蒼い死神の懇談
私、月読かざりは今、自室のベッドで寝ています。
しかし、背中合わせに蒼井千隼とベッドを共有しているので、いつもよりベッドが狭いです。
「何で私は千隼クンと寝てるんだろうね。あれか、一夜の過ちってやつか」
「その言い方人聞き悪いと思うんだけど」
いけしゃあしゃあと私のぼやきに突っ込みを入れる蒼井千隼。
何故こんな状況になったのかというと、時は一時間前まで遡ることになる。
「さて、そろそろ寝ますかー」
ヒュプノス・キャッスルの西塔三階の角部屋――つまりは自室。私はその部屋の机に向かって本を読んでいた。今読んでいるのはアメリカで話題の推理小説だ。陛下を殺したくなった時に完全犯罪を遂行できるよう、私は日々勉強しているのである。
私は本に栞を挟んで閉じ、壁に掛けられた振り子時計に目をやった。時刻は午後六時頃。人間からしたら寝るには早過ぎるかもしれないが、私達死神には午前零時に朝礼がある。早く寝なくてはやってられない。
シャワーはもう浴びたし、服も着替えた。後は部屋をざっと片付けて寝るだけだ。あくまで、ざっと。
椅子から立ち上がり、部屋をぐるりと見回したその時、コンコンコン、とドアのノック音。
「はいはーい、かざりちゃんですよー。どちら様でー?」
こんな時間に誰だと訝しみつつも返答をする。
「……俺、千隼だ」
――意外な来客だ。
「あっれー、まさかの千隼クン? ……まあ良いよ、入ったら?」
そう促せば、ガチャリとドアが開き、向こう側から神妙な面持ちの蒼井千隼が現れた。
「どうかしたー?私に何か用?」
「…………俺、考えたんだ」
「へ?」
アーソルドに用意してもらったのであろう、学ランからゆったりとした部屋着に着替えた蒼井千隼は、私の部屋に入ってくると、じっとこちらを見つめてきた。黒曜石を思わせるような黒の目は、静かな色を湛えている。
その真剣な雰囲気に応え、私もその目を見つめ返して尋ねる。
「何を考えたって?」
「――アーソルドに案内されて、ヒュプノス・キャッスルを回った。貴女だけじゃない、他の色んな死神とも出会って、分かったんだ。俺を歓迎する人もいれば、快く思わない奴もいる。チェーザレは俺を保護するって言ったけど、それに反対する奴もいる筈なんだ」
淡々と語る蒼井千隼は、特に悲観している様子はなかった。
「だから俺は、まだ完全に死神を信用する訳にはいかない」
「……うん、そうだね。賢明な判断だよ」
このヒュプノス・キャッスルにおいて、陛下の決定は絶対だ。だから本当は、そんなに疑ってかかる必要はないのだけれど、その警戒心は持っていて損はしないものだ。
「でも、この城を出れば天使に殺される可能性がある。だからここにいるべきだ。なら、この城において一番信用できる人物は誰だ? って考えて、それは貴女だった」
「私?」
思わず己を指差して訊き返す。
私が? 一番信用できる? まさか。そんなことを言われたのは初めてだ。同僚の死神にすら、ノーサイド感が拭えないだの、実は黒幕でも驚かないだの言われるこの私である。
「待って待って。それってさー、陛下よりもアーソルドよりも私が信じられるってこと?」
「うん、そう」
「あの能天気で素直で愚直そうなアーソルドよりも?」
真顔でアーソルドを貶す私に苦笑する蒼井千隼。
「アリッサに襲われて殺されそうになった時、一番最初に助けに入ってくれたのが貴女だったから。だから俺は今、この城にいる死神達の中で最も貴女を信用している。……だからこそ、お願いしたいことがあるんだ」
「お願いって?」
「今晩、貴女の部屋に泊めてほしい」
………………は、
何言ってるんだこいつは。
私の胡乱な目に気付いたのか、蒼井千隼は言葉を続けた。
「心配なんだ。もし一人で寝てて、誰かに寝首を掻かれたらって思うと」
「……ははっ、まっさかー。ここの死神にそんな物騒な奴はーーうん、」
いないとは言い切れないな。
「それにほら、キミ分かってる? かざりちゃんは女の子なんだよねー。女の子の部屋に泊めてほしいとか、」
「それなら、チェーザレに了承を取ってあるよ。笑いながら、『あいつを女として扱わなくて構わん。妙なことをすれば殺されるのはお前の方だからな』って二つ返事で言ってくれたから」
二つ返事と言って良いのだろうか、それは。
しかしまあ、陛下の言う通りである。正直に言えば面倒臭いが、蒼井千隼を迎え入れることに関しては特にデメリットはない。だが、腑に落ちない点が一つある。
「なるほどねー。キミが私の元に来た理由は分かったよ。でもさ、何でわざわざ陛下に許可取りに行ってる訳?」
「え、だって貴女、チェーザレと付き合ってるんでしょ」
「何言っちゃってんのかなキモチワルイ。そんな訳ないでしょーが虫酸が走るから」
私とチェーザレが恋愛関係になる日が来れば、その日は恐らくヒュプノス・キャッスル史上最大の衝撃になるであろう。むしろ笑撃だ。いっそ笑えてくる。
ああ、想像したらぞわっと来た。恨めしい目で蒼井千隼を睨みつけるが、彼は「あ、違うんだ」と涼しい顔で呟いた。
――私が睨んでも動じない。アリッサに見つめられた時は足を竦ませていたというのに。やはり蒼井千隼は、人の感情を読み取るのに長けている。私が今、本気で怒っている訳ではないと分かっている。
別にこの場で私の怒りの有無を見抜かれても困りはしないが、これから先、彼が死神として私達と共に仕事をするとなると、感情を読み取られるのはまずいな――そんなことを頭の片隅で考えながら、私は彼の頭にぽんっと手を置いた。丁度、先刻陛下にやられた時のように。
「え?」
思わぬタイミングでのスキンシップに目をぱちくりとさせた蒼井千隼。私は彼に向けて、口角を上げて見せた。
「しっかたないなー、陛下の命令だしね。良いよ、今晩は泊めてあげる」
「……ありがとう。貴女に断られたら、俺、警戒して眠れなかったかも」
大袈裟だな、と思ったが、あながち嘘でもないのかもしれない。アリッサに襲われたばかりだし、不安を感じても仕方がない。
本来、人間とは不安にとても弱い生き物なのだから。かつての人間だった頃の私とてそうであった。
「それじゃ、寝よっかー」
「え?」
「え?」
私の言葉に目を見開いて訊き返す蒼井千隼に、私も訊き返す。今の会話のどの辺りに疑問を持つ点があっただろうか。
彼は部屋に溢れた私の私物――各世界から集めた本や名産品、タペストリーや木彫りの像などの民芸品――を見渡してから、ポツリと一言。
「汚い」
「むっかー、何それ? 別に汚くないじゃん。ほら早く寝よ、私眠いしさー」
あまりの言いように文句を垂れるが、彼は見事にスルーして、腕捲りをした。
「こんなごちゃごちゃした所で寝られないよ。大丈夫、一時間くれれば 大体は片付くから」
――こうして、彼の言葉により、私の部屋の大掃除が始まったのである。
「というかさー、お願いしに来た身の割には遠慮ないよねー」
彼といいアーソルドといい、女子の部屋に対して失礼極まりないと思う。
そして、冒頭に戻る。
こういった経緯により、蒼井千隼の若干潔癖の入った性格が露見し、私の部屋も片付いたのであった。
……いや、そんなことはどうでも良いのだ。今問題なのは、ベッドが狭いということである。
背中に感じるのは、蒼井千隼の呼吸のリズムと温かな体温。こうしてじっくりと生身の人間と触れ合ったのは久し振りだ。死神だからといって体温が低いとか、心音がないとかそういったことは一切ないが、やはり人間とは何処かが違う気がする。
死神にはない、生のエネルギーを感じる気がするのだ。
それがなんとなく、心地良い。
「……貴女、寝たの?」
不意に、背後から蒼井千隼の声が聞こえた。
私はそれに対して、小声で返答する。
「起きてるよ。――ってゆーかさ、」
「なに」
「千隼クンってさー、アーソルドも陛下も名前で呼んでるのに、私のことは貴女としか言わないよねー、何で?」
それはずっと気になっていたことだ。皆に様付けされる(私は例外)陛下ですら、チェーザレ、と呼び捨てにするというのに、彼は私のことだけはずっと、貴女と呼ぶ。
すると、彼が困ったように身じろいだのが分かった。
「だって俺、貴女にまだ自己紹介されてないし」
「あっれー、そうだったっけ」
そういえば、アリッサとの戦闘でごたごたしたまま結局名乗っていなかった気がする。
「じゃあ、改めて。私は月読かざり、陛下に仕える玖番目の死神だよ」
こんなことを背中越しに行う現状を少しおかしく思いながらも、何故だか気が抜ける。学生のお泊りはこういう雰囲気なのだろうか。
「月読、かざり。……ねえ、かざりって呼んでも良い?」
「勿論、恥ずかしい渾名じゃなければ大体オッケーだからねー」
以前アーソルドが提案した渾名はカザリーヌだった。即却下だった。
「かざり、かざり」
「……えっと、さっきから連呼してるけど何かなー?」
「いや、ただ呼んでるだけなんだ」
紛らわしいわ。
私の突っ込みを感じ取ったのか、蒼井千隼は弁解を始める。
「ごめん、なんていうか、こう……呼びたくなるんだ」
「はい?」
「初めてあった時から思ってたけど、かざりといると懐かしい感じがする」
……ナンパか?
「かざりの名前を呼ぶと、何故か安心するんだよ。……何でだろう」
「何でだろうって、こっちの方が何でだろうだよ」
「……だよね、ごめん」
蒼井千隼はそれっきり黙ってしまった。
冷たくあしらい過ぎただろうか。それ程でもない筈なのだけれど。……いやしかし、私が普段よく喋っているのは、専ら陛下やアーソルド、その他の死神達だ。結構辛辣な口論を陛下と繰り広げるこの口は、蒼井千隼には冷たく聞こえただろうか。
などと悶々としていたその時、ふと、自分が彼を、心の中ではいつも蒼井千隼、とフルネームで呼んでいたことに気が付いた。
彼が私をかざりと呼ぶのなら、私が彼を呼び捨てにしても構わないだろう。
「千隼」
「え?」
そう思い立ち、彼の名を呼んでみる。すると彼は、間の抜けた声を上げてぽかんとした。
背中合わせでも伝わってきた空気だけで、彼の間抜け面は安易に想像することができた。
「あは、今のタイミングで驚く要素あったー?」
「い、いや。そういう訳じゃないんだけど。なんか、嬉しいよ。かざりと距離が縮まった気がして」
ふむ、嬉しいか。先程から可愛い発言ばかりする奴だ。
こうやって、今を生きる者とゆっくり話すのは、酷く久し振りだ。私達死神は、老いることを止めた存在、時の流れから弾き出されてしまった者達。本来なら起き得ないことなのだ。
眠いと思っていたのに、気付いたら目が冴えてきてしまった。
「千隼、なんか喋ろ」
「なんか?」
「学生は修学旅行で夜通し喋るもんなんでしょ。ねっ?」
「まあ、そうだね。じゃあーー」
どちらともなく寝落ちするまで、私たちの夜話は続いた。




