第32話 ずっと一緒に
「‥‥‥んぅ」
重い瞼を開ける。目に飛び込んでくる光に、思わず眉を顰める。
「ーーーあっ、起きました!! 大丈夫ですか!?」
駆け寄ってきたのは、白衣を着た女性。少し息が乱れていて、目を見開いて声を出している。
「‥‥‥ここ、は?」
上体を起こし、自分の身体を確かめる。どこにも異常はない。
「分かりますかーーーセレノアさん!」
「‥‥‥え?」
そしてーーー少年は声を漏らした。
目を合わせている女性に、名前で呼ばれたからだ。
「ーーーやっぱり、まだ記憶の混濁が見られますね。これは重症ですね〜」
すると別の声が、少年の耳に届く。
扉から歩いてきたのは、黒髪を真っ直ぐ下ろした少女。胸には謎の紋章が刻まれている。
彼女の存在が、自分の頭にある記憶が夢では無かったと確信する。
「王国騎士団五番隊所属、天才騎士シレーナです。女医さん、後は任せてください」
シレーナが一瞥すると、女医は戸惑いながらも頭を下げて病室から出ていく。どちらの立場が上か、少年はすぐに理解した。
「‥‥‥今度はなんのつもりですか」
少年は警戒しながら話しかける。するとシレーナが扉の鍵をかけ、振り向く。
そして突如、彼女は「ぷ」と吹き出すように声を漏らした。
「ぁ〜思ったより似合ってますよ〜。案外、騎士団の女性たちにモテたりして」
「はあ? いったい何を言ってーーー」
少年はふと口を止める。
シレーナが持っていた手鏡を、自分の方に向けられたからだ。
「ーーーは???」
そして鏡に映るのは‥‥‥黒髪の少年。
思わず右手で髪を触ると‥‥‥鏡に映った少年も同じように、髪を触っていた。
「ーーーなにこれ!!?」
そう、黒髪になっている。
眉も瞳も以前とは似ても似つかない‥‥‥黒へと変色している。
「お揃いですねー」
わざとらしく髪を揺らしたシレーナが、にぃ〜っと口を横に広げて笑う。
「アストリア王国騎士団への入団、おめでとうございまーす。私の後輩になった、セレノアく〜ん」
「っ‥‥‥!?」
黒髪少年は訳が分からず、彼女の顔を呆然と見つめた。
「僕が、アストリア王国騎士団に‥‥‥?」
「むかーしむかし。あるところに、名門貴族の屋敷に1人で乗り込んだ無鉄砲な少年がいました」
するとシレーナが、なぜか昔話風に話を始める。
「名前をアベルと言います。彼は事件を起こした数日後に処刑されることになりましたー。なんの後ろ盾も無かった少年を、誰も庇うことはできませんでしたー」
少年は辛うじて話を聞いているが、困惑は続いたまま。
「ですが少年の力を評価した騎士団の人が、少し勿体無いと感じました」
「‥‥‥それって」
「そこで悪知恵を働かせます。アベルという少年の死が避けられないのなら、別人へ替えてしまえばいいとー」
シレーナは抑揚の無い声で話を続ける。少年はその話を聞くしかない。
「その騎士が策を実行した結果、新人騎士のセレノアが誕生しました。以前の金髪は見る影も無く、秘密の劇薬で黒髪へと変貌してしまいましたー」
「げきやく‥‥‥!?」
ここで少年は、ようやく大声を出して反応した。
「食事に入っていたのは、確かに毒です。正確には体毛を黒へ変化させる猛毒ですね〜」
「なっ、じゃあ僕が後に飲んだ解毒薬は!?」
「あれ、強力な睡眠薬です。意識が無くなった後に飲ませるつもりの。まさか脇腹を弄られて奪われるとは思ってませんでした」
彼女から語られる真相に、少年は絶句した。
強烈な苦しみが訪れたのは、おそらく前者の猛毒。
そして、瞼が落ちたのは‥‥‥睡眠薬で寝落ちしただけだった。
「ぇ〜こほん。セレノアという名は、王国史に記されている伝説の聖騎士から参考にしてるそうです。少年はそれだけ、期待されてると言っていいでしょうー」
シレーナは全く気にせず、本題の続きを再開する。
(そういう、ことだったんだ‥‥‥)
少年は話を聞き続けることで、今の状況を理解し始める。
見覚えのない場所、聞き覚えのない名前、変わり果てた髪色。
それを物語風に説明されるのが少し嫌だったが。
「まあ当然、少年を認めていない存在はいますが。それも彼の教育係を任され、本当に不機嫌な天才騎士の美少女が」
するとシレーナの声色が突然低く、恨めしそうなものへと変貌する。
「‥‥‥はは」
少年は困惑しながら、ただ乾いた声を出すしかなかった。
「こうしてセレノアと名を改めた少年は、この先どうなっていくのでしょうか。波瀾万丈な人生か、それとも波瀾万丈な人生か」
「僕のこと相当嫌いみたいですね‥‥‥」
少年は呆れた様子で言葉を返す。
その反応に対し、シレーナが眉を顰めて見下ろす。
「別に嫌いではありません、心底気に食わないだけでーす」
「一緒では‥‥‥?」
少年の言葉を、シレーナは無視して距離を詰める。
「当然、今回の一件は最重要機密事項です。死の偽装に気づかれたら、厳しく罰せられます」
「っ‥‥‥でもっ」
少年は思わず言い返そうとするが、右手を出したシレーナに制される。
「でもじゃありません。それに罰せられるのは、アベルと関わっていた人‥‥‥全て。冒険者なんてのは所在が分かりやすいですからねー」
「っ‥‥‥!!」
黒髪少年は息を呑む。
全身から魔力を滲ませ、真顔で首を傾げるシレーナ。
「すぐに顔に出ますね〜。これからは訓練しないと」
それは、間違いなく脅しだった。
「だから、これまで親しくしていた人たちとの接触も禁止です。アベルという少年は、もう死んでいますから」
笑顔を作ったシレーナが淡々と続きを話す。
少年はもう、彼女に言い返す言葉が口から出なかった。
(死ぬしかなかったなら、仕方ない‥‥‥セリカに会うためなら、名前だって‥‥‥)
そして決意を固め、両手の平を強く握る。
アベルという名を‥‥‥ここで捨てる覚悟を。
「もはや今のあなたに拒否権はありませんからね‥‥‥新人騎士、セレノアくん?」
「‥‥‥え? 何か言いました?」
「うわ生意気」
こうして黒髪少年‥‥‥いや、セレノア。
(セレノア‥‥‥か)
王国騎士としての、新たな生活が始まる。
「ーーーあ、これを渡します」
シレーナが投げてきたのは、革の小袋。
セレノアは咄嗟に左手で掴むと、確かな重さに目を見開く。
「! これって‥‥‥」
「あなたのお金です。罪人アベルの所持品は、全て押収しましたから」
小袋の中には、ギルドの依頼をこなして来た分の‥‥‥金貨。
(そうだ‥‥‥まだ、全然足りない)
名前が変わっても、目標は変わらない。
強くなる事と、王立学院の学費を貯める事。
「ずいぶん倹約家だったんですね〜。ま、無駄遣いするよりは良い事だと思いますが」
淡々と話すシレーナに対し、セレノアは慎重に話しかける。
「‥‥‥あの。僕が持ってたショートソードって」
「はぃ? 渡せるわけないでしょ? 死んだアベルの所持品を、あなたが身に付けるのは禁止です。その金貨は特例なだけですからね」
「っ‥‥‥わかりました」
アベルという金髪少年は、もう死んだ事にされている。事情を知っているシレーナすら、徹底した対応をしてくる。
『ーーー最初は軽い剣から、徐々に慣れていこう』
ノールと話し合って購入した、最初の剣は‥‥‥名前と共に消え去ってしまった。
(僕はもう、アベルじゃないのか‥‥‥)
その現実が、とてつもなく虚しかった。
(‥‥‥でも、僕の気持ちは絶対に変わらない)
そして黒髪少年は、ただ一つの想いを貫き通す。
(まずは王立学院に入学して‥‥‥セリカに会うんだ)
そのための過程にある、か細い道標を突き進む。
(‥‥‥何があっても)
セレノアは右手の小指を伸ばし、目を閉じる。
(心は‥‥‥ずっと一緒に)
全ては、最愛の少女と再会するために。




