俯仰天地に愧じず
流れ込む三条屍の物語。
トントン拍子で、藤原からの簒奪劇を終えた彼は、藤原、西園寺、徳大寺の生き残りを吸収し、その泣き別れから三条の基礎を形作っていった。
恐らく、彼が女の姿を取っていなければ、ここまで事は上手く運ぶことはなかっただろう。
ライゼリュートによる現界と異界の重ね合わせは、『長和六年の禍』として彼が仕出かしたこととなり、以降、男の価値は失墜していったから。
また、調和六年の禍の発動により頭に怪我を負ったライゼリュートが、カバネの言うことであればなんでも聞いたということもあるだろう。あたかも、別人格が宿ったかのように従順な魔人を操り、カバネは三条に邪魔な存在を次から次へと消していった。
平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治、昭和、平成……長い長い時を経て、彼は、ついに死の床へと辿り着く。
そして、彼は、探し求めた存在がその最期にあることを知った。
『燈色』という名前の男児が三条家に連なっていることを知り、自身と同じ男が自分ひいては陽を救う存在『ひーろー』であると信じた。
だがしかし、息を引き取る直前に彼は知る。
魔神が言った『ひーろー』とは『救世主』を示していることを。
目の前にいる『燈色』が『ひーろー』を意味しているわけではなく、自分がただ思い違いをしていただけの可能性があることを。
そして、死にゆく己の手で陽を救うことは出来なかったことを。
「そ、そうか、ようやくわかった、どういう意味かと思えば……ふ、ふふっ……あの御方も性質が悪い……わ、私が救うことは出来なかったのだな……私がしてきたことはすべて無駄ではないか……と、とんだ徒労だ……なにもかもが泡沫……胡蝶の夢、か……」
『壱』を護るため、『全』を犠牲にした男は言った。
「あぁ、そうか……」
屍は屍。
既に死んでいた男は、己が失くした右腕を死に際に眺める。
「おれは……なにも掴めなかったのか……」
払暁叙事に保存されていた『三条家の成り立ち』の記録は、屍の死をもって終わる。
ぷつんと、映像が途切れる感覚。
気が付けば、俺は、ライゼリュートの『平行時空仮構論』によって移り変わった別の未来へと進む。
ありとあらゆる時代を経て。
俺は、咲かなかった櫻へと辿り着く。
「…………」
平安異京。
世界は、最早、枯れ落ちている。
その刻に横死し立死する櫻、三条櫻を中心に廻り続ける朧車の上で、膝をついていた俺はゆっくりと立ち上がる。
「……初めて、貴方の目を視た時から」
眼前で。
三条霧雨は、真っ白な煙をくゆらせる。
煙草の煙は風に流され、一筋の雲となり、俺の頬を掠めながら過ぎ去る。
ばさばさと音を立てながら、進路に背を向けたキリウの髪は進行方向へとたなびき、スーツの裾が逆路へと羽ばたく。
「どうすれば、貴方を排除出来るか考えていたぁ……どうすればどうすればどうすれば……反芻、反芻、反芻……考え過ぎだとも思った、けれども、ぼかぁ、二度と間違えられないから、再びの過ちを繰り返すわけにはいかないから……確実に貴方を退ける方法を考案し実行へと移した……」
キリウは、顔の前に一本の煙草を立てる。
その双眸を分け隔てるかのように。
中心に屹立した白い巻きたばこは、右と左で異なるキリウの表情を垣間見せる。
「ココまでは想定通り……ライゼリュートの平行時空仮構論は発動した……並行世界のぼかぁ、きっと、目的を果たすために殉じたのでしょぉ……だとすれば……ともすれば……ぼっちゃん、あんた、すべてを視てきた筈だ……『三条』を……藤原陽を中心に巡る『壱』と『全』の物語を……」
左目を閉じて。
右目を開ける。
異相を浮かべたキリウは、閉じた左と開けた右で俺を見つめる。
「正直な心根を口にしましょぉ……正味、ぼかぁ、あなたにこだわりすぎている……わかっているぅ、今更、合理を捨て情動を取るなど愚の骨頂だと……だが、けれど、ぼかぁ、自分を押し通す必要があった……そうしなければ……そうしなければ、ぼくは、ぼくを正答だと認められない……ぼっちゃん、あんた……」
彼女は、煙草の先端で俺を指す。
「あまりにも、ぼくに似すぎている……似すぎているんだ……そこまで……そこまで、ぼくに似ていなければ……あなたが……あなたがぼくの前に立ち塞がらなければ……きっと、今頃、こんなことをしなくとも……ぼくは……」
苦笑。
キリウは、ゆっくりと首を振る。
「くくっ……いやはや、コイツは余計な感傷でしたねぇ。ホントのホントに今更の話だぁ……人間てのはどうにも欲深で、なにもかもを合理的に判断することは出来ない。ぼかぁ、己を捨てたつもりでもまだ根っこのところに『キリウ』が残っていたらしい」
ガラリと、雰囲気を変えた彼女はささめく。
「さぁて、ぼっちゃん、まずは元気に挨拶しましょぉ。おかえりなさい。どうでしたか、三条が大事に大事に記録してきたお涙頂戴劇は。最早、三条は終わっているんですよ。とっくの昔に、長和六年に、なにもかもは終わっていた」
キリウは、曇天の切れ目から降った細雨みたいに目を細める。
「終わったことは終わったことだ……なにもかもは救えない……あなたは救えなかった……これで……これでわかったでしょぉ……七椿の時とはまるで異なる……マージライン家の顛末は、さぞや、あんたの心を慰めたことでしょぉねぇ……くくっ……過去に戻って未来を取り戻す……気持ちよかったことでしょぉねぇ……けれどけれど……今回は違う……あんたは、藤原陽を救えなかった……」
徳大寺霧雨は言った。
「櫻は咲かなかった」
キリウは笑い声を上げる。
腹を抱えた彼女は、下卑た笑い声を上げる、上げる、上げる。
長い長い嘲笑の後に。
俺は。
ゆっくりと顔を上げ――笑い声が止まる。
「…………」
驚愕。
目を見張ったキリウは、初めて、人間らしい表情を見せる。
「……あんた」
俺を見て、彼女は言った。
「まだ、救えると……救えると思ってるのか……藤原陽を救えると……三条を救い出せると……本気でそう思っているのか……あんたは……」
キリウはつぶやく。
「ここまでしても……止められないのか……」
「おいおい、驚き顔は驚くほどにマヌケだな。『余裕』の化粧はもう落ちちまったのか? 安物を使ってるからそんなことになんだよ」
追い風を浴びた俺は、笑いながら自身の胸を指す。
「安物買いの銭失いだ。お望み通り、高いツケを払わせてやるよ」
三条櫻を背景に、ニヤついた俺は手招きする。
「さぁ、おいで、キリウちゃん……櫻が見頃だぜ」




