第6話 勝ってから言え!
「このまま押せば、勝っ――」
「言うなあああああああ!」
砦の入口から、黒い影が飛び出した。
ミエルだった。
黒いフードは半分ずれ、金色の短いツインテールがばさばさ揺れている。
鎌を引きずる音が、石畳の上でぎぎぎと鳴った。
「むぐっ!?」
騎士の口を、ミエルが両手でふさいだ。
「勝つなとは言ってない! 勝ってないのに勝った空気を出すなって言ってるの!」
「むぐぐ!」
「勝利の確信は、家に帰ってから! 無事に帰るまでが戦場なの!」
騎士は目を白黒させた。
ミエルは死んだ目で続ける。
「僕は今、正式任務になったばっかりなの。もうこれ以上、変な言葉で黒い線を増やされたら、ほんとに帰れなくなるの」
砦の外では、黒槍のガルザの部隊が崩れかけていた。
王国騎士団と砦の守備兵が合流し、魔族の兵は左右に割れている。
折れた槍。
倒れた旗。
逃げる足音。
だからこそ、ミエルは嫌な顔をしていた。
「こういう時が一番危ないんだよ……」
空に、黒い羽根が一枚舞っていた。
風は吹いていない。
それなのに、羽根はゆっくりと戦場の上を滑っていく。
吐いた息。
緩んだ肩。
口の端まで出かかった言葉。
触れるたび、羽根の色が濃くなる。
ミエルは鎌を握り直した。
「全員聞いて!」
小さな死神の声が、戦場に響いた。
「勝った、禁止! 終わった、禁止! もう大丈夫、禁止! あとは任せろ、禁止!」
騎士たちが固まる。
「では、何と言えばいい」
ロイドが聞いた。
ミエルは即答した。
「まだ途中!」
「まだ途中」
「そう!」
ミエルはびしっと指を突きつける。
「敵が動かなくなるまで途中! 残りがいないと確認するまで途中! 帰り道で変な穴に落ちないと分かるまで途中!」
「ずいぶん長いな」
「長くていいの! 生きて帰る方が大事なの!」
若い騎士が、おそるおそる手を挙げた。
「では、敵将の部隊は崩れかけていますが、まだ途中、でよろしいですか」
「よろしい!」
ミエルは強くうなずいた。
「とてもよろしい! その調子で面倒くさく生きて!」
ロイドが剣を抜いた。
視線の先には、黒槍のガルザ。
甲冑は傷つき、片膝がわずかに沈んでいる。
それでも、右手の黒槍だけはまっすぐこちらを向いていた。
ガルザが低く笑う。
「来い、騎士。貴様ひとりで」
ロイドは踏み出さなかった。
横にいた騎士たちへ視線を配る。
「全員で行く」
ミエルが小さく拳を握った。
「よし」
「ロイド様」
若い騎士が前へ出かける。
「ここは――」
自分で口を押さえた。
ミエルの目が光る。
騎士は、喉の奥で言葉を飲み込み、言い直した。
「……全員で受けます!」
「よし!」
ミエルの声が一段高くなった。
「今のは偉い! すごく偉い! 君、今ちょっと寿命に優しかった!」
騎士は褒められているのか分からない顔をした。
ガルザの黒槍が唸る。
風を裂き、ロイドの頭上へ落ちた。
ロイドは一人で受けない。
盾持ちが二人、斜めから入る。
槍兵が足元を払う。
剣士が右腕へ斬りかかる。
ガルザは力任せに盾を弾いた。
だが、その瞬間にはロイドが懐に入っていた。
剣が、黒槍の柄を打つ。
金属音が跳ねた。
ガルザの赤い目が揺れる。
「群れるか」
「全員で行くと言った」
ロイドの剣が二度目を打つ。
騎士たちが左右から押し込む。
誰も一人で前へ出ない。
盾と槍と短い声だけが重なる。
「右」
「受ける」
「下がる」
「合わせる」
ミエルはその間を走り回っていた。
「そこ! 勝った顔しない!」
「してません!」
「眉が緩んだ!」
「眉も気をつけます!」
「君! 今、もう大丈夫って思ったでしょ!」
「思いました!」
「思うな!」
「はい!」
ガルザが咆哮した。
黒槍が地面を叩く。
石畳から黒い杭が伸びた。
ロイドたちは一斉に下がる。
足を止めない。
受けるのではなく、流す。
横へ。
後ろへ。
また前へ。
ガルザの槍が空を切った。
ロイドの剣が、今度こそ黒槍の根元を捉える。
乾いた音。
黒槍が折れた。
戦場に、短い静寂が落ちる。
ガルザの体が揺れた。
ロイドは踏み込み、剣の柄でガルザの胸甲を打ち砕く。
黒い甲冑が割れた。
ガルザが膝をつく。
巨体が、ゆっくりと前へ倒れた。
騎士たちが息を呑む。
誰かの喉が鳴った。
ミエルは全員を見回した。
「言うなよ」
釘を刺す。
「今、絶対に何も言うなよ」
だが、砦の壁の上から声がした。
「敵将が倒れた! もう大丈夫だ!」
ミエルの顔が、すん、と消えた。
「……だから言ったじゃん」
黒い羽根が、燃えた。
風が止まる。
戦場の音が、遠くへ引いていく。
倒れたガルザの体は動かない。
だが、その影だけが起き上がった。
地面に貼りついていたはずの黒が、ゆっくりと立つ。
折れた槍を握る形で。
騎士たちが後ずさる。
「何だ、あれは」
「もう大丈夫、じゃなかったもの」
ミエルは低く言った。
影のガルザが、音もなく槍を構える。
その背中に、黒い羽根が刺さっていた。
開いた本。
笑う仮面。
印が、羽根の根元で淡く光る。
影の口元が裂けた。
ガルザとは違う声が、戦場に流れる。
「まだ、終われぬ」
影が槍を持ち上げる。
「最後に、せめて一太刀」
ミエルが叫んだ。
「お前もかああああああ!」
鎌を振り上げる。
「敵まで綺麗に散ろうとするな! 僕を何だと思ってるの! 終わり際の管理係じゃないんだぞ!」
影ガルザが踏み込んだ。
速い。
重い。
本体が倒れているぶん、影の動きだけが速かった。
黒い線だけが、戦場を走る。
若い騎士が叫びかけた。
「隊長、ここは――」
途中で歯を食いしばる。
盾を構え直した。
「全員で受けます!」
「そう!」
ミエルが走る。
「そういうの! そういうのでいいの!」
別の騎士が周囲へ怒鳴る。
「もう大丈夫ではない! 残敵確認! 影も敵だ!」
「影も敵って何だ!」
「見れば分かるだろ!」
「確認しろ! 床! 天井! 背後! 呼吸してる敵! 呼吸してない敵! 影!」
ミエルが混ざって叫んだ。
「全部見るの! 虫一匹見逃さない確認!」
「そこまでやるのか!」
「やるの!」
ミエルは鎌の柄で地面を叩いた。
「死傷者確認! 残敵確認! 退路確認! 変な羽根が落ちてないか確認!」
「面倒だな!」
「僕の残業に比べれば安い出費でしょ!」
騎士たちは走った。
盾が並ぶ。
槍が重なる。
影の槍が突き出される。
ロイドが受ける。
受けた瞬間、盾持ちが横から押す。
槍兵が下を払う。
影は倒れない。
倒れる体がない。
黒い羽根が、背中で揺れている。
ミエルは歯を食いしばった。
「あそこ」
鎌の先で指す。
「羽根を切ればいい」
「届くのか」
「届かない!」
即答だった。
ロイドは一瞬だけミエルを見た。
ミエルは背伸びした。
届くわけがなかった。
「上げるぞ」
「は?」
「届かないんだろう」
「言い方!」
ロイドはミエルの黒フードの背を掴んだ。
「ちょ、待って! そういう持ち方は死神の威厳が!」
「我慢しろ」
「もっと丁寧に扱って!」
ロイドはミエルを片腕で持ち上げた。
金色のツインテールが、空中で跳ねる。
騎士たちは見ないふりをした。
「見たね!? 今みんな見たよね!?」
「前を見ろ!」
「分かってるよ!」
影ガルザが槍を振る。
ロイドが身を沈める。
盾が前に出る。
ミエルは空中で鎌を構えた。
黒い羽根が目の前にある。
羽根の向こうで、笑う仮面の印がこちらを見ていた。
ミエルが、黒い羽根の向こうを見た。
「死を」
小さく呟く。
「飾りにするな」
鎌が振り下ろされた。
黒い羽根が、音もなく断ち切られる。
影ガルザの体がほどけた。
槍が崩れる。
腕が崩れる。
兜が黒い煤になって、空へ散る。
槍のぶつかる音と、兵の息がようやく戻ってきた。
ロイドはミエルを地面に下ろす。
少し雑だった。
「着地!」
ミエルはよろけた。
「着地が雑!」
「すまない」
「謝るならお菓子もつけて!」
「考えておく」
「考えるな! 出して!」
倒れていたガルザが、わずかに息をした。
ロイドが剣を構える。
ミエルが手を上げた。
「待って」
ガルザの赤い目は、もう薄い。
黒槍は折れている。
甲冑も砕けている。
それでも、ガルザはミエルを見た。
「……我が死を」
低い声だった。
もう、影の声ではない。
「飾るな」
ミエルは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「そこは同意」
小さな黒い帳簿を開く。
ページがひとりでにめくれた。
ミエルはガルザの名を見つける。
そして、細い線を引いた。
「黒槍のガルザ。死亡予定、今日」
帳簿が閉じる。
「確認」
ガルザの目から、光が消えた。
ミエルはそれ以上、何も言わなかった。
ロイドも、騎士たちも黙っていた。
少しして、若い騎士が慎重に口を開く。
「敵将の行動停止を確認。残敵確認に移ります」
ミエルはうなずいた。
「よろしい」
別の騎士が小声で言った。
「死神庁式、面倒だな」
「命が残る面倒なら払いなさい」
ミエルは鎌を肩にかけた。
「あと、今のは僕の残業に比べれば安い出費」
「それは分かった」
「分かればよろしい」
ロイドが砦の方を見る。
兵たちは動き出している。
勝鬨は上がらない。
代わりに、負傷者を運ぶ声と、残敵を確認する声が重なっていた。
誰も、終わったとは言わない。
誰も、大丈夫だとは言わない。
ミエルはようやく、少しだけ息を吐いた。
「学習してる……」
「もっと早く学習してほしかったけど」
その時だった。
砦の屋根から、黒い羽根が一枚落ちてきた。
ミエルの足元に、ひらりと触れる。
羽根の表面に、黒い文字が浮かんだ。
『勇者は、まだ言っていない』
ミエルの顔から、血の気が引いた。
「……帰らせる気ないでしょ」
遠くで、歓声が聞こえた。
勇者の旗が、砦へ近づいていた。




