ、音を立て、蒸気魔導機関車は走っている。
「…………」
微動だにせず。
口を開こうともしない俺を見つめ、陽は悲しげに顔を曇らせる。
「『なぜ』、『どうして』、『なんで』……式神さんは、陽が幾度も予想した返答を口にはしないのですね」
ましろの煙が、陽の全身をすり抜ける。
この時間軸に存在している筈のない陽は、俺の予想通り、払暁叙事に保存されている『記憶』としてこの場に顕現していた。
未来から過去を視ていた俺と同じようにして。
藤原陽は、平安時代から俺が生きる現在を視ている。
――君は、現在、払暁叙事の裡にある記憶を視ている
アルスハリヤの解説が蘇る。
――払暁叙事には、君が思う以上に大量の情報が蓄えられている。君にしか見えない僕と同じように、連続性をもって脳が騙されているんだ。君は、恐らく、この世界の何もかもに干渉することは出来ない
そう、それは、過去、現在、未来……三界三世の魔眼を開眼させた者同士にしか許されない偶然を噛み合わせた束の間の奇跡。
遥か過去の時代から、魔眼を通し、藤原陽は『未来の俺』を視ている。
遠き未来の時代から、魔眼を通し、三条燈色は『過去の陽』を視ている。
過去と未来を通し、現在、俺たちは意思疎通を図っている。
電話口から聞こえてくる相手の声は、相手の声音を再現した合成音声である。つまり、それは本人の声ではなく、ほぼ時間差がなく再現された過去の音声データだ。だから自然に会話しているように錯覚する。それと同じで、俺たちは、魔眼に記録された情報を基に再現されている互いを認識しているに過ぎない。
それは泡沫、何時、消えるかもわからない追憶、儚い白昼夢に酷似した残滓。
この時間軸において、藤原陽は既に死んでいる。
彼女は、長和六年の禍により家柱に潰されて藻掻き苦しみ、死に怯え、兄へ伸ばした手は握られることなく死んだ。
最早、その事実が覆ることはない。
――ありがとう
だから、コレは、ただの記憶の反芻に過ぎない。
現在を生きる人間が故人を懐かしむのと同じ。
古びたポラロイドカメラに眠る写真を眺め、ボイスレコーダーに残ったじゃれ合いの声を聞き、誕生日に撮った動画を視ながら『あぁ、彼/彼女が存在した世界は楽しかった』と涙混じりにつぶやくのとなんら変わらない。
だから、彼女は、記憶であり記録であり記銘でしかない。
だがしかし。
だがしかし、あまりにも……その情景は真に迫っている。
あたかも、陽が生き返ったかのようで。
俺は、既に、この現在において彼女と出逢っていたことを思い出す。
――式神さん……?
あぁ、そうだ。
――あぁ、そうなのですね、斯様な出で立ちだったのですね……払暁叙事が……だとすれば、わたくしの見ているコレは……
あの時から、既に、彼女は『俺が生きている現在』を視ていた。
――兄様が見つけてくださる筈なのです
あぁ、なんで、今更になってわかるんだよ。
――兄様を見ませんでしたか?
あの時、三条家の本邸であの子に出逢った時から。
――ずっと、兄様を探しております
彼女の願いは知っていた。
――皆で……
この子は、もう、とっくの昔に。
――咲いた櫻を……櫻を見たかった……
己の願いを口にしている。
「知っているから」
陽は。
現在にも泣きそうな顔で言った。
「知っているから聞かないのですね……」
あぁ、そうだ。
俺は知っている。
知らなければならなかった。
――盤外に……俺が想定していなかった『何か』がいる
最初からわかっていた。
――自然開眼した払暁叙事の固有魔法とライゼリュートの平行時空仮構論の合せ技しか有り得ない
俺とレイの払暁叙事が『同時に、藤原陽が存在する平安の世を視る』には、その可能性がある並行世界へとライゼリュートの権能によって移動する必要があった。
――黒幕は
「霧雨の裏にいた黒幕は」
俺は微笑む。
「お前だろ、陽」
――払暁叙事の自然開眼を成し遂げた三条家の人間だ
「そして、その目的は」
光の角度で。
眦が輝いて視える彼女は、泣いているようだった。
「屍を……兄を取り戻すこと」
「やはり、式神さんにはすべてお見通しでしたね」
呆気らかんと、彼女は言って。
世界に――巨大な穴が開いた。
横死と立死が組み合わされた三条櫻の真上には、先細りしていく漏斗状の大穴が空いていた。その穴は世界そのものを吸い込まんとしていて、バチバチと音を立てながら魔力の火花が迸る。
青色、青色、青色。
不気味な発色の火花は、リヒテンベルク図形を描きながら地から天へと逆巻いた。
幾度も、幾度も、幾度も。
世界を青色に染め上げる。
その中心で。
佇立している少女は、静かに微笑んでいる。
「陽は……兄様に幸せになって欲しい」
彼女は言った。
「もう道具はやめたのです……『全』ではなく『壱』を……兄様を選び取りまする……それ以外はどうなっても良い……陽は、そう決めたのです……だから……だから、陽は、これから現界と異界の重ね合わせを執り行いまする」
微笑の下から上へと。
光と共に影が走った。
「式神さんは……陽を止められますか」
「あぁ」
俺は断言する。
「お前を我欲の道具にするわけにはいかないからな」
「……嫌な言い回し」
そして、彼女は笑う。
「止められるものなら」
雲が、空へと吸い込まれる。
枯れ落ちた三条櫻の頭上に空いた穴は――ゆっくりと広がる。
「止めてみろ」
かつて、泣いていた少女は己で涙を止めた。




