第44話 泡となって
『アベルっ!』
笑顔で名前を呼んでくる、銀髪の少女。その笑顔は太陽のように眩しく、薔薇のように美しい。
『あ‥‥‥あの、アベルくん』
控えめに尋ねてくる、銀髪の少女。その表情は暗くて声も小さく、しおらしい。
『ねぇ、アベルってば!』
『アベルくんって、その‥‥‥』
2人の声が重なる。
だが2人の仕草、息遣い、佇まいは全く異なる。
『早く行こっ! 日が暮れちゃう!』
『あの‥‥‥私も一緒に行きたい』
2人の手が同時に伸びてくる。片方は元気よく、もう片方はゆっくり。
『ふふっ、私についてきて!』
『離さないで、ね‥‥‥?』
その2人は手を伸ばして、嬉しそうに微笑んでーーー。
泡となって、消えた。
「ーーーゔぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!?」
絶叫して飛び跳ねるように起きた、セレノア。
身体に乗っていた何かを無造作に引き剥がし、上体を起こす。首から背中にかけて汗が浮かび、服が張り付いている。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ‥‥‥夢、か」
激しく息を切らしながら右手に掴んだものを確認すると、それは寝始めた時は被っていなかった掛け布団だった。
「ぇ、あれっ‥‥‥? シレーナさんは‥‥‥?」
そして、隣で眠っていたはずの少女がいない。
セレノアは深呼吸しながらベッドを降り、机を探り当てて水を飲む。
乾き切っていた喉を、冷たい水が流れ落ちていく。
「んっ、んっ‥‥‥はぁっ。今、何時だ‥‥‥?」
暗闇の中を手探りで移動し、固く膨らんだものが左手に触れる。ドアノブだった。
「‥‥‥シレーナさん?」
セレノアは扉を開けて、外を覗く。暗闇に包まれた村は、まるで無人のように静かだった。
「ぇ‥‥‥あれってーーー」
だが、セレノアの目には確かに捉えた。
遠くの暗闇の中で、不気味に輝く複数の火の玉。
そして‥‥‥肉がぶつかるような音。
「まさか、シレーナさん!!」
セレノアは机に置いていた剣を掴み、火の玉めがけて走り出す。
(僕が怪我してるから、1人で魔物と戦ってるのかっ!!?)
そんな考えが頭をよぎり、裸足のまま柵を飛び越えて、森へと足を踏み入れる。
「シレーナさんっ!! 聞こえたら返事して!!」
彼女の名前を呼びながら、火の玉との距離を詰めていく。そして、複数の火の玉‥‥‥その正体が判明した。
「あァ?? 人間の雄だぞォ!!」
それは、魔物たちが手に持っていた松明。遠くから見ると、火の部分だけが見えて火の玉のようだった。
セレノアの視界に入ったのは、数匹のゴブリンとオークの集団。
「ちッ、すばしっこい雌だッ!!」
そして、熊のように大きい緑の化け物と‥‥‥果敢に戦う黒髪少女。
「シレーナさんッ!!!」
寝巻き姿で短剣を握る彼女を見つけ、セレノアは大声で叫ぶ。
「セレノアくんっ!!?」
驚いた声を出しつつ、化け物と距離を取るシレーナ。
彼女と対峙しているのは、オーガ。
ゴブリンやオークとは比較にならないほど大きく、皮膚が硬い。
またゴブリンたちに周囲を囲まれていて、彼女は四面楚歌だった。
「なんで来たんですかッ!!? わざわざ少しずつ遠くへ誘導して戦ってたのに!!」
嗜めるように叫ぶ彼女を無視し、セレノアは剣を振りかぶる。
「どけッ!!」
「グァァッ!!?」
1匹のゴブリンを斬り伏せ、地面に落ちた松明を剣の風圧でかき消す。木々に燃え移れば、森の大部分が炎上してしまう。
魔物が持つ松明に気を付けながら、複数の魔物に対処する必要がある。
(‥‥‥絶対に焦るな)
そして、魔力を放出するような攻撃魔術も、森が燃える可能性があるため無闇に使用できない。その課せられた不条理を前に、緊張で激しくなる心臓の鼓動。
セレノアは意識的に息を吐いて、2匹目のゴブリンに挑む。
「フシャァァァァッ!!!」
涎を撒き散らして振り下ろされた棍棒を躱し、剣を縦に振り下ろして隙だらけの首を落とす。
(あとゴブリンは3匹、オークは2匹。そしてシレーナさんと対峙している、大きな魔物‥‥‥!)
戦況を細かに把握しながら、倒しやすい敵に狙いを定める。当然、ゴブリンかオークの2択。
「ーーーッ!!」
そしてセレノアは数歩駆け出し、剣を振るう。魔力で強化した手足の速さは、ゴブリンには対処出来なかったようだ。
「グボヘッ」
首を切り落とされ、短い声を上げる。
そして、松明がゆっくりと落ちる。
ゴブリン2匹とオーク2匹が、その松明との距離を詰める。セレノアが松明を消そうとする隙を、挟み込むべく。
「ーーーだと思ったよ」
セレノアの取った行動は、全く違うものだった。
姿勢を低くし、両足に力を込めて上半身を捻る。
「はぁッ!!!」
そして水平の半円を描くように、右手の剣が空を切る。
「「「ぁ、ガっ‥‥‥」」」
魔力を込めた右手による、狙い澄ました剣撃は‥‥‥1匹のオークを残して、胴体を真っ二つに切り払った。
3本の松明がゆっくりと落ちる。そして、さっきの1本は既に地面に落ちている。
「ぐぁ、ば、ばけモノっ」
背後で驚くオーク。
セレノアは即座に振り向いて、淡々と剣を突き刺す。
「ぁガッ‥‥‥!!?」
オークの胸元を抉り取るように差し込む。絶叫なんてお構いなしに、セレノアは剣を握る両手に力を込める。
「っ、、ラッ!!」
そして僅かに剣を横に動かし、鋭い息遣いと共に勢いよく抜き取る。もう用は無いと、背を向けながら。
「ァ、ァ‥‥‥」
胸の穴から黒い血飛沫を噴き出し、オークが地面をうつ伏せに倒れる。
そして地面に落ちていた全ての松明が、血の濁流に侵食され‥‥‥光を失った。
(あとは大きな魔物だけーーー)
剣に付いた血を振り払って、セレノアは最後の標的を視界に捉えるべく振り返る。
そして視界に映った情報に、セレノアは目を見開く。
「よそ見ばっかしテ、隙だらけダ。あの雄に発情でもしてるノカ?」
卑しい笑みを浮かべて右手に持った大きな鉈を回す、オーガ。その鉈は切先が赤く滲んでいる。
「ぅ、ぐッ‥‥‥」
そして、苦しそうな息遣いで木にもたれかかっている‥‥‥シレーナ。意識が散漫としているのか、彼女の魔力が激しく乱れている。まるで、素人の魔力制御。
そして、押さえている左肩からは‥‥‥隠せないほどの血が流れていた。
「ぁーーーシレーナさんっ!!」
セレノアは大声を出して駆け出し、卑しく笑う大きな化け物‥‥‥オーガへと向かっていく。
「来ちゃダメッ!!!」
呼び止めてくる声を無視し、セレノアへ全身を魔力で強化して剣を強く握る。
「ーーーッ!?」
順調に距離を詰めていたセレノアは、目を見開いて絶句する。
一瞬で、オーガの身体が至近距離に迫っている。
「オーガは巨体で攻撃範囲が広いのッ!!」
必死に捲し立てる、シレーナの訴えるような声。
巨大な足は、人間には想像も付かないような一歩を踏み出す。巨大な腕は、振りかぶるだけで周囲を呑み込むような可動範囲を見せる。
11歳のセレノアにとって、オーガの体躯は理解の外にあった。
(うそだろーーー)
そして巨大な鉈は、既にセレノアの眼前に迫っていて‥‥‥衝突する。
ギィィィンッ!!!
森の中に、甲高い金属音が響き渡る。
「お。よく止めタ」
「こっ、のっ‥‥‥!!!?」
セレノアは間一髪、右手の剣を引き寄せて鉈を防御していた。だが体勢はあまりに不格好で、思うように力が入らない。
「ヒトの幼体に、力で負けるわけねえダロ」
淡々と聞こえたオーガの声。それに応じて筋肉隆々の腕がメキメキと軋み、セレノアはみるみる押し込まれていく。
「ーーーうぉぁぁッ!!!?」
風に飛ばされる紙片のように、セレノアは吹き飛ばされた。シレーナが何か叫んでいたが、耳には入ってこなかった。
「がッ!!? ぁ、く、そ‥‥‥」
やがて背中から勢いよく木に激突し、滑るように崩れ落ちる。背中が燃えるように熱く、ヒリヒリと痺れる。
(魔力を背中に集めてなかったら‥‥‥絶対に折れてたっ‥‥‥!!)
だが、致命傷では無いと痛みで悟る。
まだ戦えると、自分を奮い立たせる。
セレノアは立ちあがろうと、下半身に力を込める。
ーーーガクンッ。
「あ、れっ‥‥‥?」
中腰の体勢になった途端、踏ん張りが効かず座り込んでしまう。必死に力を込めているつもりが、身体は微動だにしない。
「まるで震える子鹿だナァ?」
そうこうしている間に、オーガが嘲笑の笑みを浮かべて見下ろしてくる。右手の鉈を、ゆっくりと振り上げる。
「セレノアくんッ!!!」
(足に力が入らないっ‥‥‥!?)
それは、セレノアの身体が発する‥‥‥絶体絶命の合図だった。
「死ネ」
無慈悲にも、オーガの鉈が勢いよく振り下ろされた。




