第26話 包囲網
「——全員、揃いましたわね」
深夜の王宮医務室。
分厚いカーテンが引かれ、ランプの薄暗い灯りだけが照らす密室に、私の信頼する「共犯者」たちが集結していた。
王宮随一の老医師、ガレノス。
元・名門騎士の令嬢である侍女、メル。
そして、王国最強の剣士にして私の専属護衛、クロード。
——これが、今の私の手持ちの全戦力。
王国のトップである宰相と神殿長、さらに軍事大国カルバニア帝国。これら三つの巨大な敵を同時に相手に回すには、あまりにも心許ない手札だ。
前世の暗殺組織のボスが見たら、鼻で笑って即座に白旗を上げるだろう。
「お集まりいただき、感謝いたしますわ。……いよいよ、この国の『治療』を始める時が来ました」
私はテーブルを囲む三人に、完璧な聖女スマイルを向けた。
「聖女様。私は、あなたの剣です。何なりとご命令を」
メルが、決意に満ちた瞳で真っ直ぐに私を見つめる。
彼女はすでに、宰相が両親の仇であることを知っている。迷いはない。
「メル、ありがとう。ガレノス様も、準備はよろしいですか?」
「ええ。聖女殿の"処方箋"通り、劇薬の調合は完了しておりますぞ」
ガレノスが、白髭を撫でながら不敵に笑う。
「……お待ちください」
ただ一人、状況の全貌を掴みきれていないクロードが、険しい顔で口を開いた。
「宰相閣下と、帝国の使節団が聖女様を狙っているのはわかります。しかし、なぜ大神殿のトップである神殿長までが? 自国の最大の防衛力であるあなたを害して、彼らに何の得があるというのですか」
当然の疑問だ。
クロードは実直な騎士ゆえに、権力者たちの醜い「底」を知らない。
私は小さく息を吸い込み、彼の金色の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「クロード。……どうか、取り乱さずに聞いてくださいな」
「……はい」
「前代の聖女様は、病死ではありませんわ。宰相と神殿長の企てた、非人道的な『禁術の実験』によって……殺されたのです」
ガタンッ!
クロードが弾かれたように立ち上がり、椅子が床に倒れた。
「……な、にを」
クロードの顔から、一瞬で血の気が引いた。
「彼女は、実験の途中で精神と肉体を破壊され、絶望の中で命を落としました。これが、ガレノス様が禁書庫で見つけてくださった証拠ですわ」
私はテーブルの上に、あの古書の写しを滑らせる。
「……あ、ああ……っ」
クロードの大きな手が、震えながらその羊皮紙を掴んだ。
彼にとって、前代の聖女は地獄のような辺境の村で自分を救い出してくれた、絶対的な光だ。
その光が、温かい病床などではなく、冷たい実験台の上で惨殺されていたという事実。
ギリッ、と。
彼が力任せに握りしめた剣の柄から、骨の軋むような音が鳴った。
怒り、悲しみ、そして自己嫌悪。
激しい感情の嵐が、彼の全身を震わせている。
——さあ、どうする?
私は冷徹な暗殺者の目で、彼を観察していた。
感情に呑まれて暴走するか。それとも、信じられずに私を疑うか。
長い、長い沈黙が医務室に降り下りた。
やがて。
クロードはゆっくりと顔を上げ、私を見た。
その金の瞳には、痛々しいほどの悲痛さと、それを上回る強靭な光が宿っていた。
「……信じます」
血の滲むような、絞り出すような声だった。
「にわかには信じがたい、悪魔の所業だ。……ですが、あなたがそう仰るのなら。私は、あなたのお言葉を信じます」
——即答か。
本当にこの男は、不器用なくらい真っ直ぐだ。
前世の裏社会なら、真っ先に騙されて死ぬタイプ。
……でも。
(悪くないわね)
胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなるのを感じながら、私は深く頷いた。
「ありがとう、クロード。あなたの恩人の無念は、私が必ず晴らしてみせますわ」
私はテーブルに広げた王宮の見取り図を指差した。
「敵は三方向から迫っています。宰相、神殿長、そして帝国。……普通に考えれば絶体絶命ですけれど」
私は、聖女の仮面の下で、最高に意地の悪い殺し屋の笑みを浮かべた。
「敵が私の命を、あるいは私の『力』を狙っているのなら。逆にそれを利用して、一網打尽にして差し上げましょう」
「一網打尽、ですか。どのようにして?」
クロードが身を乗り出す。
「明日は、年に一度の『聖女の大祭典』ですわね」
私は見取り図の中央、大神殿の大広間をトントンと指先で叩いた。
「王族、貴族、神殿の高位聖職者、そして帝国の使節団。……この国を動かす全ての人間が、あの大広間に集結します」
「……ッ! まさか」
ガレノスが息を呑む。
「ええ。逃げ隠れはいたしませんわ」
私はゆっくりと立ち上がり、宣言した。
「病巣の方から、手術台に集まってきてくれるのです。……これほど都合のいいことはありませんわ」
自ら最大の舞台に立ち、全ての敵を同時に相手取る。
ハイリスクだが、これこそが前世の暗殺組織のボスさえも出し抜いてきた私のやり方だ。
「メル、あなたは私の目と耳になりなさい。ガレノス様は、"あれ"の準備を。クロードは——私の背中をお願いしますわね」
三人が、力強く頷く。
最強の包囲網を、さらに外側から食い破る反撃の陣形は整った。
「明日の大祭典。全ての敵が一堂に会しますわ」
私は窓の外、白み始めた夜明けの空を見据え、冷たく囁いた。
「——仕掛けるなら、明日しかありません」
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