第6話 「新しい名前……そして街での新しい生活の始まり」
ヒロトはクローゼットへと歩み寄り、そこから外出用の服を取り出した。部屋にシルヴィアを残したまま、着替えのためにバスルームへと入る。彼は自分のジーンズを穿き、夏物のシャツを着て、髪を整え、顔を洗ってから外に出た。
「ねえ、シルヴィア。俺、どうかな?」
彼が彼女の答えを待っていると、シルヴィアは彼を見て言った。
「そうね……。ここの人たちがどんな風に服を着るのかは知らないけれど、貴方によく似合っているわ」
ヒロトは顔を真っ赤にして微笑んだ。そして、ハッと思い出したように言った。
「あ、そうだ! 出かける前に、俺たちにはやらなきゃいけないことがたくさんあるんだ」
「例えば、どんなことかしら?」
「まず、外に出るのに『シルヴィア・スターライト』という名前のままでいるのは絶対に無理だ」
「どういう意味よ!? 私の名前は私の誇りよ! もしそれに手を加えようというなら、貴方は私の誇りを汚すことになるわ!」
シルヴィアは拒絶するように声を荒らげた。
「頼むよ、シルヴィア! 本当に、ここじゃその名前はすごく奇妙なんだ。周囲の目を引いてしまうし、俺だって君をいつまでも隠し通せるわけがないんだから」
「うう……嫌よ、絶対にダメ!」
頑なに拒む彼女に対し、ヒロトは悲しげな子猫のような瞳を向けた。シルヴィアは彼から視線を逸らそうと必死に抗っていたが、ついに耐えかねて声を上げた。
「もおおおおっ! 分かった、分かったわよ! 偽名を使えばいいんでしょ!」
ヒロトは飛び上がり、彼女の手をぎゅっと握りしめた。
「本当!? 本当にありがとう!」
シルヴィアの頬が瞬時に赤く染まる。そして彼が自分の手元に目をやると、ヒロトもまた顔を真っ赤にし、慌てて数歩下がって手を離した。
「こ、コホン……。じゃあ、名前は何がいい?」
「分からないわ。貴方が決めてよ」
ヒロトは考え始めた。
「ユキ……いや。エリア……いや。セナ……うーん、違うな……」
彼は自分の頭をこねくり回すように必死に考え、そして叫んだ。
「見つけた!『ミユキ』だ!」
「みゆ……何だって?」
「ミユキだよ。君に、そして君の振る舞いにすごくぴったりな名前だと思うんだ」
シルヴィアはその名前の響きを確かめるようにそっと呟いた。
「ミユキ……ミユキ。……ふん、悪くないわね。気に入ったわ」
「いいかい、これからは君は『タナカ・ミユキ』だ。海外から来た俺の親戚ってこと。分かった?」
シルヴィアが黙り込むと、ヒロトは続けた。
「これ以上質問はしないで。もし誰かに聞かれたら、『私の名前はミユキ・タナカ、ヒロトの親戚です』って言うんだよ」
「……分かったわ」
そう答えた彼女の服、そして先ほど貸した自分の大きすぎるシャツを見て、ヒロトは言った。
「2つ目、この服を着替えなきゃダメだ」
「なぜよ? 結構快適だと感じているのだけれど」
「それで外に出るのは絶対に無理だって!」ヒロトは頬を赤らめて言った。「……ちょっと、ハレンチ( فاضح)に見えるから!」
彼は再びクローゼットに飛び込み、服を引っ張り出しては後ろへ投げ飛ばしながら探し回った。そして、一着のジーンズ、女の子にちょうどいいシャツ、そして少しボーイッシュな日よけ帽子を見つけ出した。
「これを着て」
「何よこれ、なんで私が貴方みたいな格好をしなきゃいけないの?」
「いいから着て! お店に着きさえすれば、君の好きなものを何でも買ってあげるから!」
「う……分かったわよ」
シルヴィアはバスルームへと入り、6分が経過した。
扉が開き、顔を赤くしたシルヴィアがヒロトの服を着て出てきた。ジーンズ、シャツ、そして帽子は彼女に完璧にフィットしており、彼女は言葉を失うほど美しく、魅惑的だった。
「……似合っているかしら?」
ヒロトは興奮気味に、激しく首を縦に振りながら言った。
「似合ってるどころか、それ以上だよ!」
シルヴィアは嬉しそうに満足げな笑みを浮かべた。
「ふふん、それじゃあ行きましょうか!」
二人は一緒に外へと歩き出した。
道を歩いている間、シルヴィアは建物の巨大さや車、目に入るもの全てに完全に圧倒されていた。彼女はヒロトから1メートルも離れようとせず、文字通り彼にぴったりと寄り添いながら、一台の車を指差して言った。
「な、何よあれは!?」
「あれは車だよ。鉄の馬みたいなものさ」
「凄いわね……! あれは速いの?」
「めちゃくちゃ速いよ」ヒロトは答えた。
次にシルヴィアは、一際大きなマンションを指差した。
「あの巨大な建物は、男爵か王族の家かしら?」
「いや、俺の家と同じようなものだよ。ホテルみたいに、中にたくさんの家が集まってるんだ」
「なるほど、そうなのね……」
シルヴィアは行き交う人々の顔や服を驚きながら見つめていたが、同時に、通りすがりの歩行者たちもまた驚き、彼女に釘付けになっていた。ぴったりとヒロトに密着して歩くシルヴィアは、信じられないほど美しく魅力的だったからだ。
すれ違いざま、少年たちのグループがひそひそと声を漏らした。
「うわ、めちゃくちゃ美人じゃん……」
「隣の男を見ろよ、彼氏か? あいつにはもったいなさすぎるだろ」
それを聞いたヒロトは、彼らの言葉を無視しようと必死に引きつった笑みを浮かべた。
そうして歩いているうちに、二人は人々で超満員のショッピングモールに到着した。シルヴィアはその光景に思わず叫んだ。
「ヒロト! 私たちは今、ギルド(冒険者ギルド)にいるの!?」
「違うよ、ここは巨大な商業区画……モールだよ」
「なるほど、商人たちの街ね。理解したわ」
ヒロトは彼女の手を引き、衣服を購入するためにレディースのアパレルショップへと駆け込んだ。
店に入ると、すぐに女性店員が姿を現した。
「いらっしゃいませ、お客様。本日はどのようなお手伝いをいたしましょうか?」
ヒロトが応じるよりも早く、シルヴィアが堂々と言い放った。
「私はミユキ・タナカ。ヒロトの親戚よ!」
店員は目を丸くして彼女を見つめ、ヒロトは衝撃のあまり凍りついた。
(最悪だーーーっ! 設定を台無しにしやがった!)と、心の中で頭を抱える。
しかし、店員はすぐに微笑んだ。
「まあ、ミユキ様ですね。お目にかかれて光栄です。どのようなお洋服をお探しでしょうか?」
シルヴィアは嬉しそうに、得意げな視線をヒロトに向けた。
ヒロトは深くため息をつき、言った。
「あの……この子に合う服を、いくつか選ぶのを手伝ってもらえますか?」
「かしこまりました。どうぞこちらへ」
店員の後に続いて進むと、彼女は次々と服を手に取り、シルヴィアに手渡した。
「まずは、こちらをご試着してみてくださいね」
シルヴィアが試着室に入ると、店員がヒロトに親しげに話しかけてきた。
「本当に、お客様の親戚の方ですか?」
ヒロトは激しく動揺しながら答えた。
「あ、はは……まあ、そんな感じです、一応」
「本当にスタイルが良くてお綺麗な方ですね。お兄さん、とてもラッキーですよ」
店員がクスクスと笑うと、ヒロトも緊張を隠すように愛想笑いを浮かべた。
その時、試着室からシルヴィアが出てきた。彼女は可憐なスカートを穿いていた。
ヒロトと店員は同時に彼女を見つめ、親指を力強く突き立てた。
「「パーフェクト!!」」
シルヴィアは再びカーテンの奥へと戻り、2着目の着替えに挑んだ。今度は最新の限定カジュアルファッション。それも素晴らしい。
結局、7着以上の服を試着したが、そのどれもが彼女に信じられないほど似合っていた。
試着室から出てきたシルヴィアに、店員が尋ねる。
「それではお客様、どちらのお洋服にいたしますか?」
シルヴィアは即座に言い放った。
「全部もらうわ」
「えええええっ!? ちょっと待って、待ってくれシル……じゃなくてミユキ! さすがに買いすぎ(大袈裟)じゃないか!?」
「いいえ、どれも必要なものよ」
結局、ヒロトはレジの前で涙を流しながら財布を開くことになった。
(ううっ……俺の一週間分のアルバイト代が、一瞬で吹き飛んだ……)
彼が絶望に打ちひしがれているのも束の間、シルヴィアがグイグイと彼の袖を引っ張った。
「ねえ、次は『下着』が必要よ」
ヒロトの顔が湯気を立てるように真っ赤になる。
「わ、分かったよ……」
二人は並んで下着専門店へと移動した。店の入り口でヒロトが立ち止まる。
「じゃあ、君は中に入って……」
「嫌よ、貴方も一緒に入りなさい。私一人じゃ何をどう選べばいいか分からないわ」
「いやいや、無理だって! 入れるわけないだろ!」
「いいから来なさい!」
押し問答の末、結局二人は店内に足を踏み入れた。案の定、女性店員がヒロトを鋭い目で見咎める。
「お客様、大変申し訳ございませんが、男性のご入店は――」
店員が言い終える前に、シルヴィアが遮った。
「彼は私の連れよ」
「……あ、左様でございますか。大変失礼いたしました」
店員は一転して愛想よく二人を案内した。
ヒロトは終始ガチガチに緊張し、視界に入る色とりどりの下着から必死に目を逸らそうと、必死に視線を泳がせ続けた。
シルヴィアは最終的に5種類の下着を選び、ようやく店を出た。
精神的にも体力的にも疲れ果て、財布の中身も完全に空っぽ(大破)になったヒロト。
ふと見ると、シルヴィアがじっとアイスクリームの移動販売車を見つめていた。彼女はヒロトにこれ以上の負担をかけまいと、今回は「買ってほしい」と口には出さなかった。ヒロトを困らせてしまったという罪悪感があったのだ。
だが、ヒロトはその視線に気づいていた。
「……アイス、食べたいの?」
「い、いいえ。別に欲しくなんてないわ」
「嘘つけ」
ヒロトは苦笑し、販売車へと歩み寄ってアイスクリームを2つ購入した。
「ほら、どうぞ」
手渡されたアイスを見つめ、シルヴィアは少し頬を赤らめて俯いた。
「……ありがとう」
「気にすんなって。さあ、食べよう」
その微笑ましい瞬間だった。
ヒロトの背後から、聞き覚えのある声が突き刺さった。
「――あれ? ヒロトじゃん」
その声を聞いた瞬間、ヒロトの身体は氷のように硬直した。
彼は恐怖に怯えながら、錆びついた人形のように、ゆっくり、ゆっくりと後ろを振り返った。そこに立つ人物の姿を捉えた瞬間、彼の表情は絶望と恐怖に染まった。
そこにいたのは、ユウトだった。
(うそだろ、うそだろ!? なんでよりによってユウトがここにいるんだよ! クソッタレがぁぁぁ!!)
親しげに近づいてくるユウトを前に、ヒロトはまるで自分の魂が口から抜け出ていくかのような、極限の恐怖に囚われるのだった。




