第33話 燃える王都
「こちらですわ! 負傷した方は私の元へ!」
猛火に包まれる王都の市街地。
私は大聖堂の前に立ち、逃げ惑う民衆を誘導しながら、声を張り上げていた。
夜空を焦がす炎の熱気と、煙の匂いが鼻を突く。
「聖女様、この子は……瓦礫の下敷きになって……っ」
「大丈夫ですわ。癒しの光!」
血だらけの子供を抱きかかえた母親に、私は全力の回復魔法をかける。
純白の光が傷を塞ぎ、子供が小さな寝息を立て始めたのを見て、母親が泣き崩れた。
(——被害は甚大。でも、炎の広がり方が不自然ね。油じゃなく、錬金術の火炎薬を使っている)
私は慈愛の笑みを浮かべながら、内心で冷徹に戦況を分析していた。
宰相マルクスが引き入れた帝国軍は、本隊ではない。混乱に乗じて王都の要所を制圧し、私を拉致するための「先遣隊(工作部隊)」だ。
「はぁぁッ!」
広場の中央では、クロードが獅子奮迅の働きを見せていた。
白銀の鎧を血に染めながら、帝国兵たちを次々と斬り伏せていく。
メルも遊撃として立ち回り、倒れた敵の武器を奪っては無力化している。
(クロードとメルの連携は完璧。近衛騎士団も市街地の鎮圧に動き出したわね。これなら——)
「——よそ見をしている余裕が、おありですか?」
ゾクリ、と。
背筋に氷を滑らせたような悪寒が走り、私は咄嗟に首を傾げた。
シュッ!
私の銀髪を数ミリかすめ、黒い刃が闇の中から突き出される。
「あら。ご挨拶が遅れてごめんなさいね、ヴィクトル様」
私は一切の表情を崩さず、振り返りざまに法衣の袖から麻痺毒の針を三本投擲した。
キンッ、キィンッ!
闇の中から現れた灰色の髪の男——帝国暗部のヴィクトルが、手にした短剣でいとも容易く針を弾き落とす。
「相変わらず、素晴らしい反応速度だ」
ヴィクトルが、炎に照らされて紫色の瞳を妖しく細めた。
「宰相閣下は捕らえられたようですね。全く、使えないタヌキでしたよ。……ですが、この混乱は最高の舞台だ」
ヴィクトルが、低く身を沈める。
その瞬間、彼の姿がブレて消えたように見えた。
——速い! 大祭典の時より、さらに一段階ギアを上げている!
「リーゼ!!」
クロードが異変に気づき、こちらへ駆け寄ろうとする。
「来ないで、クロード! 皆様をお守りして!」
私は彼を制止し、ヴィクトルの神速の刺突を、紙一重の体捌きで回避した。
そのまま身を沈め、下段からの蹴りで彼の膝関節を狙う。
だが、ヴィクトルは空中で身を捻り、私の蹴りを躱すと同時に、私の首元へ刃を滑らせてきた。
「本当に、美しい」
至近距離で、ヴィクトルが歓喜に震える声を上げる。
「聖女の皮を被った、極上の殺し屋。……あなたをこのまま、帝都へお連れしたい」
「お断りですわ。私は、この国の空気が気に入っておりますの」
(——舐めるな。私が本気で殺し合いのステップを踏めば、どうなるか教えてあげる)
私は退くのではなく、あえて彼の間合いのさらに内側——「死に体」となる超至近距離へと踏み込んだ。
「なっ……!?」
暗殺者のセオリーを無視した私の動きに、ヴィクトルが初めて驚愕の目を見開く。
私は彼の手首を左手で絡め取り、刃の軌道を完全にロックした。
そして、右手に魔力を限界まで圧縮し、彼の胸ぐらを掴んでゼロ距離で放つ。
「神の裁きを受けなさい! 聖光爆砕!!」
ドゴォォォンッ!!
癒しの光を、物理的な「衝撃波」として逆用した一撃。
私の右手から放たれた純白の閃光が、ヴィクトルの体を吹き飛ばした。
「ぐはっ……!?」
ヴィクトルは血を吐きながら後方へ吹き飛び、石畳の上を激しく転がった。
「はぁ……はぁ……」
私は乱れた息を整え、冷たい目で彼を見下ろす。
表向きは「怒れる聖女の奇跡」だが、実態は暗殺術の歩法と魔法を掛け合わせた、私だけのオリジナル体術だ。
「……ク、クハハッ! 素晴らしい、素晴らしすぎる……!!」
ヴィクトルは口元の血を拭いながら、ゆっくりと立ち上がった。
肋骨が数本折れているはずだが、彼の紫の瞳は狂気じみた歓喜に燃え上がっている。
「さすがは、我が皇帝陛下が求めた唯一の存在。……これ以上の無理な手出しは、私の命が危ういようだ」
彼は恭しく一礼し、闇の中へ一歩後退した。
「今日のところは引き下がりましょう。先遣隊は失いましたが……これはほんの『ご挨拶』に過ぎない」
ヴィクトルが、残忍な笑みを浮かべる。
「我が皇帝、ルドヴィーク陛下が……まもなく、すべてを奪いに参りますよ」
その言葉を最後に、ヴィクトルの気配は完全に夜の闇へと溶けて消えた。
「リーゼ!」
クロードが駆けつけ、私の肩を支える。
周囲を見渡せば、近衛騎士団の活躍もあり、市街地に侵入していた帝国兵たちはあらかた制圧されていた。
「大丈夫ですわ、クロード。……怪我はありません」
私は彼に微笑みかけ、ふうっと安堵の息を吐いた。
「聖女様、万歳!」「王都が、守られたぞ!」
避難していた民衆たちが、夜明けの光の中で歓声を上げ、私に向かって祈りを捧げ始める。
王都は、最悪の壊滅から免れたのだ。
(——ええ、勝ったわ。国内の敵を排除し、帝国の奇襲も退けた)
だが、私の心に晴れやかな思いはなかった。
ヴィクトルの残した言葉が、重くのしかかっている。
ついに、帝国という巨大な軍事国家が、その牙を剥き出しにして王国へと迫ろうとしている。
前代未聞の「転生者の皇帝」との、本当の戦争の足音が、すぐそこまで近づいていた。
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