第45話 宝の持ち腐れ
「っ、ぁぁぁぁぁァッ!!!」
セレノアは声と力を振り絞り、魔力で強化した右手を地面に付く。勢いと反動で、身体が前方へと飛び上がる。
「ちッ!!」
オーガが舌打ちする。
振り下ろされた鉈が、地面を深々と抉っていた。
「ーーーらッ!!」
セレノアは飛び上がった体勢のまま、隙だらけのオーガの頬に右フックを放つ。右拳が減り込んだ後、振り抜いた勢いでオーガが微かに仰け反る。
「がッ、、このクソ雄ガッ!!!」
だが当然、致命傷にはならない。
腕の力だけで振り抜いた拳は、たとえ魔力で強化しても軽かった。
目を迸らせたオーガが、左腕を水平に振り払う。それはまるで、大木が薙ぎ払われたような一撃。
「くッ!?」
空中のセレノアは、両腕を胸の前で交差して力を込める。魔力を集中させた両腕で、オーガのラリアットに立ち向かう。
「グぁッ!!!?」
セレノアは瞬く間に、オーガの左腕に薙ぎ払われた。上下左右が分からなくなるほど身体が回転し、視界が揺れる。
「セレノアくんッ!!!」
すると後ろから、甲高い悲鳴がセレノアの背中に響く。吹き飛んでいく身体に微かにぶつかり、背中に巻き付かれるような感触。
セレノアは目を見開いて、グニャグニャ回る視界の中に映る‥‥‥確認する。
「ぁーーー!?」
それは、シレーナだった。
衝撃を少しでも和らげようと、セレノアの身体に飛び付いて来たのだ。
だが少女の身体1つで、衝撃を止められるはずが無い。
「ッ、ぁぁアッ!!!?」
背中に抱き着いてきたシレーナもろとも、木々の枝を折りながら吹き飛んでいく。
「ぐはッ!!!」
「あぐッ!!!」
そしてセレノアとシレーナは、太い枝に身体をぶつけて地面に突っ込む。だが、まだ勢いは止まらない。
「あぁッ!!?」
数えられないほど地面を転がる間に、シレーナが背中から離れていった。彼女の悲鳴を後ろに感じながら、セレノアは地面を転がり続ける。
「うぅッ‥‥‥!!? ぁ、ぐ‥‥‥」
ようやく、猪突猛進の旅が終わりを迎えた。
(いま、は)
仰向けに倒れたセレノアは、意識を保つだけで精一杯の状態だった。
「セレノア、くんっ‥‥‥!!」
斜め後ろから聞こえる声だけが、今のセレノアに感覚だった。何度も聞こえてくる声によって頭がガンガンと痛む事で、辛うじて意識を保っている。
「ぁ、ぅっ‥‥‥」
だが当然、限界を迎えていた。
立つ事は愚か、起き上がる事すら出来ない。
できるのは、両手の指を動かす事のみ。
(け、けん、は‥‥‥まだ、あるっ‥‥‥)
それはセレノアの意地か。
剣だけは、今も右手でしっかり握り締めていた。
「しぶとい雄だナァ。ヒトの幼体で初めてみタゾ」
そして、不規則な発音が聞こえてくる。
ドシンドシンと、巨体に応じた足音がにじり寄ってくる。
「く、そッ‥‥‥!!」
セレノアは右手を必死に折り曲げ、剣を身体に引っ張る。だが、右手の挙動は亀のように遅かった。
「せ、セレノアくんッ‥‥‥!!」
シレーナの声が、すぐ後ろから聞こえてくる。どうやら彼女も、必死に近付いてきたようだった。
「にげ、てッ‥‥‥」
「馬鹿なのっ、逃げるべきはあなたっ、でしょッ‥‥‥」
張り裂けるような声が、耳元で響く。
必死に歩いてきたシレーナの身体が、不自然に折れ曲がる。力が抜けたのか、両膝を地面に付けて上体が倒れ込む。
「ごめん、なさいっ‥‥‥」
そして仰向けに倒れるセレノアの腹に、頭から覆い被さって声を漏らしていた。
「ナニ始めようとしてんダ、お前ラ。死ぬ前ってのハ、やっぱり繁殖したくなるのカァ?」
ゆっくりと近づいて来るオーガは明らかに嘲笑していた。仰向けのセレノアとうつ伏せのシレーナには、お互いの顔と身体しか視界に入っていない。
「あなたが戦ってる姿を、無意識に追ってしまった‥‥‥傷付かないか、心配でっ‥‥‥」
セレノアの服が、ジワジワと濡れていく。腹の部分から、少しずつ浸透していく。
「ごめんなさいっ‥‥‥ユーリ」
彼女の声は、全てを諦めていた。
だが‥‥‥それが始まりだった。
「‥‥‥ふざ、けんなッ」
セレノアは歯を食いしばり、震える両手でシレーナの両肩を掴む。目を見開いて驚く彼女を、容赦無く横へずらす。
「うっ、セレノアくんっ‥‥‥?」
地面に頭を付けたシレーナが声を漏らす。
セレノアは左手を必死に掲げる。魔力を全身から手繰り寄せ、滲ませる。
「僕はっ‥‥‥あんたの弟じゃないッ!!」
そしてーーー左手を勢いよく額にぶつけた。
魔力で強化した左手と、強化しなかった額。
「セレノアくんッ!!」
当然、血飛沫が地面に滴り落ちる。
その一撃は、まさに自傷行為だった。
「ッ‥‥‥うそッ」
その行動に、シレーナが声を震わせる。
「なに勝手に‥‥‥心中させようとしてんだよ‥‥‥」
セレノアの身体が、ゆっくりと動き出している。
燃料を補充して、動き出す機械のように。
「あんたの過去に、付き合うつもりは無い‥‥‥」
だが、その両眼には‥‥‥今を生きている者にしか宿せない、眩い意志の光があった。
「僕は死ねない‥‥‥まだセリカに会うまでは死ねないんだよッ!!!!!」
それはセレノア‥‥‥いや、アベル。
茨の道を突き進む少年の、魂の咆哮だった。
「お前、イカれてるのカァ??」
新たな衝撃を頭にぶつける事で、さっきまで感じていた脳の衝撃を、無理やりに相殺したのだ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ‥‥‥イカれてるのは、お前の図体だよ化け物がっ」
ノーガードの頭への自傷行為。元々側頭部を負傷していた事もあるため、その影響は計り知れない。
ーーー頭が燃えるように熱い。
ーーー左肩がズキズキと痛み出す。
だが、意識は普段以上にはっきりしていた。
「羨ましいカ?」
「ああ、羨ましいね‥‥‥そんな宝の持ち腐れには、心底を腹が立つ」
その一言で、空気が張り詰める。僅かばかりの静寂が訪れ、微動だにしない。
「遺言はそれでいいカァ!!!?」
オーガの怒り狂った一撃が、地面を大きく揺らす。
だが、振り下ろした鉈の先には誰もいない。
黒髪少年は軽やかに跳躍していて、オーガの首元へ迫る。
「そんな言葉も知ってるんだなーーー化け物なのに」
そして勢いよく斜めに振り下ろした剣が、オーガの首元に突き刺さった。




