第31話 闇の底
「粘りますねー」
シレーナが目を丸くしながら、呆れたように息を吐く。
「‥‥‥そうだ」
アベルは声を漏らし、左肩に目を向ける。
(この痛みは‥‥‥セリカを守った証だったんだ)
その痛みが、今は何故か心地良い。
恐怖と不安は確実に薄れ、意識がはっきりし始める。
「すぅ〜‥‥‥はぁ〜」
するとアベルは‥‥‥両眼を閉じた。
意識的に深呼吸しながら、腰を落として両膝に手を置く。
いつ、毒が回ってもおかしくない極限状態の中で。
(考え無しに勝てる相手じゃない。少しでも自分の力を引き出して、掴み取るしか無いんだ‥‥‥!!)
アベルは両手を軽く回した後、勢いよく頬を叩いて目を開く。
「‥‥‥へぇ? 雰囲気が変わりましたねー。子どもがカッコつけちゃって〜」
煽るようなシレーナの言葉。
「俺がカッコつけたい相手は、1人だけだ」
それをアベルは堂々と弾き返す。少しも物怖じせず、強敵の彼女と対峙する。
「ーーー行くぞ」
アベルは全力で駆け出した。
全身に魔力を流し、シレーナへと迫る。
「【魔力放出】ッ!!」
そして、距離を縮めて無属性魔術を発動した。
アベルは右手を突き出し、魔力の光線を放つ。
「そりゃ無属性魔術ですよねー」
シレーナが軽く呟き、右手を伸ばす。
「ッ!!」
するとアベルは、右手をグッと握り締める。
「わっ」
次の瞬間‥‥‥彼女の右手に触れる直前で、魔力が離散した。
至近距離で魔力が飛び散り、シレーナが目を見開いて声を漏らす。
離散した魔力が‥‥‥彼女の視界を阻む。
「ーーーッ!!!」
そしてアベルは勢いよく飛び込んでいた。驚くシレーナの斜め下から、地を這うように両手を伸ばす。
「おっと!」
だが、シレーナが咄嗟に跳躍する。
アベルの両手は、虚しく空を切る。
「やり口を変えてきましたねー!?」
天井に足を付けたシレーナが、勢いよく蹴って急降下。低い姿勢のアベルへ突っ込んでいく。
「ふぅ‥‥‥」
アベルは小さく息を吐き、右手に魔力を集めて待ち構える。
「これが狙いーーー」
シレーナの声が、刹那の瞬間に響き渡る。
アベルの狙いは‥‥‥シレーナが回避困難な状況を作り出す事。
好戦的な彼女なら、天井を蹴って急降下してくると読んだのだ。
「ーーーシッ!!」
アベルは最大出力の魔力を纏わせた‥‥‥全身全霊の右拳を振り抜く。
「ぶッ!!!」
その一撃が、迫り来るシレーナの脇腹にーーー直撃した。
「‥‥‥‥‥‥ふふっ、はははッ!」
(っーーー嘘だろ!!?)
アベルは右手に感じる違和感に、眉を顰めて歯を噛み締める。
尋常では無いほどーーー彼女の脇腹は硬かった。
(咄嗟に魔力を脇腹に集めたのかっ‥‥‥!!)
最小限のダメージに抑えられ、アベルは舌打ちする。
僅かに身体を逸らされたことも重なり、致命傷にはならなかった。
「ふふっ、楽しませてくれますねぇ‥‥‥!!」
口から一筋の血を垂らしたシレーナが、眉を歪ませて笑う。
「可愛い私に意地悪するのは、この右腕ですか〜!?」
そして、アベルの右腕を両手で掴み込む。
ミシミシと、軋む音が鳴り始める。
「ゔッ‥‥‥!?」
「あははっ、痛いですよね〜?」
アベルは眉を歪ませて呻き声を出し、シレーナが意地悪な笑みを浮かべる。
「‥‥‥はは」
だが、顔を下げたアベルは微かに‥‥‥笑っていた。
「ーーーあんたなら、そうくると思ったよ!!」
するとアベルが勢いよく、左手を伸ばす。
両手が塞がって無防備な、彼女の脇腹をーーー触り始める。
「!? 何するんですかっ、この変態!!」
目を白黒させ、顔が真っ赤に茹で上がったシレーナ。両手をアベルの右腕から離し、鋭い右足の蹴りが水平に飛ぶ。
「ぶッ!!?」
そしてアベルは、勢いよく側頭部を蹴られ‥‥‥背中から壁に激突する。
「‥‥‥はは」
血を吐き出して壁にもたれたアベルは、満足げに笑う。
その左手には‥‥‥液体の小瓶が握られていた。
「ッ!! しまっ」
シレーナが距離を詰めるよりも、早く。
「ーーーんくっ、んくっ」
アベルは左手に持った小瓶を蓋を開け、勢いよく傾けて喉に流し込む。
ゴク、ゴク、ゴク‥‥‥そんな音が聞こえるほど喉を鳴らしながら。
「‥‥‥ほんと、クソ生意気な子供ですねー」
足を止めたシレーナが、目を細めて肩をすくめる。
「はぁっ、はぁっ‥‥‥あんたは自分の胸ポケットを指差した。でも、そんな所に解毒薬を入れるなんて、よほどの変態じゃないと考えられない」
アベルは小瓶に入っていた緑の液体を、全て飲み干した。
「‥‥‥それで?」
「さっき殴った時に、確信した‥‥‥あんたは咄嗟に身体を捻って、腰部分のポケットを逸らした」
アベルは淡々と話し、彼女の腰を一瞥する。
「瓶が割れたら、タダじゃ済まないんでしょ?」
そして横目で、壁際に佇む茶髪の男を確認した。
「気付く事ができるか、それも試験の一部だったんじゃない?」
「‥‥‥はぁ〜〜〜」
シレーナが目を細めて息を吐き、両手を振って脱力する。
「あの一撃が無かったら、私の胸を触るつもりだったんですかねー?」
「‥‥‥あんたがそう仕向けてたんでしょ」
アベルは目を逸らし、深呼吸しながら言葉を返す。
シレーナが降参と言わんばかりに、両手を上げた。
「言われた通り、解毒薬を飲みました。試験は合格ですか‥‥‥ハーティアさん」
そしてアベルは、今も壁際で佇む茶髪の男‥‥‥ハーティアに話しかける。
「‥‥‥まさか、本当に飲んじまうとはな」
「? 質問に答えてください」
要領を得ない彼の言葉に、アベルは眉を顰めて追及する。
ーーードクンっ。
「ぐぁッ‥‥‥!!?」
すると突然、体内で‥‥‥何かが跳ね上がる。襲いかかる喉の閉塞感と強烈な眩暈。
「ぁ、がっ‥‥‥!!」
アベルは身悶えしながら両手で喉を押さえて床に昏倒し、全身が痙攣し始める。
その姿を、シレーナが淡々と見下ろしている。
「‥‥‥馬鹿正直に飲み干すなんて、心底呆れました」
彼女は淡々と呟く。その目は氷のように冷たく、背筋が凍る。
「なん、で‥‥‥」
「これ以上、話す必要ありますか? 疑いもせず、得体の知れない液体を飲み干すなんて」
アベルの必死の問いかけは、無意味なものとなった。シレーナに、答える意思は無かったからだ。
「だっ、て‥‥‥げ、どく」
「そうやって人を信じ過ぎるから、損ばかりするんです。この世界の全員が、あなたみたいな天然記念物だと思いますか?」
淡々と話す彼女の言葉に、アベルは何も言い返せない。それどころか、視界が霞んで暗闇が増えていく。
「小瓶の液体に少しでも疑いを持つか‥‥‥それも試験の一部だったかもしれませんよ?」
ーーー終わりが、近づく。
「ぁ‥‥‥せ、り‥‥‥」
そしてアベルの意識は‥‥‥闇の底へと沈んでいく。
「さようなら‥‥‥大罪人アベル」
そんな彼女の声は、もう聞こえていなかった。




