第73話 ルナ・ヘイワード
床に転がったセレノアは、すぐに起きあがろうとする。
「落ち着いてくださいッ、僕はただーーー!?」
だが必死の声も虚しく、上に乗りかかってきた男に頬を殴られた。その後、馬乗りになられたまま一方的に殴られ続ける。
床に、血が何度も飛び続ける。
「やめてお父様っ、その人は悪くないのッ!!」
レーナが大声で訴えるも、男は腕を止める気配が無かった。完全に逆上していて、声が聞こえていない。
「〜〜〜このっ‥‥‥いい加減にしろッ!!!」
セレノアは力を込め、全力で上体を起こす。それと同時に、勢いよく頭突きを男の額へぶつけた。
「ぐぉッ!?」
男が呻き、後ろに座り込む。
その瞬間、セレノアは彼の両腕を掴んで息を吸った。
「フィーアさんが亡くなった事をっーーーあんたたち家族に伝えに来たんだよッ!!!」
そして喉を限界まで震わせ、大声で言い放った。もしかしたらセレノアにとって、人生の中で最も声を出した瞬間かもしれない。
「ルナが、死んだ‥‥‥?」
さっきの気迫とは一転、男は身体を震わせて呟く。だが口から飛び出した名前は、全く聞き覚えが無い。
「ルナ‥‥‥? それってフィーアさんの事ですか?」
セレノアは困惑するが、とりあえず話を続ける。男の反応から、同一人物であると確信を持って。
「‥‥‥彼女はこの前、マルタ砦の一件で亡くなりました」
話すにつれて落ち着いたのか、セレノアは敬語に戻った。口元が切れて血が滲み出ているが、気にしない。
「フィーアさんは、あなたたちの事を教えてくれませんでした。どうか、詳しく教えてくれませんか?」
そして頭を下げ、精一杯頼み込む。
「‥‥‥そうか。あの子が手紙に書いていたのは、君だったのか」
男が独り言を呟いて、一筋の涙を流す。袖で拭って立ち上がる。
「分かった。出来る限りの事は話そう」
彼の言葉に、セレノアは安堵した。
「だが‥‥‥まずは君の手当てをさせてくれ!!」
そして、セレノアは苦笑した。勢いよく頭を下げる、フィーアの父親を見て。
数分後。
セレノアは椅子に座り、レーナに応急手当てをされていた。
「私はホルス・ヘイワード。さっきは勘違いで、本当に失礼な事をした‥‥‥すまない、この通りだ!!」
そしてヘイワード家の現当主が、勢いよく頭を下げる。背が高くて体格も良く、筋肉質な身体。
そんな彼に全力で殴られ、セレノアは負傷した。少し身体を動かそうとすると、痛みが走るほどに。
「頭を上げてください。勘違いされそうな状況でしたし、僕も頭突きでやり返してしまったんですから」
だが表には出さず、セレノアは穏やかに言葉を返した。時折、消毒液が傷に沁みるが必死に我慢する。
「最近、近所で強盗の被害があってな。だから泣いてる2人を見て、さっきは頭が真っ白になってしまったのだ。本当にすまない!!」
ホルスは上げかけた頭をまたしても深く下げた。
普段は温厚で心優しい人物だと分かったため、セレノアは気にしていない。
「あなたの奥さんから、フィーアさんは勘当されてると聞きました。もし良かったら、話していただけませんか」
「それはもちろん。だが、その前に詳しく聞かせてほしい。あの子が、亡くなった事を」
ホルスの言葉に、セレノアは頷いて話し出す。
マルタ砦の防衛に参加し、魔王軍と戦った事。
途中までは順調だったが、魔王軍の最高幹部『六大魔殿』の一人に、戦況を覆されたこと。
そして、フィーアを始め仲間の二人まで命を落としてしまった事。
「‥‥‥そう、か。辛い事を話させて、申し訳ない。わざわざ報告に来てくれて、本当にありがとう」
話を聞いたホルスは深々と頭を下げた。机に置かれた彼の両手はわなわなと震えている。両隣の妻マーファ、娘レーナは涙を流している。
「無礼を承知で聞きます。なぜ、フィーアさんは勘当されたんですか? あなたたちを見ていると、とても仲が悪かったように見えないんです」
セレノアは今まで感じていた疑問を率直に尋ねた。
フィーアを勘当してヘイワード家との繋がりを絶っていながら、亡くなった事には家族として悲しんでいる事に、違和感を覚えた。
「それは‥‥‥」
レーナが目を見開いて狼狽する。
そんな彼女を手で制したのは、ホルスだった。
「少し長い話になるのだが、それでもいいかな」
「喜んで。恩師であるフィーアさんの話、聞きたいです」
セレノアは即答した。純粋に知りたかった。尊敬している彼女の過去を。
「じゃあ、どこから話そうか」
ホルスは一息付いてから、口を開いて話し始めた。
「何となく勘付いているかもしれないが‥‥‥フィーアというのは、あの子が自分で考えた偽名なんだ」
◆◇◆◇
ルナは昔から、負けず嫌いで活発な性格でね。
あの子が魔術に興味を持つのに、時間は掛からなかった。
『お父さま! ルナ、もっと魔術を知りたい!』
反対はしなかった。我がヘイワード家は父の代から始まった新参で、良い相手と婚約するには爵位の格が足りない。
その不足を、魔術という才で補うのは悪くないと思ったからだ。実際、魔学は貴族の嗜みだからな。
ルナは高い意欲を持って、着実に実力を付けていった。王立学院に入学した時には、学年上位に入る実力を身に付けていた。
だが、それが全ての始まりだった。
『‥‥‥なんでもない。実技で熱中し過ぎただけ』
定期的に会うルナの身体に、よく痣が出来ていた。魔術だけでなく身体も熱心に鍛えるのかと、私は感心していた。
『ごめん、お父さん』
実技の講義で、ルナが同級生に重傷を負わせたという報せが、学院から手紙が届いた。
相手は3人。家の爵位は伯爵で、ルナによく絡んでいたという。
『‥‥‥本当にごめん。卒業まであと半年だったのに』
娘は優れた実力を持って容姿も良いと妬まれ、イジメに遭っていたという。私は何も知らなかった。いや、少しも気付けなかった。
学院は彼女たちのイジメを立証できず、咎められたのはルナだけだった。王立学院を、退学になった。
『こんな世界で、生きたくない』
王立学院の卒業は、男爵以上の世襲貴族にとって暗黙の義務と化している。その道を外れた娘に、貴族社会の光は無かった。
『気持ち悪い。家がどうとか、領土を持ってるとか、そんな事が凄いと思ってる貴族社会が』
いや本人自ら、その光から背を向けた。
私たち家族に頭を下げ、家を出ていった。
『ーーーヘイワード家の事は何も話さないし、私はフィーアって名乗るから安心して。冒険者生活が落ち着いたら、また手紙を書きます』
早朝、私たち宛ての手紙を机に残して。
私は何もしてやれなかった。だからせめて、あの子が決めた選択を見守る事にしたんだ。
『私、自分の力で生きてみせるから。お父さんたちも、どうか元気で幸せに』
最後の文面を見ただけで、その決意はすぐに揺らいでしまった。
◆◇◆◇
「‥‥‥そんな事があったなんて」
セレノアは声を漏らし、心の中で祈る。冒険者フィーアとして生きてきた、ルナ・ヘイワードの冥福を。
(だから王立学院の事に詳しかったのか‥‥‥辛い事があったのに、親切に教えてくれたんだ)
王立学院の仕組み、必要な学費など。出会った時に感じた僅かな違和感が、瞬く間に晴れていく。
「ずっと後悔している。私がすべきだったのは意見の尊重では無く、あの子を呼び止めて守るべきだったんじゃないかとっ」
ホルスの声が次第に震えていく。昔の話をした事で、当時の無念が溢れ出しているのだろう。
「‥‥‥初めて会った時、あの人は僕を助けてくれたんです。怪我を瞬く間に治癒し、心配までしてくれました」
セレノアは徐ろに話し始める。
「フィーアさん、いつも楽しそうでした。そんな辛い事があった事なんて、僕が全く気付けないほど。それに、信頼できる2人の仲間がいました」
思ったことを、口に出していく。
「僕が知ってるフィーアさんは‥‥‥いつも笑顔で明るくて、魔術の事になると早口で、そして酒癖が悪い‥‥‥面白お姉さんです」
セレノアは穏やかに微笑む。
「フィーアさんの気持ちは、僕には分かりません。ですが僕は、ホルスさんたちに感謝しています」
椅子から立ち上がり、頭を下げる。ホルスたちが目を見開く。
「僕が冒険者フィーアさんと出会えたのは、意思を尊重してくれた皆さんがいたからです。本当に、ありがとうございます」
そして、彼らに精一杯の感謝を伝えた。フィーア、いやルナの家族である3人に。
「セレノアくん‥‥‥」
ホルスの声が上擦り、鼻を啜る音が聞こえる。
それは両隣に座っていた、マーファとレーナも同じだった。
「‥‥‥ありがとうっ」
彼の言葉は、この場にいる家族全員の思いが込められていた。涙を流しながら、憂いのない笑顔を浮かべていた。
「それでは、フィーアさんの遺品を持ってきますね。近くの宿に預けてあるんです」
セレノアは穏やかに微笑み、頭を下げてから歩き出す。すると、その進路にレーナが割り込む。
「私も手伝います。いえ、手伝わせてくださいっ」
そう言った彼女の意思は固そうだった。セレノアは快諾して共に歩き出す。
「‥‥‥あと、ルナ姉様の話を道中で聞かせてください」
「もちろんです。僕も昔のフィーアさん、いやルナさんの話をもっと聞きたいです」
「ふふっ、無理に合わせなくて結構ですよ? ルナでもフィーアでも、どちらも私の姉様ですから」
セレノアは昔の彼女を知りたい。
レーナは冒険者時代の姉を知りたい。
2人は初対面にも関わらず、道中で話が尽きる事は無かった。
「ーーーえっ、12歳なんですか!?」
「もしかして、セレノアさんも?」
そして、同い年である事も判明した。
セレノアの驚きようを見て、レーナが微かに頬を膨らませる。
「そんなに、老けて見えますか?」
「いや、すごく大人びてるから年上だと思ってました‥‥‥」
セレノアは心の中で、『シレーナさんよりも』と付け足した。無意識の感想である。
その後、セレノアは再びヘイワード家へ訪問し、両手に持っていた箱を置く。冒険者フィーア‥‥‥いや、ルナ・ヘイワードの遺品を。
「これが、あの子の‥‥‥」
「ああっ、ルナっ‥‥‥」
「姉様‥‥‥この髪留め、使ってくれてたんだ」
ホルス、マーファ、レーナが遺品を見つめて声を漏らす。
「あの、遺骨に付いてなんですけど‥‥‥話したい事がありまして」
そしてセレノアは、意を決して話を切り出した。
それは、今まで言い出せなかった本題。
「フィーアさん、いやルナさんの‥‥‥‥‥‥」
言葉の後半を聞いた3人が目を見開く。
だが、すぐに彼らは穏やかに微笑んだ。
「気にしないでくれ。むしろ、その方がルナも喜ぶと思う」
「幸せそうだったという、あなたの話を信じます」
「私たちは大丈夫です。もし私たちが参りに行った時に、案内してもらえると助かります」
それぞれの言葉を聞き、セレノアは深々と頭を下げた。
「ありがとうございますっ‥‥‥!!」
その後、セレノアは彼らと食事を取ることになった。色々な話をし、また知らない事をたくさん聞けて楽しかった。
「君なら大歓迎だ。いつでも来てくれ」
「また、お待ちしています」
「セレノアさん、また会いましょうね」
そして、日が暮れる前。
「今日はありがとうございました。それでは、また機会があれば!」
セレノアは3人に見送られて、ヘイワード家を後にする。泊まっていけとホルスに言われたが、丁重に断った。
(これで、もう心残りは無くなった)
セレノアは深呼吸して、歩き出した。




