第2話 ここは俺たちに任せるな!
「隊長! ここは俺たちに任せて、先に――」
「行かせてたまるかあああああああ!」
金色の何かが、横から騎士の顔面に飛びついた。
「むぐっ!?」
「任せない! 絶対に任せない! 人間はすぐそうやって背中で語ろうとする!」
ミエル・ザ・リッパーは、騎士の口を両手でふさぎながら叫んだ。
黒いフードは半分ずれている。
金色の短いツインテールが、怒りでぴょこぴょこと跳ねていた。
「背中を使うのはねえ!」
ミエルは涙目で叫んだ。
「酔いつぶれた奴を運ぶときだけで十分なの!」
「むぐぐっ!」
「それ以外で背中を向けるな! 格好つけるな! 残るな! 置いていくな! 置いていかれるな!」
騎士は目だけで抗議した。
我々は隊長を守ろうとしているのだ、と。
「分かってるよ!」
ミエルは歯をむいた。
「分かってるから止めてるの!」
ロイドは剣を構えたまま、前方を見た。
黒槍のガルザは後退している。
だが、敵兵の一部が左右へ散った。
こちらの退路を潰すつもりだ。
若い騎士たちが、ロイドの前に並ぼうとする。
「隊長、我々が足止めします」
「だから足を止めるなって言ってるでしょ!」
ミエルがまた叫んだ。
「足は動かすためにあるの! 止めたら死ぬの!」
「小娘、戦場を知らぬなら下がっていろ」
別の騎士が言った。
ミエルの顔が固まる。
「小娘じゃない」
声が低くなった。
「死神」
「……」
「二百年働いてる死神」
騎士たちは黙った。
それから、視線が少し下へ落ちる。
ミエルの背丈へ。
「背丈で勤続年数を測るなあああ!」
ミエルが地団駄を踏んだ。
ぽふぽふと土が跳ねる。
「いい!? 君たちがそうやって格好つけて、散っていくとどうなるか」
ミエルの顔が、すん、と暗くなった。
騎士たちは息を呑んだ。
小さな死神の目に、戦場の影が落ちる。
「僕の華金が散っていくんだ」
「……」
「為す術もなく」
騎士たちは、言葉を失った。
ロイドも少しだけ剣先を下げた。
「我々の命ではなく?」
「命もだよ!」
ミエルは涙目で叫んだ。
「でも僕の華金もなんだよ! その二つは運命共同体なんだよ!」
「我々の命と、君の華金が」
「そうだよ!」
ミエルは騎士の胸倉を掴もうとした。
届かなかった。
仕方なく、鎧のベルトを掴む。
「君たちが生きて帰れば、僕は帰れる! 君たちが格好つけて死ねば、僕は帰れない!」
「……」
「だから生きろ! 僕を帰らせろ!」
戦場の空気が、一瞬だけ止まった。
誰も、すぐには口を開けなかった。
ロイドは息を吐いた。
「全員、下がれ」
「隊長!」
「命令だ。誰も残るな」
「しかし、このままでは敵が後方へ」
「下がりながら受ける。横へ流せ。足を止めるな」
騎士たちは顔を見合わせた。
その中の一人が、ミエルを見た。
ミエルは涙目のまま、こくこくとうなずいている。
「早く! 今ならまだ間に合う!」
ロイドが剣を振った。
「下がれ!」
騎士たちが動いた。
盾を構えたまま後退する。
槍兵が斜めに列を組み、敵の突進を横へ流す。
ロイドは最後尾に立った。
「隊長、あなたも!」
「分かっている」
ロイドが一歩下がる。
その瞬間。
さっきまで騎士たちが立っていた地面に、黒い杭が降った。
一本ではない。
十本でもない。
地面を縫い止めるように、無数の杭が突き刺さった。
土が弾ける。
石が砕ける。
盾の破片のようなものが、空中で回った。
誰かが残っていれば、声も出せなかった。
騎士たちは青ざめた。
ミエルは腰に手を当てた。
「ほらああああ!」
怒っていた。
勝ち誇るより先に、怒っていた。
「だから言ったじゃん! 任せるなって! 残るなって! だいたい刺さるの! こういう時はだいたい刺さるの!」
若い騎士が、乾いた喉で言う。
「……今のは、我々を狙って」
「そう!」
ミエルは指さした。
「君たちが残るって言った場所に、死の筋が立ってたの! 黒く! 太く! 見てるだけでぞわっとするやつが!」
「死の筋」
「見えないなら信じなくていい! でも動いて! 死ぬから!」
さっきまで浮いていた苦笑が、誰の顔からも消えた。
敵兵が距離を詰める。
ロイドが剣を上げた。
「円を崩すな。前へ出るな。全員で受ける」
「はい!」
騎士たちの返事が揃う。
ミエルはようやく騎士の顔から手を離した。
騎士は大きく息を吸う。
「助かった。だが、隊長だけでも先へ――」
「だけでも、も禁止!」
ミエルが振り向いた。
「え」
「だけでも、も駄目! 俺たちのことはいい、も駄目! 後で追いつく、も駄目! 必ず戻る、も駄目!」
ミエルは両手を振り回した。
「戻ってこないから! だいたい!」
「……だいたい」
「だいたい戻ってきてたら、僕はこんなに働いてない!」
騎士は口を閉じた。
ミエルは肩で息をする。
ロイドが横目で見た。
「ミエル」
「なに」
「では、何と言えばいい」
「全員で行く」
ミエルは即答した。
「それだけ」
「全員で行く、か」
「そう。あと、誰かが遅れたら引っ張る。倒れたら担ぐ。酔いつぶれた時みたいに背中を使う」
「戦場で酔いつぶれる前提なのか」
「比喩だよ!」
黒い杭の向こう側で、ガルザが槍を構え直した。
黒い甲冑の奥で、赤い光が揺れる。
やつは逃げていない。
誘っている。
分かっていた。
それでも足は止まらなかった。
「全員で行く」
ロイドは言った。
騎士たちが頷く。
ミエルは少しだけ目を細めた。
「よし」
そしてすぐに顔をしかめた。
「その言い方は大丈夫。たぶん」
「たぶんか」
「そんな便利な言い回し、僕が知りたいよ」
「死神らしい言い方だな」
「でしょ」
ミエルは胸を張った。
「もっと敬っていいよ」
「背丈が足りない」
「そこに戻るな!」
敵兵が突っ込んでくる。
ロイドは笑わなかった。
だが、口元だけが少し緩んだ。
「右を押さえろ。左は流せ。中央を開けるな」
騎士たちが動く。
今度は誰も、一人で前へ出なかった。
誰も、残ると言わなかった。
盾が並ぶ。
槍が重なる。
剣は前へ出るためじゃない。下がる仲間の横を空けるために振られた。
ミエルはその隙間を走り回った。
「そこ! 足止めない!」
「はい!」
「君! 今、何か言いかけたでしょ!」
「言ってません!」
「顔が言ってた!」
「顔も気をつけます!」
「よし!」
黒い線が、何本も立っては消えた。
ミエルには見えていた。
騎士の足元から伸びかける線。
折れた槍の先へ向かう線。
崩れかけた土壁へ向かう線。
誰かが飲み込んだ瞬間に、すっと薄くなる線。
まだ多い。
けれど、さっきよりは細い。
ロイドがガルザへ距離を詰める。
ガルザの黒槍が唸った。
横薙ぎ。
ロイドは受けず、沈む。
背後の騎士が盾を重ねる。
槍の穂先が、ロイドの肩をかすめた。
血が飛ぶ。
「ロイド!」
ミエルが叫ぶ。
「死んでない!」
「知ってる! でも叫ぶくらいはする!」
ロイドは踏み込んだ。
剣が、ガルザの籠手を打つ。
火花。
黒槍が少しだけ逸れた。
「今だ!」
若い騎士が前へ出る。
「我らが――」
「何を言う気!?」
「全員で行きます!」
「よし!」
盾が押し込む。
槍が伸びる。
ガルザが後退した。
黒い甲冑が、土煙の向こうへ滑る。
追おうとした騎士の足元に、ミエルが鎌を突き立てた。
「止まって」
その声は低かった。
騎士は動きを止めた。
一拍遅れて、前方の地面が裂けた。
細い穴ではない。
馬車ごと飲み込むほどの裂け目だった。
奥から、冷たい風が吹き上げる。
騎士の喉が鳴った。
「……礼を」
「あとで」
ミエルは鎌を抜く。
「礼も謝罪も決意も恋人の名前も、全部あと。今は喋る量を減らして」
ロイドが頷いた。
「全員、裂け目を迂回。隊列を保て」
騎士たちは動いた。
黒槍のガルザは、すでに遠い。
だが、追う道は残っている。
崩れた丘の先に、石造りの砦が見えた。
味方の前線砦だ。
高い壁。
開いた門。
風に揺れる王国旗。
だが、妙に静かだった。
見張りの声がない。
松明はついている。
火はあるのに、人の動く気配がしない。
ミエルの足が止まった。
「……やだな」
小さく呟く。
ロイドが見下ろした。
「何か見えるのか」
「まだ見えない。でも、こういう静けさ、ろくなことない」
砦の門は開いたままだった。
中は暗い。
兵士の一人が槍を握り直す。
「隊長。少し、様子を見て――」
「行くなあああああああ!」
ミエルの絶叫が、夜の砦に吸い込まれた。




