民の声
「まさか、来てくださるとは思いませんでしたわ、陛下」
「それだけの口が叩けるのなら、平気だな」
ルーベントは入り口に立ったままで、一歩も動かない。花が彼の行く手を阻んでいるからなのか、それとも、元より近寄るつもりがなかったからなのか。どちらでもいい。ただでさえ不快な顔を近くで見なくていいのなら、それに超したことはないのだから。
すると、ルーベントの目が、リナフィアの傍らにいたレイスへと向けられた。たちまちルーベントの口端が、威嚇する犬のように捲り上げる。
「貴様! なぜこんな所にいるんだ! 貴様は近衛師団をクビになったはずだぞ!」
肩を怒らせ煩く吠える姿は、本当に犬のようだ。
「彼は、侍女が離れている間の私の護衛です。近衛兵として私についてくれているわけではありませんから」
「では、勝手に男を入れているというのか。ハッ! よくもそれで俺とマリアを批難できたもんだ」
「彼はベルハイク伯爵の補佐官です。伯爵とそこで会われませんでしたか?」
「そこまでして、その男を傍に置きたかったのだな」
リナフィアは溜息をついた。彼と話していると、いつも頭が痛くなる。
「それより陛下、何かご用でしょうか。私の顔を見るだけに、来られたわけではないのでしょう?」
傍らでレイスが顔を顰める気配が伝わってきた。
気持ちは分かる。到底夫婦の会話とは思えぬのだろう。しかし、これがリナフィアとルーベントにとっては当たり前なのだ。もうずっと……ずっと前から。
ルーベントは気勢が削がれたのか、一度視線を逸らし深く息を吐くと、再びリナフィアへと目を向ける。
「リナフィア。今後、俺に従うのであれば……どのような形かは言えぬが、傍に置いてやることもできる」
(『どのような形』……ね)
ルーベントは離婚しようとしていることを、自分がまだ知らないと思っている。だから曖昧な言い方をしているのだろうが、知っている身としては、その形が『廃妃』であると想像に易い。王妃の椅子をマリアに奪われ、一生隠されたように王宮で飼われる。そして、神力が必要なときだけ檻から出すつもりだろう。
実に――。
「ふざけるな」
「は?」
リナフィアの口から出てきたとは思えぬ粗雑な言葉に、ルーベントは目を点にした。
「あなたに従うわけないじゃない。傍に置かれるだなんて、考えただけで虫唾が走るわ。こっちからお断りよ」
声を荒げたことはあっても、必ず陛下と呼び、丁寧な言葉を使ってきたリナフィアが、まるで下の者に使うような言葉遣いで、顎を上げて自分を見下していた。その口元は歪に笑っている。
「――っ気を失って、正気まで失ってきたか」
「私が正気を失ったっていうなら、あなたは人間性を失ってるわよ。用件はそれだけ? だったらさっさと出て行ってちょうだい。起きたばかりで疲れてるのに、これ以上疲れさせないでくださる、あなた? 出て行かないんのなら、人を呼ぶわよ」
リナフィアが目でレイスに合図を送れば、レイスが一歩を踏み出す。
「……っ半月後の建国祭……後悔しても知らないぞ」
「後悔しなくても、あなたは私を知らないふりするじゃない」
さすがに、目覚めたばかりの妻との間に騒ぎをおおこすのはまずいと分かったのか、ルーベントは大人しく去って行った。
「よろしかったのですか?」
「大丈夫よ。どうせ従順にしていたところで、結果は変わらないんだもの」
肩をすくめてみせれば、確かにとレイスも頷いていた。
「私はもう……自分の本当に大切なものを分かっているから」
あのミルク色の夢の中で、夜の暗闇の中で、たくさんたくさん考えた。前回の自分。今回の自分。どうして、今の自分は、前回の自分とは違う道を歩いているのか。
そして、自分がなんと願ったのか。
「それはそうと、この大量のお花はどうしたの?」
目覚めてから、ここが室内だとしばらく気付かなかったくらいだ。床だけではなく、窓台にも花瓶がずらっと並べられ、どうにか天井があるから部屋と分かるだけで。
「すべて妃殿下への見舞いの花ですよ」
「まさか、これ全部!?」
「王宮を訪ねる貴族は、毎回必ず妃殿下の部屋に花を持ってきましたし、王宮門の前には、民達が毎日毎日花を置いていくのです。おかげで、花が枯れる暇もないくらいですよ」
「これ……全部……」
おもむろにレイスが「ああ」と言って、ベッド横の窓を開けた。




