第75話 1年の月日
マルタ砦防衛戦から、1年の月日が流れた。
アストリア王国領内、南西のタルタ街道。
「思ったより数が多いですねっ‥‥‥!」
黒髪少女が左手を前に伸ばすと、複数の立方体が勢いよく飛んでいく。正面から近付いていた魔物は抵抗できずに絶命するのみ。
「この天才騎士シレーナちゃんにかかれば、あなたたちなんて左手だけで充分ですからねぇー!!」
彼女の名前はシレーナ。
アストリア王国騎士団、五番隊所属の王国騎士。
1年経っても、性格は少しも変わっていなかった。
「! これはちょっと数が多すぎますねー‥‥‥」
シレーナが背後を振り返って遠くを見つめる。近づいてくる魔力の気配を、いち早く察知したのだ。
「この左手の餌食になりたいようですねぇ〜!」
シレーナは左手に魔力を集めると、僅かに冷や汗を流す。だが彼女は目を丸くすると、無意識に声を漏らした。
「? 魔力反応がどんどん減っていく‥‥‥異質な魔力反応なんて全然無いのに、いったいどうして」
それは突然起きた異変。まるで自然消滅するかのように、魔物たちの魔力反応だけが無くなっていく。
「あ、あなたはっ」
黒髪が印象的な少年。背中に背負っている長剣は、明らかに彼の体格と合っていない。
だが、どこか落ち着いた雰囲気を感じられる。
「久しぶり、シレーナさん」
1年前から、かなり身長が伸びた‥‥‥王国騎士セレノアがいた。
「あなたから、魔力を全く感じない‥‥‥まさか、あの時の」
シレーナが驚いた様子で呟くと、セレノアはあっけからんと答える。
「うん。シレーナさんに聞いた時から練習してきて、少し前に掴んだ。魔力を表に出さない感覚を」
それは1年前に遭遇した怨敵、大魔族グレイザーラが使っていた‥‥‥魔力反応消失技術。
「魔物たちの背後に回っても、俺は全然気付かれなかっただろ? これ、かなり役に立つんだ」
その技術を身に付けるため、セレノアが1年の間にどれほどの訓練を行ったかは、想像に難くない。
「‥‥‥ふっ。相変わらず、あなたは変わってないようですねー」
強さへに愚直な姿勢を再認識し、シレーナはどこか懐かしむように微笑む。そして彼女は‥‥‥震わせながら右手を差し出す。
「任務の遂行、お疲れさまでした」
「っ!」
セレノアは僅かに息を詰まらせながらも、彼女の右手を見つめる。1年前は少しも動かなかった彼女の右手。今はゆっくりではあるが、確実に動かせている。
そしてその事から、どれほどの過酷なリハビリをこなしてきたのかを分からされる。
(シレーナさん‥‥‥やっぱり凄い人だ)
この1年、戦ってきたのは自分だけではない。それが分かって、セレノアは勇気を貰う。
「シレーナさんこそ‥‥‥負けん気は全然変わってませんね。さすが天才騎士です」
セレノアは嬉しそうに笑い、彼女と握手を交わした。
「あなたから言ってくれるのは珍しいですねー? ふふん、天才騎士シレーナちゃんの完全復活は近いですよー?」
そう呟く彼女の言動を懐かしく思いながら、セシルは笑顔で見つめる。
「ーーー待ってくださいよセレノアさんっ、置いていかないでくださいぃ〜!!」
すると遠くから聞こえてきた声に、セレノアは『しまった』と思いながら振り向く。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ‥‥‥あっ、シレーナさんっ!! ははは初めまして!!」
息を振り乱しながら大声を出したのは、茶髪おさげの少女だった。
◆◇◆◇
ルソス村。アストリア王国領内、南西のタルタ街道沿いにある小さな村。
「シレーナさん、さっきの魔物たちって依頼されてた任務ですか?」
セレノアは椅子に座った状態で話しかける。当然、対面には先輩のシレーナが座っている。
「ええ。1年前にマルタ砦が壊された一件で、魔物の侵攻が活発になりましてね。この村の近くにも頻繁に魔物が現れるので、私のリハビリがてら討伐任務をこなしてるわけです」
対面に座るシレーナが、足を組みながら答えた。話をする彼女は、どこか不機嫌そうに眉を顰めている。
「破壊されたマルタ砦を再建築してる間、周囲の村を見回りしながら魔物たちを討伐してるわけです。最近はこの村に滞在することが増えたので、こうやって宿を化してくれてるんです」
セレノアたちは今、ルソス村にある宿の一室で話をしていた。そして、彼女は今も不機嫌そうだった。
「あの、何か嫌なことでも」
「さてと、そろそろ説明してもらいましょうか?」
セレノアは率直に聞こうとしたが、シレーナが左手で一方向を指差した事で口を閉じた。
「あなたの隣で落ち着きのない子は、いったい誰なんですかね〜?」
彼女の指先はセレノアの隣に座っている、どこか不安そうにチラチラと見つめる少女に向いていた。
「あ、この子は」
「あああああのっ! エマと申します!!」
セレノアが紹介するよりも早く、少女は茶髪のおさげを振り乱しながら大声で名乗った。
シレーナと目が合った瞬間に逸らし、顔を赤らめて両手の指をいじり始める。
「せ、セレノアさんに聞いたんですっ、お、王国騎士団の中に、平民でも入団試験を行ってくれる人がいるって」
「‥‥‥つまり、あなたは王国騎士になりたいということですか?」
シレーナが目を細めて話しかけると、エマは勢いよく立ち上がる。椅子がガタガタと揺れるが、そんなことはお構いなしに両目を閉じて口を開く。
「は、はいっ! わたし、少しでもお側にいたいんですっ!」
「‥‥‥へぇ〜?」
そして彼女の発言を聞いた瞬間‥‥‥シレーナの目がみるみると細くなっていき、やがて笑顔になる。
「ずいぶんと素直な子ですねぇ。そう思いませんかセレノアく〜ん?」
「え? ああ、そうですね」
セレノアは急に話を振られて少し困惑した。
シレーナの笑顔には、かなり圧力があるように感じた。
「はいっ、大好きですっ‥‥‥シレーナさん!!」
「ーーーはい???」
シレーナは文字通り首を傾げた。まるで予想外と言わんばかりの反応を見せる。
「まあ、そうらしいです」
そして、セレノアは特に驚いていない。
最初からエマの気持ちがどこに向いているか、分かりきっていたのだ。
「綺麗な黒髪っ、凛とした表情っ、紛うことなき天才騎士!! わたし、ずっとシレーナさんに憧れて生きてきたんです!!」
「えぇ‥‥‥?」
エマが目を輝かせながら早口で捲し立てたことで、シレーナは困惑を強めた。だがエマは止まらない。
「シレーナさんと同じ王国騎士になれるチャンスがあるならっ、ぜひ挑戦したいと思って!!!」
次々と自分の気持ちを明かしていく彼女に、セレノアは苦笑いを浮かべていた。
「‥‥‥??」
そしてシレーナは、完全に絶句している。
「入団試験ってどんな内容なんですか!? あ、いえ念の為に聞いてるだけで!! どれだけ過酷な試験でも絶対に合格します!! シレーナさんと同じ王国騎士になりたいのでッ!!」
この後も、エマは色々な事を早口で話していた。自分の年齢や趣味、自分に関する事を赤裸々に。
まるで、シレーナに何でも知ってもらいたいといわんばかりに。
「シレーナさん、とりあえず何か反応しないと」
セレノアは助け舟を出した。というよりシレーナが黙り込んだままだと一向に話が進まないからだ。
「い、意気込みは分かりましたぁ‥‥‥」
そしてシレーナがようやく声を出す。表情は完全に困惑一色だったが、話ができる程度には戻った。
「試験というのは筆記試験やそういうものではなく、私たちの隊長が面接を行い、独断で受験者の合否を決めます」
「えぇ!?」
エマが数歩下がりながら驚く。シレーナは一息ついて話を続ける。
「つまり私やセレノアくんから、大した助言はできません。私たちに今できることは、あなたがどういう人間か事前に把握する事くらいですねー」
シレーナは完全に落ち着きを取り戻したのか、いつもの口調に戻りつつあった。
「ハーティア隊長に認められるのが試験なら、ほぼ間違いなくエマは通ると思いますよ」
セレノアはあっけからんとエマを後押しする。それを聞いたシレーナが少し眉を下げ、目を細めた。
「ずいぶん評価が高いですねー? 何かこの子を後押しする特別な感情があるのですかー?」
「感情‥‥‥? とにかく、エマの力を見てもらった方が早いですね」
セレノアは短剣を手に持つと‥‥‥自分の腕を薄く切った。当然、血が溢れ出る。
「ちょっ、いったい何をーーー!?」
シレーナが目を見開いて椅子を押して立とうとするが、次に視界に入ったものに意識を奪われていた。
「もうっ、突然なにしてるんですか」
エマが翳した両手から魔力が溢れ、セレノアの傷口を瞬く間に治しているのだ。
「ち、治癒魔術!? まさかこの子はーーー」
勢いよく立ち上がったシレーナに対し、セシルは嬉しそうに頷く。
「はい、聖属性魔力に適正があると思います。しかも殆ど魔術を教わったことがないそうで」
そして、はっきりと呟いた。
「て、天才ッ!!?」
シレーナは声を弾ませ、目を輝かせる。
「ひゃぁっ」
その事でエマは激しく動揺したのか、顔を赤くして治癒魔術を乱れさせるのだった。




