第9話:「リカの目覚めと、鉄の馬の悲劇」
リカが気絶してから、早くも一時間近くが経過していた。
ヒロトは彼女をソファに横たわらせていた。彼女の明るいブロンドの髪が顔に乱れかかり、苦しそうな寝息を立てている。
「ねえ、シルヴィア……。リカが目を覚ましたら、絶対に説教の嵐が始まるぞ……」
ヒロトが頭を抱えると、シルヴィアは相変わらずテレビを見たまま、冷淡に言い返した。
「『私たち』じゃなくて『貴方』の間違いでしょ。元はと言えば、全部貴方の不手際じゃない」
「俺のせいかよ!? そもそも俺の部屋に降ってきたのはどこのどいつだよ!」
「フン、この恩知らず。シルヴィア様が部屋に降臨してくれたんだから、むしろ誇りに思いなさいよ」
「お前がゲームの中のシルヴィアみたいに、もっとまともな性格だったら良かったのになぁ……」
「はあ? 今なんて言った? 私が本物じゃないって言いたいの!?」
シルヴィアが食ってかかろうとしたその時、ソファから微かな呻き声が聞こえた。
リカがゆっくりと、重そうに瞼を開け始めたのだ。
ヒロトは慌てて一歩下がり、彼女が起き上がるスペースを作った。
「う、うう……。何が起きたの……? ここ、どこ……?」
リカは痛む頭を押さえながら周囲を見回し、ヒロトの顔を見てハッとした。
「あ、ヒロト……? なんで私、あんたの部屋に……」
安定してテレビを見ている赤髪の美少女、シルヴィアの姿が映った。
リカの脳裏に、気絶直前の記憶がフラッシュバックする。
「ちょっと待って、待って……! まだいるじゃない! 私、夢でも見てるのかと思った……」
すると、ヒロトがハラハラするのを余所に、シルヴィアは思いがけない行動に出た。
「いいえ、夢ではありませんわ」
シルヴィアはテレビを消し、信じられないほど上品で物静かな態度でリカに向き直ったのだ。これにはヒロトも顎が外れそうになるほど驚いた。
「初めまして。私はタナカ・ミユキ。イギリスから参りました、ヒロトの親戚ですの。先ほどは突然倒れられて心配いたしましたわ。リリカ殿、もうお体は大丈夫ですか?」
「え、あ……うん。じゃあ、本当に二人は一緒に住んでるの……?」
「はい……実は……」
シルヴィアは急に悲しげに俯き、しおらしい声を絞り出した。
「私の両親が、不慮の悲劇的な事故に遭いまして……。『鉄の馬(鉄の馬)』に正面から激突されたのです」
「えっ!? て、鉄の馬……!?</spanリカが混乱する。
「あ、あああ! 違うんだリカ! こいつ、イギリス育ちだから表現が独特でさ! ハハハ……『車(自動車)』のことだよ! 自動車!」
ヒロトは冷や汗を滝のように流しながら割って入った。
「あ、そうですの。自動車のことですわ。身寄りのない私には、ヒロトしか頼れる人がいなくて……それで、ここに置いてもらっているのです」
リカはしばらく黙ってその話を聞いていた。やがてヒロトは二人をお茶の準備のために残し、キッチンへと向かった。
リビングに二人きりになると、リカは身を乗り出して小声で尋ねた。
「ねえ……ヒロトに、何か変なことされてない?」
その瞬間、シルヴィアはいつもの不遜な態度に戻り、片眉を上げた。
「はあ? まさか。あんな不潔な男にこの私が触れさせるわけないでしょ、当然じゃない」
「じゃ、じゃあ、なんでヒロトは私にあんたのことを隠してたのよ?」
「さあね……。でも、貴方はあいつにとって『特別に大切な存在』だからじゃないかしら」
「え……?」
「女の子と同居してるなんて知られたら、貴方との関係が壊れてしまうかもしれない。それを恐れて、必死に隠そうとしていたのかもね」
シルヴィアの言葉に、リカの頬が瞬時に真っ赤に染まった。
「えっ、えええ……!? ほ、本当? 私が、大切……?」
「私は知らないわよ。あいつが例の『玉ねぎ頭』にそう話しているのを耳にしただけだから」
「玉ねぎ頭って……誰よ?」
「トウヨウ……じゃなくて、ユート、だっけ? 頼りない名前の男よ」
「えええええっ!? あんた、ユートのことも知ってるの!?」
「前に一度、ショッピングモールとかいう場所で会ったわ。天使みたいな顔をした間抜けな男ね」
そこへ、ヒロトがお茶とクッキーを載せたトレイを持って戻ってきた。
「お待たせ、リカ。……その、今まで嘘をついていて本当にすまなかった」
ヒロトはトレイを置くと、リカに向かって深く頭を下げた。
「リカを傷つけるような真似をして、本当に罪悪感を感じてる」
リカはさらに顔を赤くし、慌てて手を振った。
「ちょっと、頭を上げてよ! なによ急に、らしくないじゃない……」
「いや、本当にリカには悪いことをしたと思ってさ」
ヒロトの神妙な態度に、リカは照れくさそうに微笑んだ。
「……もう、今回だけは許してあげるわよ。今回だけだからね!」
二人の間に、どこか甘酸っぱくロマンチックな雰囲気が漂いかけた――その瞬間。
サクサク、ゴクゴク、プハァッ! と凄まじい音が響いた。
見ると、シルヴィアが猛烈な勢いでクッキーを口に放り込み、熱いお茶を喉に流し込んでいた。
「あちちちちっ!! ヒロト、ヒロトぉ! また舌が焼けるように熱いわ!」
シルヴィアは涙目で舌を突き出し、手でパタパタと煽っている。トレイの上のクッキーは綺麗さっぱり消え去っていた。
「お前ぇぇぇ! ミユキ、何全部食ってんだよ! それはリカのために持ってきたんだろ! お前のじゃねえ!」
ヒロトは激怒し、のたうち回るシルヴィアの頭をガシッとヘッドロック(قبضة)で締め上げた。
「いたたた! ヒロト、悪かったわよ、離しなさいってば!」
「お前はいつもそうだ! 人のものを食うなって何度言えばわかるんだ!」
そんな二人のドタバタ劇を見ていたリカは、思わずプッと吹き出した。
「あははは! あんたたち、本当に面白いわね。今ので確信したわ、やっぱり本物の親戚よ。そっくりだもん」
リカはソファから立ち上がると、シルヴィアの前に歩み寄り、優しく微笑みかけた。
「ミユキちゃん、これからよろしくね。私たち、良い友達になれそうな気がするわ」
シルヴィアはいつものように高飛車に断ろうとした。しかし、リカの真っ直ぐな瞳に見つめられると、みるみるうちに耳まで真っ赤になり、言葉を詰まらせた。
「あ、頭が高いわよ……じゃなくて、そ、その……よろしく、ね……」
シルヴィアは照れ隠しにツンとしながらも、リカとしっかりと握手を交わした。
「じゃあ二人とも、またね!」
リカは自分の荷物をまとめると、笑顔で手を振って玄関へと向かった。
ヒロトとシルヴィアも見送りのために笑顔を浮かべる。
そこで、ヒロトはふと重大な疑問を思い出し、声を張り上げた。
「あ、おいリカ! 最後に一つ聞きたいんだけど……お前、俺の部屋の『合鍵』、一体どこで手に入れたんだよ!?」
リカは足を止め、振り返ると、人差し指を唇に当てて、いたずらっぽく片目をウィンクした。
「――それは、ひ・み・つ」
そう言い残し、彼女は嵐のように去っていった




