第8話 「最悪の急襲、そしてクローゼットの中の真実」
シルヴィアがヒロトのマンションに転がり込んできてから、早くも一週間が経過していた
ヒロトは、それまで古い同人誌や使わなくなったオタクグッズを放り込んでいた物置用の第二客室を片付け、掃除をして彼女の部屋として与えた。今ではそこが彼女の寝床だ。
さらにこの一週間、ヒロトは彼女に現代世界の生き方の基礎を叩き込んできた。洗濯機の回し方から始まり、冷蔵庫、電子レンジ、ガスコンロ、そしてテレビの使い方にいたるまで。驚いたことに、シルヴィアは元が優秀な騎士(あるいは魔法少女)だからか、恐ろしいほど物覚えが早かった。
――そして、運命の月曜日。
「うう……頭が割れそうだ……」
ヒロトはひどい偏頭痛に襲われ、千鳥足で自分の部屋から這い出てきた。リビングのドアを開けると、そこにはすでにシルヴィアがいて、画面に穴が開くほどの勢いでテレビを凝視していた。
「おいシルヴィア、少しは画面から目を離せよ。目が悪くなるぞ」
「うるさいわね、貴方には関係ないでしょ」
シルヴィアは視線すら動かさずに冷たく言い放つ。
ヒロトはため息をつきながら洗面所へ向かい、顔を洗い、歯を磨き、寝癖だらけの髪を整えた。
リビングに戻ると、ヒロトは朝食の準備を始めた。卵を焼き、コーヒーを淹れ、ご飯をよそう。
「ほらシルヴィア、ご飯できたぞ」
……返事がない。彼女は完全にテレビの世界に没頭している。
「おい、シルヴィアってば」
ヒロトがリモコンを手に取り、主電源のボタンを押した。画面がぷつりと黒くなる。
シルヴィアは猛烈な勢いで振り返り、ヒロトを睨みつけた。
「ちょっと! なんで消すのよ!? これから良いところだったのに!」
「いつもそれ言ってんだろ! ほら、いいから席につけ。朝飯が冷める」
シルヴィアは不満げに口を尖らせながら立ち上がった。今日の彼女は、白く薄手のワンピースのようなネグリジェ( بيجامة )姿だ。健康的な白い肌が朝の光に映えて、妙にドキリとさせられる。
二人は食卓に並んで座ると、手を合わせた。
「「いただきます」」
朝食が始まる。シルヴィアは器用に箸を使いながら尋ねた。
「ねえ、貴方は今日、仕事があるの?」
「あぁ、夕方の4時からだ。今日は帰りが遅くなると思う」
「そう。じゃあ、帰りにアイスクリームを買ってくるのを忘れないでちょうだいね」
「はいはい、わかったよ」
ヒロトは生返事をしながら、表情を引き締めて言った。
「ところでシルヴィア、ここに住む上での『ルール』は覚えてるだろうな?」
「あー、もう! 毎日毎日、壊れたレコードみたいに繰り返さないでよ!」
シルヴィアは面倒くさそうに首を振る。
「私は『タナカ・ミユキ』。イギリスから来た貴方の親戚。貴方の許可なく外へは出ないし、見知らぬ人間とは口を利かない。これで満足?」
「よろしい。完璧だ」
食事を終えると、ヒロトは食器を片付けて洗い物を済ませた。その後、ソファに腰掛けてライトノベルのページをめくり始める。シルヴィアは再びテレビにかじりついていた。
しばらく流れていた静寂を、シルヴィアの突飛な質問が切り裂いた。
「ねえ。あの『リカ』とかいう女、まだ私の存在に気づいていないの?」
「……何が言いたいんだよ?」
「つまりね、あの女が来るたびに、なぜ私がクローゼットの中に隠れなきゃいけないのよ! 不公平だわ!」
「しょうがないだろ、まだ良い言い訳が思いつかないんだよ。リカはただでさえ勘が鋭くて面倒な奴なんだからな」
二人がそんな言い合いをしていた、まさにその時――。
ドンドンドンドンドンドンッ!!!
ドアを激しく叩く、暴力的な音が響き渡った。
ヒロトとシルヴィアの身体が同時にビクッと跳ね上がる。この心臓に悪い叩き方は、間違いなく……。
「……リカだわ」シルヴィアが顔を青くする。
「隠れろ! 早く!」
ヒロトは慌ててシルヴィアの背中を押すが、彼女は床に足を突っ張って抵抗した。
「嫌よ! 絶対に隠れないわ!」
「おい、意地を張るなシルヴィア! 早く行け!」
「嫌なものは嫌よ! 離しなさい!」
「おい、ヒロトぉ! 何やってんのよ! 今、絶対に女子の声が聞こえたわよ! 中で何してんのよ、早く開けなさいよ!!」
外からリカの怒鳴り声が聞こえてくる。ヒロトが居留守を決め込もうとした瞬間、外からカチャカチャと金属の音がした。
「開けないなら、これを使うわよ!!」
次の瞬間、ガチャンと鍵が回り、ドアが勢いよく跳ね開けられた。リカはヒロトから預かっていた『合鍵』を使って、勝手に押し入ってきたのだ。
部屋に飛び込んできたリカの目に飛び込んできたのは――嫌がるシルヴィアの身体を、必死にクローゼットの中へと押し込もうとしているヒロトの姿だった。
時間が凍りついた。
ヒロト、シルヴィア、そしてリカの三人の視線が交差する。ヒロトの顔は恐怖で真っ青になり、シルヴィアはヒロトの胸を押し返しながら叫んだ。
「離しなさい、この最低変態バカ男!」
リカは、一切の感情が消え失せた『死んだ魚のような目(死んだ魚の目)』で二人をじっと見つめると、ボソリと呟いた。
「……あら、お邪魔しちゃったみたいね」
パタン。
リカは信じられないほど冷静にドアを閉め、そのままトボトボと歩き去ろうとした。
「待ってくれぇぇぇ!! リカ、違うんだ、これには深い訳が!」
ヒロトはシルヴィアを放り出して廊下へ飛び出し、リカの手首を掴んで引き止めた。
リカはゆっくりと振り返ると、一瞬にして火山が噴火したような怒声を上げた。
「何が深い訳よぉぉぉ!! 美少女をクローゼットに無理やり押し込んで、相手が助けを求めてるのを目撃しといて、何を言い訳するつもり!?」
「声を下げるんだリカ! こいつはただの女子じゃない! こいつはミユキ、イギリスから来た俺の親戚だ!」
「ふざけないで! そんな親戚の話、今まで一度も聞いたことないわよ! 嘘に決まってる!」
「いや、俺だって最近知ったんだよ!」
「でも……でも……!」
リカは急に言葉を詰まらせ、俯いた。そして次の瞬間、思い切りヒロトの脛を蹴り飛ばした。
「痛ってぇぇぇ!! 何するんだよ!」
「だって! なんでその子が、お前の大好きなゲームの《シルヴィア》にそんなにソックリなのよ! お前、やっぱり私を騙して――」
「俺のせいじゃねえよ! ミユキはただの熱狂的なシルヴィアのファンで、コスプレイヤーなんだよ!」
そこへ、クローゼットから脱出したシルヴィアがリビングから不機嫌そうに顔を出した。
「ちょっとヒロト! 私を床に突き飛ばすなんてどういうつもりよ、この薄情者!」
シルヴィアとリカの視線が、火花を散らして衝突する。リカは身の毛もよだつような冷たい声を絞り出した。
「……いいわ。百歩譲って親戚だとして、なんであんたの部屋にいるわけ?」
「あ、いや、それはだな……」ヒロトが言葉を濁そうとした、その時。
「私たちは一緒に暮らしているのよ(同居生活)」
シルヴィアが堂々と言い放った。
「は……?」
リカの口がぽかんと開く。彼女の視線は、ヒロトとシルヴィアの間を何度も往復し、目がぐるぐると回り始めた。
「ど、同居……? 女の子と……? いつからよ……」
「一週間前からよ」シルヴィアはなぜか誇らしげに胸を張る。
「一週間前!? 私、毎日ここに通ってたのよ!? なんで一度も姿を見かけなかったのよ!?」
「それはね、この馬鹿男が、貴方が来るたびに私をクローゼットの中に監禁していたからよ」
「おいぃぃぃ! シルヴィア、黙れ! 喋るな!!」
ヒロトの必死の制止も、時すでに遅かった。
度重なる精神的ショックのキャパシティを超え、リカの意識がスーッと遠のいていく。
「あ……ヒロトの、バカ……」
白目を剥いて倒れ込みそうになったリカの身体を、ヒロトは慌てて抱きとめた。
「おい、リカ! 頼むからしっかりしろ! ……クソッ、シルヴィア! お前なんて余計なことを言ってくれたんだ!」
シルヴィアはフンと知らん顔でそっぽを向くと、爪を弄りながら呟いた。
「知ったことかしら。私はただ、真実を告げただけよ」




