第46話 世界は待ってくれない
セレノアの剣が、オーガの首元の皮膚を抉り取る。
「ガァっ!!? このクソ雄がァァァァ!!!」
絶叫するオーガが身体を捩り、大きな左腕を薙ぎ払う。豪快な一撃が、空中のセレノアに迫る。
「ーーー【魔力放出】!!」
セレノアはカッと目を見開き、無属性魔術を発動。左手から魔力を放出し、オーガの左腕へ衝突させる。
「効かねえナァ!!!?」
僅かに拮抗した後、オーガが左腕を勢いよく薙ぎ払う事で魔力が離散した。
だが、セレノアは魔力を前方に放出した勢いで後退していて、既にオーガの攻撃範囲から距離を取っていた。
(魔術を使うしか無かった‥‥‥次からは気を付けないと)
攻撃魔術が木に直撃し、火種を引き起こす可能性があった。空中での回避のために、さっきは他に手が無かった。
(首を狙うには跳躍しないと当たらない。でも跳躍したら、さっきみたいに空中を狙われる‥‥‥)
オーガは二足歩行。当然、首は見上げるほど高い位置にある。11歳の少年からすれば、対峙する巨体はまるで砦だった。
「どうする‥‥‥」
セレノアは独り言を呟き、左手で額を拭う。すると、僅かに赤に染まっていた。
「ーーーヅッ!?」
そして、不意に閃く激痛。
頭から発する痛みが、もう限界が近い事を突き付けてくる。それは定期的に訪れる左肩の痛みに似た、針が刺さったような鋭い痛みだった。
「このチビがぁぁッ!!!!」
意識の外側から、オーガの怒声と足音が迫り来る。不意を突かれたセレノアは歯を噛み締め、右方向へ駆け出す。振り下ろされた鉈が、地面に破裂音と衝撃を走らせる。
「はぁッ!!」
セレノアは大きく一歩を踏み出し、オーガの懐へ潜り込む。その時に薙ぎ払われた左腕が迫るが、両膝を曲げてギリギリで躱す。
そして、渾身の一撃をオーガの左足首に叩き込んだ。
ーーーギィンッ!!!
だが筋肉で覆われた足首は硬く、今の剣だと刃が通らなかった。セレノアは剣を振り抜きながら舌打ちする。
「無駄なんだよォ!!!!」
煽るように叫ぶオーガが、振り返りながら鉈を振り上げる。セレノアは眉を顰めながら剣を強く握り直し、駆け出していく。
「しッ!!!」
「ラァァァァ!!!」
セレノアの声と、オーガの声。その両方が重なった。
セレノアは振り下ろされる鉈を紙一重で躱し、オーガの身体に剣で斬り込む。さっきと同じで、刃が全く通らない。
オーガの鉈が振り下ろされる。セレノアが躱して斬り込む。その繰り返しで、膠着状態が続く。
「そんな軽い一撃、痛くも痒くも無いぞォ!!!」
自身の身体を自慢するかのように、オーガが笑いながら鉈を振り下ろす。
セレノアは最初の攻防以来、攻撃の時に跳躍していない。何度か手足や胴体を斬り続けたが、筋肉隆々の身体には刃が通らず。
仕留めるには、首を落とす他ない。
(隙さえ作ればっ‥‥‥!!!)
だが、迂闊に飛び込めば返り討ちは必至。そのため、焦ったい攻防を続けながら隙を探っている。
今のセレノアは、対峙するオーガを倒す事しか頭に無かった。
「せ、セレノアくんっ」
すると突然、意識の外から聞こえた声。
両膝を突いて、わなわなと震えながら傍観するシレーナだった。
「ーーー馬鹿ッ」
セレノアは目を見開き、声を漏らす。予想外の出来事に、反応が遅れる。
「ぁ、そうだったナァ」
その声に反応したのは、セレノアだけではない。
オーガが卑しく笑うと、身体の向きを変えて走り出した。
「シレーナさんッ!!!」
予想できた展開に、セレノアは叫びながら駆け出す。両膝を突いて動けない彼女は、まさに格好の的。
一歩が大きいオーガが、シレーナの前に立つ。
「楽な方から、先に殺すかナァ」
弾んだ声が響き、躊躇なく鉈が振り下ろされる。
その瞬間、シレーナは何も言えずに見届けーーー。
ギィィィンッ!!!!
彼女の側で、耳障りな金属音が響き渡る。シレーナは目を見開き、目の前の光景に絶句している。
「せ、セレノアくんっ」
「逃げ、ろよっ‥‥‥早くっ」
セレノアは片膝をつきながら右肩に構えた剣で、オーガの鉈を受け止めていた。全身がぶるぶると震え、今も必死に力を込めている。
当然、どちらの力が上か言うまでもない。
「ぐっ‥‥‥!!」
その結果を見せつけるかのように、セレノアの右肩には自分の剣が食い込んでいた。鉈に押し込まれ、今も少しずつ下がっている。骨つき肉に、少しずつ包丁を下ろすかのように。
漏れ出た鮮血が、ボタボタと流れ落ちていく。
「どんな過去を引きずっていようが、世界は待ってくれないっ‥‥‥!!」
セレノアは必死に剣を握り締めながら、歯を噛み締める。
「どれだけ怖くても、辛くても関係ないっ‥‥‥動かなかったら、何も変わらないんだよ!!」
セレノアは無我夢中で叫んでいた。まるで自分へ投げかけているような言葉。
「過去の罪悪感を紛らわすために、僕を利用するなっ‥‥‥あんたの弟に失礼だろうが!!」
もはや愚痴だった。
セレノアは死と隣り合わせの状況で、感情が少しも誤魔化されずに外へと出ていく。
「弟のせいにして、生きる事を諦めやがって‥‥‥!!」
「なっーーー」
セレノアの無意識に放った一言が、シレーナを容赦無く曇らせる。
「さっきから、なに言ってんだァ???」
嘲笑を浮かべるオーガの声も、今のセレノアには届いていない。鉈の侵食を食い止めながら、無我夢中で感情を吐露するのみ。
「あんたの弟と、一緒にするなっ‥‥‥あんたのために命は張れない。誰が、あんたなんかに命を懸けるかっ!!」
もはや言動が支離滅裂となっているが、セレノアは止まらなかった。
「僕が命を懸けたいのは‥‥‥昔からずっと一人だけだッ!!」
セレノアは剣を握り直し、無我夢中で叫ぶ。溢れ出した感情の昂りが、全身から湧き上がる。
「っ、このガキッ!!」
そして、鉈の軌道が微かに逸れた。
セレノアの右肩から外れ、勢いよく地面を穿つ。
その衝撃で土が飛び散る中、シレーナは目を見開いていた。
「迷うなら、ここから離れろっ‥‥‥戦場に足を踏み込むなッ!!」
大声を出すが、息も絶え絶えなセレノア。
血が溢れ出す右肩を押さえ、全身は擦り傷だらけ。まさに満身創痍。
だが、両眼の奥には燃えるような強い意志が宿っていた。
「しぶといガキがッ、なにイキがってんダァ!?」
すぐさま鉈を振り上げたオーガが、目を迸らせて狙いを定める。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
肩が上下するほど息が切れているセレノアは、必死に剣を握り直す。だが、右手が痙攣して力が逃げる。
「いい加減、死ぬんだナァッ!!!!」
そして無慈悲な一撃が‥‥‥セレノアの脳天を穿つ。それは頭どころか、全身を真っ二つにするほどの威力だった。
「‥‥‥‥‥‥?」
セレノアは目を見開いていた。
目前で逸れていき、地面を吹き飛ばした鉈が視界に映る。
「‥‥‥新人の分際で」
セレノアは後ろを向いて声の行方を追う。聞こえてきた声は、どこか聞き覚えのある抑揚だった。
「グチグチと偉そうに‥‥‥」
右手を前に突き出し、淡々と呟くシレーナ。
その言葉と態度は、さっきまでとは完全に別人。
「この天才騎士に暴言を吐いた事、後悔させてあげますから」
それは‥‥‥普段の修練で垣間見える、飄々とした彼女だった。




