夫であり国王
しかし、今度は別の大臣の声が飛んでくる。
「妃殿下は僻村の下級貴族の陳情から、平民の子供の他愛ない声まで、全てに目を通し把握されておりました。故に、私共よりも有用な横断的見地をもっておられました」
皇帝の半身とも言われる、宰相だった。
「陛下が見過ごされたことでも、妃殿下が気付いて止めてくださったこともありました。引きこもりなど以前は呼ばれていたようですが、彼女が引きこもり、政務に専念してくださっていたからこそ、我が国はノーディレイ王国に攻め入る隙を与えることなく、内政を充実させられたのですよ」
ルーベントへの皮肉ともとれる宰相の言葉に、議会の場は水を打ったように静まった。しかし、湖面に落ちた一滴の水が次々と波紋を呼ぶように、あちらこちらでヒソヒソと囁きが漏れ始める。
「そういえば、妃殿下が提案された西部灌漑事業のおかげで、水害が減ったと」
「ああ、なるほど。どうりであそこ一帯の農作物の収穫量が増えたわけですね」
もはやヒソヒソと隠せない、リナフィアへの感嘆の声が場を占めていた。
バルバリード公爵達正聖女派は唇を噛むしかなく、伯爵はその様子を、仕返しとばかりに顎を上げて眺めた。
「私の補佐官が言うには、今回の地震で民の避難誘導が滞りなく済んだのは、妃殿下が真っ先に王宮前庭の解放と、近隣の貴族邸の解放を命令したからだと。それに対し、同じ場所にいた正聖女様は、妃殿下の助力を求める声を断って、王宮へ逃げ帰られたのだとか?」
伯爵の言葉で、一斉に視線がルーベントへと集まる。
その目は『あなたは、そんな女の方をとるのですか』と言っていた。
「――っ黙れ! マリアはまだ幼いのだぞ! あんな光景を見て怖いと思うのは仕方ないことだろう!」
言うと同時に机へと振り下ろされたルーベントの拳は、耳に煩い轟音を奏でた。
痺れたような残響が部屋にこだまし、その間、誰も口を開くことはなかったが、ルーベントを見る目は、ひどく煩いものと化してしまう。
「陛下……もし民が全員亡くなったとして、その時も『仕方がなかった』で済まされるのですか」
「このっ……! 腕力しか取り柄のない田舎者風情が、陛下に向かってなんたる口の利き方を――」
「失礼いたしますっ!」
静かに問いかけた伯爵の言葉に、公爵が腰を上げて激怒を飛ばしたのだが、それは突如、部屋の扉を無遠慮に開けた者の声によって遮られた。
皆が何事かと、入り口で肩で息をしている衛兵に注目する。
「ひ……っ妃殿下が! お目覚めになりました!」
◆
「妃殿下!」
リナフィアの部屋に、一番に飛び込んだのはベルハイク伯爵だった。
部屋には目元を赤くしたミレーネと、自分の補佐官であるレイス、そして待ち望んだ彼女がいた。
「あら、ごきげよう伯爵。三ヶ月ぶりね」
三ヶ月前とちっとも変わらない淡い笑みを、にこりと向けられれば、伯爵の目頭も熱くなる。
天蓋が掛かるベッドの上で座る、真っ白な夜着姿のリナフィアは、部屋中が花に満たされていることもあり、まるで本物の女神が目覚めたような神々しさがあった。
伯爵は、花を踏み潰さぬようにかき分け、ベッドの前に到着すると、片膝を折って頭を下げる。
「妃殿下のおかげで、サウザード王国は救われました。感謝申し上げます」
気がつけば、入り口に議員や大臣がわらわらと集まってきていた。そして、彼らは伯爵が膝を折ると一緒に跪き、リナフィアに頭を垂れていた。
「妃殿下……よくぞご無事で……っ」
財務大臣の声を皮切りに、皆が口々に「妃殿下」と呟く。
顔を伏せた下で発せられる彼らの「妃殿下」という言葉は、明らかにそれまでの呼びかけの響きとは違った。本当の意味での敬称としてリナフィアを『妃殿下』と呼んでいた。
「伯爵様、皆様。申し訳ありませんが、妃殿下はお目覚めになられたばかり。お話がある方は、日を改めてくださいますようお願いいたします」
確かに、と入り口にいた貴族達は一礼してゾロゾロと去って行く。
「それもそうですな。色々お聞かせしたい話はあるのですが、後日といたしましょう」
伯爵は立ち上がると、ミレーネを呼んだ。
「はい、何でしょうか。伯爵様?」
「我々も行こうか」
「え、わ、私もでしょうか!?」
「まだ妃殿下の傍にいたいのに」と全身で訴えるミレーネに、伯爵は顎をしゃくって、『見ろ』とリナフィアとその後ろに立つレイスを示す。
レイスは片時もリナフィアから視線を外さず、リナフィアもチラチラとレイスを気にする素振りを見せていた。
今、誰がここに残るべきか察せられ、ミレーネはぐぬぬと悔しそうに口角を下げる。
「……レイス卿」
「――っあ、はい! なんでしょうか、侍女殿」
ミレーネはわざとらしく咳払いをして、本人に向かって言うというより、周囲にも聞かせるかのように大きな声を出す。
「私は妃殿下の目覚めのお茶の準備をしてきます。久しぶりに妃殿下に召し上がっていただくものですから、入念に丁寧に丹精を込めて準備をしたいと思います。きっと、結構時間が掛かると思うので、それまで妃殿下の護衛をお願いしますね」
言い終わると一緒に、レイスの返事も聞かずに扉はパタンと閉められた。
「ふっ……どこを向いて言ってるのよ、ミレーネったら」
リナフィアは笑うばかりだったが、ミレーネの言わんとした意味を察し、レイスは決まりが悪い顔をして首後ろ掻いていた。
しばし、リナフィアのクスクスとした軽やかな笑い声と、相槌を静かに打つレイスの声で、部屋には穏やかな時間が流れる。
しかし、せっかく時間も貰えたのだし色々と話さなければならない、とレイスが意を決したとき、再び扉がキィと開いた。
「あら、ミレーネ? どうしたの、何か忘れ物でも?」
二人して扉の隙間に視線を送れば、しかしそこから現れたのはミレーネではなく。
「――っ陛下」
入り口に立っていたのはルーベントだった。




