第32話 宰相の末路
「殺せ! その女を殺した者には、望むだけの恩賞を与えてやる!」
王の寝所に、宰相マルクスの悲鳴のような号令が響き渡った。
彼の言葉を受け、護衛として寝所を占拠していた二十名ほどの帝国兵が、一斉に剣を抜いて私たちに襲いかかってくる。
「皆様、血を流す争いはいけませんわ!」
私は悲痛な声で叫びながら、完璧な「怯える少女」のステップで後退した。
(——右から三、左から五。殺気は十分だけど、連携が全くなってないわね)
「リーゼ、下がって!」
クロードが白銀の軌跡を描きながら前衛に飛び出した。
彼の剣は帝国兵の刃を次々と弾き飛ばし、圧倒的な膂力と技量で瞬く間に五人を床に沈める。
王国最強の騎士の面目躍如だ。
「ちぃっ! 構うな、数で押し潰せ!」
クロードの剣の届かない死角から、三人の兵士が私とメルを狙って回り込んでくる。
私は身をすくませるフリをして低く沈み込み、彼らの足元へ向かって手首をスナップさせた。
放たれたのは、細い麻痺毒の針。
「ぐっ!?」
「足が……動か、ない……」
私の動きに全く気づかないまま、三人の兵士が膝から崩れ落ちる。
「まあ! 神の罰が下ったのですね!」
私は驚いたように両手を合わせ、祈りのポーズをとった。
——ふん。私の毒は即効性よ。五分は指一本動かせないわ。
「馬鹿な……! たかが小娘と騎士一人に、帝国の精鋭が……!」
顔面を蒼白にしたマルクスが、ジリジリと後退していく。
わずか数分の出来事だった。
クロードの剣と、私の不可視の暗器。
寝所にいた帝国兵は、誰一人として命を奪われることなく、しかし完全に無力化されて床に転がっていた。
「……そこまでですわ、マルクス様」
私は倒れた兵士たちの間を優雅に歩み抜け、腰を抜かして座り込んだ宰相を見下ろした。
天蓋付きのベッドでは、病弱な国王アルベルト三世が、信じられないものを見る目でこの惨状を見つめている。
「陛下。夜分遅くの騒ぎ、深くお詫び申し上げます」
私は王に向けて深く一礼した。
「せ、聖女よ……これは、一体どういうことだ。マルクスは、我が命を守るために帝国兵を呼んだと……」
「嘘ですわ、陛下」
私は傍らのメルに目配せをした。
メルが力強く頷き、革表紙の分厚い『裏帳簿』を王のベッドサイドへ恭しく差し出す。
「それは、宰相閣下の邸宅の隠し金庫に保管されていたものです。……彼が帝国の使節と結んだ密約、防衛予算の横領、そして——王都への軍の引き入れの手引きが、全て記されております」
「なっ……!?」
国王が震える手で帳簿を開く。
そのページを数枚めくっただけで、王の顔が怒りで赤黒く染まった。
「マ、マルクス……貴様ぁッ! 余を……この国を、帝国に売り渡そうというのか!」
「ち、違います陛下! それは偽造された——」
「言い逃れは見苦しいですわよ」
私は、聖女の微笑みをスッと消し去り、絶対零度の冷たい声で彼の言葉を叩き斬った。
「前代の聖女様を『実験体』として殺し、辺境の街に疫病を撒き、そして今度は王都を火の海にする。……あなたの強欲が招いた病巣は、もはや国を殺す寸前です」
私の言葉に、マルクスの狐のような顔が絶望に歪む。
すべてを暴かれ、言い逃れの道は完全に塞がれた。
「近衛騎士団、到着いたしました!」
ドカドカと、廊下から無数の足音が雪崩れ込んできた。
クロードの部下である騎士たちが、王宮内の異変を察知して駆けつけたのだ。
「遅いぞ! この大逆人を、即刻捕縛せよ!!」
国王の怒号が響く。
「放せ! 私に触るな! 私は、この国の——」
屈強な騎士たちに両腕を掴まれ、床に押さえつけられる宰相。
十五年にわたり王国の実権を握り、多くの命を弄んできた冷酷な権力者の、あまりにもあっけない末路だった。
「聖女様……。やりましたね」
メルが、涙ぐみながら私を見上げる。
彼女の両親の無念は、これで法の下に晴らされるだろう。
「ええ。よく頑張りましたね、メル」
私は彼女の頭を優しく撫でた。
(——これで、王国内部の敵は完全に『切除』したわ。大ざまぁ、完了ね)
私の内心で、暗殺者としての達成感が静かに満ちていく。
だが。
引き摺り出されていくマルクスが、狂ったように笑い声を上げた。
「ハハハッ! 私を捕らえても、もう遅い! 帝国軍はすでに王都に入っている! この国はもう終わりだぁ!!」
その言葉を裏付けるように、窓の外から爆発音が轟いた。
夜空を焦がす炎。遠くから聞こえる人々の悲鳴。
「……リーゼ」
クロードが、剣を握り直して私の隣に立つ。
「ええ、わかっていますわ」
私は窓から燃え盛る王都を見下ろし、小さく息を吐いた。
(国内の病巣は消えた。でも——外からの最悪の侵略者が残っている)
帝国の皇帝、ルドヴィーク。
私と同じ転生者であり、この世界を力で支配しようとする狂人。
彼が自ら軍を率いて、この王都へ迫っている気配がする。
「さあ、クロード。メル。……本当の戦いは、ここからですわ」
私は銀髪を夜風に揺らしながら、暗闇の先で牙を研ぐ帝国に向けて、静かに闘志を燃やした。
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