蒼い死神と愉快な仲間たち
それは深夜十一時三十分のことであった。
ゴンゴンゴンゴンゴンッ!
千隼と違って全く慎みも礼儀もない、元気だけが取り柄のノックが、私の部屋の扉を叩いた。こんなノック、面接だったらきっと必ず多分絶対に落とされる。
このまま我が後輩は品位を欠いた状態で良いのだろうか。私が教育すべきなのだろうか。いやだが品位あるアーソルドを想像してみろ、それはアーソルドじゃない、まじ誰おま。
「おはようございます!センパーイ、かざり先輩!起きてるっすか!?」
起きている。昨日は陛下個人の呼び出しだったからちょっと遅れてみただけで、普段の私は朝礼に遅れるような馬鹿な真似はしない。
それにしても相変わらずの煩い大声だ。スルーしても面白そうだが、扉を蹴破らんばかりの勢いに苛立ちが募り、私はバンッ!とそれを開け放った。直後、ゴンッ!という鈍い音が鳴った。
「痛ったあ!?ちょ、かざり先輩、それは酷いっすっ!」
外開きの扉は、向こう側にいたアーソルドの額に見事にぶつかったようだ。アーソルドは赤くなった額を摩りながら、凛々しい眉を情けなく顰め、女子に羨ましがられそうなくりくりの目に涙を溜めていた。
「あっれーごめんねー。まさかそんな近くにいるとは思わなかったんで」
我ながら全く心の籠らない謝罪である。
「ううっ……まだじんじんするっす……って、あれ?」
溜まった涙を死神の黒衣で拭ったアーソルドは、顔を上げるときょとん、と丸い目を更に丸くした。
「千隼君じゃないっすか! 何で朝からかざり先輩の部屋に?」
アーソルドの視線の先にいたのは、私のベッドに座って今までのやりとりを傍観していた千隼であった。私達を見ながら苦笑している千隼は、既に部屋着から着替えており、用意した新品の白いシャツの上に学ランを羽織っている。
「おはよう、アーソルド。昨夜はかざりにお世話になったんだ」
「お世話っすか?」
「そっ、お世話。ハジメテの千隼に手取り足取り教えてあげたってこと。ねー、千隼?」
「……うえ? ……は、はじ……っ!?」
少しからかってやるとアーソルドは、ぼんっ、と面白いくらいに顔を真っ赤に染め上げた。そんな私を、千隼は呆れ顔で窘める。
「かざり、語弊を招くような言い方しないでよ」
「えー?」
「俺、かざりに何も教わってないし」
まあ、昨夜は他愛もない話をしていただけだが。
――さて。後輩弄りはこのくらいにして、そろそろ『眠りの間』に行かなくては。あと十五分程で朝礼の時間である。
今のボーダー柄のセーターに青のプリーツスカート姿では、朝礼には出られない。私は備え付けのクローゼットから、死神の正装、黒衣を取り出し上から羽織った。千隼は特別何かを用意しなくても、学ランが黒いからとりあえずはそれで十分だろう。
「そういえばかざり先輩、何でこんなに部屋が綺麗なんすか? 昨日の荒れようが嘘みたいっすね」
アーソルドは不思議そうに部屋を見回して尋ねる。確かにビフォーアフターっぷりが半端ないことについては認めるが、やっぱり失礼だ。千隼は隣で、一見分からない乏しい表情でドヤ顔をしていた。
「むっかー、女子の部屋に荒れようとか言うんじゃないのー。それよりさっさと朝礼に行かないと。あ、千隼もね」
「俺も?」
「当然。千隼には大事な話があるっぽいしねー」
大事な話というのは、昨日陛下から聞いた千隼を死神として迎え入れる、という話である。
――しかし、当たり前だが、問題もある。
未だ嘗て、生者が死神になったなんて例は存在しない。陛下の決定は絶対だが、不満を持つ者も出てくるだろう。
それに、いくら黒衣を纏って大鎌を持っても、生者にはそれを扱う資格も能力も備わっていない。死神の鎌を扱えなければ魂を導くこともままならないし、天使や悪魔と戦うこともできない。もはやそれでは死神とは言えない。
陛下は何をどうする気なのか。私には理解し難い深いところまで考えているのか。それとも実際のところ適当に言っているだけでミジンコ程度の浅知恵なのか。疑問は募るばかりだ。
「先輩?どうかしました?」
「……いや、脳内で陛下を貶してただけだから気にしないで」
「気にするっすよ!? かざり先輩、チェーザレ様をナチュラルに貶すの癖なんすか!?」
癖か。ふむ、確かにそうかもしれない。私は呼吸と共に陛下への悪態をつくような女だからな、えっへん。
などと無駄口を叩きながら時計に目をやると、もう朝礼まで十分を切っていた。そろそろ部屋を出なければならない時間だ。
「二人共、もう行くよー」
私はアーソルドと千隼を促し、長い廊下を歩き出したのだった。
私達死神の自室がある西塔から、『眠りの間』のある北塔へと繋がる通路を暫く歩いて行くと、やがて、一際大きく豪奢な扉が見えてきた。――『眠りの間』の扉だ。
私はその押し戸を遠慮なく開け放った。
重い扉はギイギイと、蝶番を軋ませながら開かれる。その奥に見えたのは、見慣れた赤い絨毯とシャンデリア、ステンドグラスの窓という絢爛豪華な光景だった。その最奥の玉座に座ってこちらを見下ろすのは、ヒュプノス・キャッスルの王で我らが君主、零番目の死神、チェーザレ・ナイトメアフォードである。……こう考えると偉そうな肩書きばかり持っているな、陛下のくせに。
一つで良いから、私も陛下のような格好いい肩書きや二つ名が欲しい。だってあれだし、私の二つ名って『蒼い死神』と『チェーザレの右腕』だし。前者はともかく、後者作った奴誰だよ出て来いしばくぞ。
「来たか、かざり。そして千隼、アーソルド」
陛下は片目だけでこちらを見やった。
既に今日の朝礼の出席者――長期任務などで外している者もいる――は集まっているらしい。正装の黒衣に身を包んだ死神達は、興味深げに千隼に視線をやっていた。昨日千隼が挨拶して回った時にはヒュプノス・キャッスルを出ていた死神も多い。そういった奴等にとって、見知らぬ人間の千隼は物珍しいのだろう。
しかし、千隼の紹介は朝礼が始まれば陛下がしてくれる筈だし、放置しても問題ないだろう。それより今は、陛下に言いたいことがある。
「おはよーございます陛下、私は貴方に失望しました」
開口一番、正直な心境を述べてみせる。その場に集まっている死神達は、また始まったかと言わんばかりに私と陛下の言葉に耳を傾ける。
「朝っぱらからその第一口は止めないか」
眠気も吹き飛ぶ程冴え冴えとした陛下の紅い目が細められる。しかし、こちらも言いたいことがあるのだ。引く訳にはいかない。といっても、引いた試しなどないのだが。
「いっやー、でも今回は私の勝訴だと思いますよー」
「判決を下すのは僕と決まっている。ここでは僕がルールだ」
「はい、出ましたよ陛下の俺様ジャスティス理論ー」
「お前等が曲者過ぎるから、統括する僕はこうならざるを得ないんだろう。大体、アリッサについての文句は昨日聞いたぞ。それ以外にお前から文句をつけられるようなことの心覚えはない」
「うっわー、陛下ってば最低ですね。もう見損ないました」
「だから何をだ」
本当に分からないといった様子の陛下。私はそんな彼に見せつけるように、ビシッと千隼を指差した。
「まだシラ切るんですかー! 私に千隼の面倒見るようにって、あんなことやこんなことをすることを強要したくせに!」
必殺、話を盛る。
瞬間、私達の言動を見守っていた死神達はざわめき出す。
「かざりがその命令を聞く程殊勝な性格だったことに驚きですね」
「ひゅー、少年クンやるじゃん」
「あの子、かざりちゃんにそんなことしてよく生きてたね」
むむ。私はそういう方向の驚きが欲しかったんじゃない。「きゃー! チェーザレ様サイテー!」「下衆!」「女の敵!」みたいな罵倒の雨が欲しかったのだ。
一方陛下は、玉座の背凭れに立て掛けていた黒い死神の鎌を手に取ると、その柄の部分を勢いよく床に打ち付けた。絨毯の上だというのに大きな音が鳴ったのを見る限り、相当力を込めたらしい。
その音にぴたりと口を噤んだ死神の面々。陛下は彼等をぐるりと見回し、そして最後に私を睨んだ。
「おいかざり。何故お前は誤解を招く言い方しかできない。僕は千隼にお前の部屋で寝る許可をしただけだぞ」
「そもそもそれおかしくないですかー? 女の子の部屋に一緒に寝て良いとか。例えば千隼が、ルぺみたいな節操なしだったらどうしたんですか?」
千隼に向けていた人差し指を今度は、貞操観念の緩さに関しては死神一を誇る漆番目の死神、ヴォルペことルぺに向けた。
当人は「俺だって誰でも良い訳じゃねえから。かざりちゃんみたいな物騒なのは御免だし」と、失礼なことを言っている。ヒュプノス・キャッスルの男達はどれだけかざりちゃんのガラス(但し防弾ガラス)のハートを傷つければ気が済むのか。もっと紳士になれよ。
「ルぺだろうが千隼だろうが、かざりは万が一に闇討ちや夜這いがあっても、返り討ちどころか過剰防衛で半殺しに出来るだろう」
「やだなー、そんなことないですよ、私はか弱い女の子ですから」
「か弱いと自称する前にお前はせめてもう少し可愛げというものを覚えろ」
ほら、またこうやって人を女の子扱いしない。まあ実際に、同じベッドで密着した状態だったとしても、怪しい動きがあったらすぐさま相手を叩き伏せられる自信はあるが。でなければ千隼と一緒になど寝ていない。
「かざり、言いたいことはそれだけか。なら朝礼を始めるぞ、定位置につけ」
陛下の指示に、死神達は玉座の前に横一列で並び始めた。その人数を数えてみると、私と陛下を除くと出席している死神は全部で五人。残りの三人は長期任務で出払っている。
自分の番号の順に並んでいく死神達を横目に私も定位置――陛下の右隣に控える。どうしたら良いのか分からず立ち尽くしている千隼に手招きし、こちらへ呼んだ。
「今日の出席者はこれだけか。では、まず定例報告を始める」
その言葉に真っ先に前へと出てきたのは、雰囲気がザ・根暗の長身な青年。長髪はつ編みに結われているが、それでもボサボサだ。
彼は陛下の前まで歩み寄り跪いた。
「……死神番号弐、范瑞雪、報告します。『記憶図書館』は異常ない、です」
ぼそぼそとした喋り方をする瑞雪は死神としての能力は高いが、かなりの口下手だ。だからアクティブな仕事には全く適性がない。ということで彼は、死神の機密資料やその他諸々の極秘資料が詰まった部屋、記憶図書館の管理人、司書という仕事についている。一日中本ばかり読んでいる彼には天職といっていい程の仕事だろう。
相変わらずの聞き取りにくい瑞雪の声だが、毎回聞いている陛下は慣れている。難なく聞き取り、頷いた。
「ご苦労。最近は他勢力も動き出しているからな、引き続き記憶図書館の守護を頼む。次」
瑞雪が下がり、次いで出てきたのは、ニコニコと笑みを浮かべている優男。しかし、その藍色の目の奥はよく見ると笑っておらず、千隼を注意深く観察している。その目に千隼が少し怯え、強張っているのが伝わってきた。こらこら、脅かすんじゃないぞ大人げない。
出てきた男は瑞雪がやったように陛下の前で跪く。その所作に優美さが感じられるのは、彼が貴族であった経歴を持っているからだろう。
「死神番号肆、ジェッツ、報告します。シリアの国境地帯は緊張が高まりつつあり、大規模な抗争が勃発すれば、対処には複数人の死神が必要になるかと」
「そうか、準備をしておこう。ああ、それとジェッツ」
「何だい、我が主君。僕は任務を忠実かつ誠実に遂行したつもりだったのだけれど、何か問題があったかな」
「そう千隼を緊張させるな。お前がそんな視線をやるからこいつは怯えているだろう」
陛下は眉根を寄せてジェッツを諌めた。流石陛下、ジェッツがそれとなく送った剣呑な目にきちんと気付いていたようだ。
そんな陛下の反応に、ジェッツは困り顔で笑った。苦笑する彼の目には、もう先程のような色は宿っていない。
「ごめんね、疑ってかかるのは癖みたいなものなんだ。慎重になり過ぎてしまう質でね」
「あ、いや、別に……」
ジェッツの謝罪に口ごもる千隼。恐らく、ジェッツの口先だけの優しい言葉に突っかかりを覚えているのだろう。
ジェッツは千隼にひらりと手を振って後ろに下がった。それを見計らい、私は千隼の耳元で囁く。
「千隼、気にしなくて良いよ。ジェッツのあーゆー性格は誰に対してもだからね」
「……うん」
陛下は尚も固くなっているジェッツを横目に、定例報告を進行する。
「次、前に出ろ」
「はいっす!死神番号伍、アーソルド、報告します! 蒼井千隼を天使アリッサから保護、ヒュプノス・キャッスルへ連行したっす! チェーザレ様からの特別任務、無事完遂しました!」
元気良く名乗り出たのは、千隼にとってはもう馴染み深くなったであろう伍番目の死神、アーソルドである。
「ああ、その任務については昨日、かざりから詳しい報告をもらった。下がって良いぞ」
「はい!」
こうして、漆番目のルぺ、捌番目のエフィーちゃんの報告も終わり、とうとう私の番になった。
私は陛下の横から離れ、玉座の前に跪く。
「死神番号玖、月読かざり、報告しまーす。アーソルドと同じく陛下の特別任務を完遂、蒼井千隼を保護及び連行しましたー」
「ほう。今回はきちんと覚えていたようだな」
陛下はどうやら、昨日の報告で私がカンニングしたことを言っているようだ。過去を蒸し返すネチネチした奴はモテないぞ。
しかし、忘れてしまうのも致し方ないと思う。五百年間の死神人生の中で、一体幾つの御魂を導いたと思っているのだ。何度も何度も似たような報告を繰り返していれば、混乱してくるのも当然だ。
「ってゆうか、逆に一々それ位のことで腹を立てる陛下の心が狭いだけだと思うんですよねー」
「……何だと?」
「あっはー、そのままの意味ですよー」
笑みに黒さを湛えだす陛下に、慌てたアーソルドが割って入った。
「わわわっ、ダメっすよ! いくら二人が喧嘩する程仲が良いって感じでも、険悪な空気は良くないっす!」
「何言ってるのかなアーソルド。私と陛下はそんなツンデレ拗らせまくったみたいな関係じゃなくて、普通に殺気を出し合う仲なんだよ。でも今は、邪魔してくれたアーソルドの方に殺意が湧いてるかなー」
「ひえっ!? か、かざり先輩っ……!?」
怖がるアーソルドが面白くて、一歩彼の方に踏み出す。すると一歩後退するアーソルド。つい、更に歩を進めてアーソルドを追い詰めようとすると、
「こら、かざりさん。後輩を苛めるんじゃありません」
「わっ、痛ったー」
こつんっ、と軽く頭を叩かれた。振り返るとそこに立っていたのは、亜麻色の髪を一つに結わえた少女。肌は陶磁器のように白く、その目は長い睫毛に縁取られている。正に、職人が丹精込めて作った人形のような容貌だ。
某国の王族であった経歴を持つ死神だ。しかし、同じく優雅で高貴な血統出身でも、腹に一物ありそうなジェッツとは違い、こちらは純真さを兼ね備えた立派なお嬢様である。
「チェーザレ様に失礼を働くだけでなく、その御前で後輩苛めだなんて。千隼さんに笑われてしまいますよ」
「むっすー、エフィーちゃんてばお堅いなー」
「わたくしは堅くなどありませんわ。どちかというと、かざりさんの方が緩いのです」
「緩い?」
「はい、貴女の緩さは例えるならばワカメですね」
私は海藻か。
「それよりチェーザレ様、話が逸れていますわ。まだ千隼さんのことを知らない死神に紹介をするのでしょう?」
エフィーちゃんの軌道修正に、陛下は頷いた。
「そうだったな。千隼、こっちに来い」
陛下は玉座から立ち上がり、千隼の腕を引いた。まごつく千隼に構わず傍へ引き寄せ、死神達に見せつけるようにした彼は、妖艶な笑みを浮かべた。その色香は女なら、もしくは男でもくらっとくるような凄絶なものだ。勿論、私は何とも思わないけどね。
「ヒュプノス・キャッスルの王、零番目の死神、チェーザレ・ナイトメアフォード。今ここで、『零の宣言』を行使する」
『零の宣言』。陛下が口にしたその単語に、死神達は皆一様に身を固くする。
『零の宣言』とは、陛下——つまりヒュプノス・キャッスルの王のみが行使できる権限だ。この命令に背くことは、いかなる理由があったとしても許されない。もし逆らったりしたら、死神追放は免れない。
「長らく欠番であった壱の死神に、蒼井千隼を指名する」
瞬間、皆の間に動揺が走る。ざわめき、驚愕し、『眠りの間』を騒がしさが支配する。これは、誰もが予想すらできないような展開なのだ。きっとこの中で、あらかじめこのことを知らされていたのは、私だけ。或いは情報統括が職の瑞雪も知っていたかもしれないが、微動だにせず俯いており、それが常なので実際のところは分からない。
陛下が千隼を死神にしたがっていたことは、昨日から知っていた。だから今更驚きはしない。でも、何だろうか、この感じ。例えるならば、涼しい風が一閃、切り込むように身体入ってくるような。内側から今までが突き崩され、新たな何かが動き出すような。
——長らく欠番であった壱の死神の座。それには勿論、深い理由がある。陛下と、今は亡き初代壱の死神との間にあった、深い深い理由が。
それすらも覆して千隼を死神に仕立てようとする陛下は、一体何を企んでいるのやら。
でも、まあ。
「だってさー? まっ、陛下がこう言うんだから、従うしかないよねえ」
ざわめく死神達の声にかき消されぬよう、少し張った声でそう呼びかけた。
陛下の意見に私は従う。何故なら私は、陛下の右腕(笑)なのだから。




