第10話 「金色の追憶、そして始まりの橋」
ヒロトの部屋を後にしたリカは、一人で駅へと向かって歩いていた。心地よい五月の風が、彼女の美しい金の髪を優しく揺らす。
脳裏に焼き付いて離れないのは、先ほどシルヴィア――いや、ミュキちゃんが言った言葉だ。
『あいつにとって、貴方は特別に大切な存在だからじゃないかしら』
「……私が、あいつにとって、大切……?」
リカは自分の頬が林檎のように真っ赤に染まっていくのを感じた。しかしすぐに、思い出したように両頬をぷっと膨らませて、周囲の目も気にせずブツブツと文句を言い始めた。
「なによあのアホヒロト! よくもまあ、あんな嘘八百を並べて女の子をクローゼットに隠したりできたわね! どんだけバカなのよ!?」
その時、通りすがりの母親と小さな男の子が、怪訝そうな目でリカをじっと見つめているのに気づいた。
「あ、あの……私はただ、その……!」
リカの顔から火が出るほど赤くなり、親子は足早にその場を去っていった。
「……はぁ。完全に独り言を呟く変な人だと思われたわね」
リカはため息をつきながら、トボトボと駅へ向かって足を向けた。
ピロン、とスマホが鳴った。母親からのメッセージだった。
『リカ、たまには実家に帰ってきなさい。みんな寂しがってるわよ』
時計を見ると、ちょうど正午の12時だった。リカはそのまま電車に乗り、懐かしい実家のある街へと向かった。
駅から出て、見慣れた閑静で美しい住宅街を歩いていると、自然と幼少期の記憶が蘇ってきた。ここには、ヒロトと二人で泥だらけになって走り回った思い出が詰まっている。
小さな公園の前で、リカの足が止まった。錆びついたブランコを見つめると、かつてその上に登って「正義のヒーロー」を気取り、そのまま派手に落下して泣いていたヒロトの姿が目に浮かび、思わず口元に手が w(笑み)がこぼれた。
さらに歩を進めると、小さな川に架かる一本の古い橋が見えてきた。あの場所こそ、二人が初めて出会った場所だった。
当時、引っ越してきたばかりだった幼いリカは、近所のガキ大将たちに囲まれていじめられていた。そこへ、木刀を大上段に構えた奇妙な少年――ヒロトが突撃してきたのだ。
『おい! 悪党ども! その市民から離れるのだ!』
『あ、あいつは変人のヒロトだぞ!』ガキ大将たちが笑う。
『うおおお! 逃げろ! バカが伝染るぞ!』
ヒロトが全力で木刀を振り回して追いかけると、少年たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
ヒロトはふぅ、と息を吐き、木刀を腰のベルト(鞘のつもり)に収めた。
『フン、去るが良い愚民ども。俺の聖剣の力には耐えられまい』
そして、泣きじゃくるリカに近づき、大真面目な顔で言った。
『大丈夫か、市民よ』
『……うん』リカは蚊の鳴くような声で答えた。
『なんだ? 聞こえんな。お前は誰だ? この地で見たことがない顔だな』
『……私、最近引っ越してきたの。っていうか「この地」って何よ? 自分がゲームの主人公にでもなったつもり? 異世界じゃあるまいし、うっとうしいんだけど』
幼いながらもトゲのあるリカの言葉に、普通の子供なら怒って去るはずだった。しかし、ヒロトはニヤリと笑って再び木刀を引き抜いた。
『フン、面白い。ここは俺の領地だ。そしてお前がこの地に住む民となった以上、お前を守るのは俺の義務であり、俺を敬うのはお前の義務だ! わかったか!』
『……バカじゃないの? あっち行ってよ』
リカは呆れて、そのまま走って家に帰ってしまった。
「リカ、おかえり。どこへ行ってたの?」家に帰ると、母親が迎えてくれた。
「ちょっと散歩に」
「お友達はできた?」
「……ううん、全然」リカは首を振ったが、頭の片隅にはあの変な少年の姿が焼き付いていた。
「さあ、準備しなさい。今日は裏庭でバーベキューよ。新しくお隣に引っ越してきたご家族を招待しているの」
「はーい」
リカが母親の手伝いをしていると、インターホンがピンポーンと鳴った。
ドアを開けると、そこには上品そうな夫婦が立っていた。
「初めまして、隣に越してきた田中です」
しかし、リカの視線はその夫婦の背後に釘付けになった。そこには、一張羅の綺麗な服を着せられているものの、明らかに窮屈そうに木刀を抱えたあの「変な少年」が立っていたのだ。
二人の視線が交差した瞬間、同時に絶叫が響き渡った。
「「あーーーっ!!!」」
『高飛車女!』とヒロトが指を差し、『変人オタク!』とリカが叫ぶ。
「あら、二人はもう知り合いだったの? 素敵な偶然ね」リカの母親が嬉しそうに微笑んだ。
「違う! 友達なんかじゃない、ただの変な奴よ!」
「そっちこそ生意気な奴だな! 一人で暗い顔して歩きやがって」
「一人で歩いて何が悪いのよ! あんたDataboundだって一人じゃない!」
「フン、俺は孤高の騎士だ。騎士は常に一人で荒野を行くものなのだ!」ヒロトは胸を張った。
リビングに入ると、大人たちが裏庭で準備をする中、ヒロトはテレビを見ているリカの横で延々と喋り続けた。
『なぁ、何見てるんだ? アニメか? ライトノベルとか読まないのか?』
『うるさい! 話しかけないで、ウザいから!』
『知ってる。でも関係ない。それよりこれ、面白いのか?』
リカは呆れ果てて彼を睨みつけた。
『あんた、プライドってものがないの? さっきからずっと怒鳴られてるのに』
すると、ヒロトは真剣な目で真っ直ぐリカを見つめて言った。
『そんなもの、関係ないさ。たとえ拒絶され、罵られようとも、民を守るのが騎士の誇り(プライド)であり、務めだからな』
――あれから、何年の月日が流れただろう。リカはいつの間にか、その真っ直ぐで不器用な彼を受け入れ、親友となっていた。
「……本当に、あんたのせいで私の人生、変えられちゃったわね、ヒロト」
リカは現実に戻り、愛おしそうに古い橋を見つめた後、実家の玄関へと進んだ。
両手に持ったお土産のジュースや軽食を抱え直し、彼女はトントンとドアをノックした。中から、懐かしい足音が近づいてくるのが聞こえた。




