姿性転変
右腕のない男が項垂れている。
傷の手当てが施されていない右腕の切断面は壊死しており、膿をこぼしながら強烈な腐臭を放っている。
「…………」
平安京の外れ。
冬が迫る現在となっては咲くわけのない櫻を見上げ、死を待つだけとなった屍は乾いた唇を蠢かす。
「…………陽」
その場に居合わせた俺は、彼を見つめながら瞬きをする。
俺は、実際にこの場に居るわけではないのだから、払暁叙事に蓄えられた記録を視ているだけに過ぎない……陽は死んだ……だとすれば、彼女の死後、俺は『払暁叙事を持つ誰か』が視ていた光景を観賞していることとなる……。
だとすれば。
コレは……コレは誰の『眼』の記録だ?
物乞いに混じっていたカバネは、眼球に止まった蝿を払い除けるだけの気力を持ち合わせてはいなかった。腐り落ちている右腕の根本に集る蛆へ気を払っているような素振りすらみせない。
にもかかわらず。
彼は、唐突に俺へと視線を向ける。
「…………」
俺が視えてるのか……?
いや、有り得ない。カバネは払暁叙事を開眼していないし、そもそも、『藤原』の血筋ではないのだからその可能性はほぼ0に等しい。
「……誰だ、お前は」
だが。
ハッキリと俺を視ている彼は、感染症で失明し白く淀んだ両目をこちらへ向ける。
「…………」
俺は、背後へ振り返る。
しかし、当然ながら、そこには何者もいない。
「……なに?」
ひとり。
虚空を視ているカバネは言葉を紡ぐ。
「まさか、お前が……お前がそうだと言うのか……陽の……なぜ、今更、おれなんぞに姿を見せた……?」
誰と。
誰としゃべっている?
敗血症による意識混濁? 幻覚症状が出ているのか?
俺を見つめ続けるカバネは、ハッキリとした口調で言った。
「お前が魔神か」
ぞくりと――背筋が凍る。
数秒前に振り返ったにもかかわらず、俺は、もう一度振り返っていた。
いない。いや、なにもない。
俺を……俺を見て『魔神』と言ったのか……?
苦笑した俺は首を振り、短慮な妄想を打ち払う。
バカな、有り得ない……原作ゲームに登場する魔神の正体は『アレ』だった……三条燈色なんかじゃない……俺の介入により原作シナリオが跡形もなくなっていたとしても、ヒイロが魔神となる要因はひとつもない……この『眼』の持ち主を魔神と呼称しているだけだ……。
「魔神」
あいも変わらず、俺を見たままカバネは言った。
「おれに……おれになにを求める……?」
明らかに会話している。
カバネは誰かの声を聞いて反応を示し、相槌を打ったり表情を歪めたりした。
「おれに藤原の息の根を止めろ、と?」
俺には視えない魔神と話しているカバネは苦笑する。
「なぜ、その願いを己で叶えない? 神なのだろう?」
「」
「お前の創った理から外れる存在がいるというのか」
「」
「くくっ、それで、間におれを挟んでの紆余曲折が必要だと……ばかばかしい使いだな。それで、おれになんの得がある?」
「」
「ひーろー」
俺を捉えている目玉。
その中に潜んでいた自身と対面しながら、俺はカバネが発した『ひーろー』という言葉を聞き取る。
「ひーろー……緋色……払暁叙事のことか……違う……存在……その存在がおれを救うというのか……そのためには、おれが作る三条家が必要だと……遙か先の遠い未来、死にかけのおれの元に『ひーろー』が来るというのか……」
「」
「三条家を次代へ遺せというか」
「」
「だが、おれは直ぐに死ぬ」
「」
「不老不死、姿性転変、時世掌握……おれに、不老不死となり女の身となって、『ひーろー』を迎え入れろと言うのか」
「」
「そうすれば」
カバネの眼に――光が戻る。
「陽を救えるのか」
「」
「おれは……」
カバネは、両手で己の顔を搔きむしる。
「おれは……約束した……かくれんぼ……あの子を見つけ出す……必ずや……必ずや、あの子を見つけ出し……救ってみせる……道具のまま……道具のまま終わらせてたまるか……此度こそ……此度こそ、家族を取り戻す……おれが……おれが……この手で……掴んでみせる……」
ふと、彼は振り返る。
その視線の先には――最期まで咲かなかった櫻があった。
「櫻……」
子供じみた、無邪気さすら感じる声音で彼は言った。
「今年は、咲くだろうか……陽姫……夭、星……光……みんなで櫻を……何時の日か、みんなで……櫻を……」
再び、振り返った時には。
カバネの顔には、なんの表情も浮かんではいなかった。
その表情を見て――俺は、鏡に映る自分の姿を――垣間見る。
あぁ。
――いーくん
あの時の俺と同じ顔をしている。
「おれは」
人を止め屍として歩むことを決めた男は言った。
「人間をやめる」
その瞬間。
べきべきと音を立てながら骨が折れ曲がり、肉がひしゃげ、肌がずる剥ける。
あっという間に、地面には血溜まりが出来た。
血の溜まりの中心に立つ屍は、冬に降り積もったまま春に溶けることを忘れた雪を思わせる長い白髪を持つ少女へと変じていた。
その姿には、見覚えがあった。
――おれは……なにも掴めなかったのか……
そう、彼こそが。
「失った腕は、そのままで良い」
現代で、俺に家督を譲った三条家当主その人だった。




