第22話 メルの覚醒
「えいっ! やぁっ! ……うう、やっぱり上手くいきませんわ」
王宮の隅にある訓練場。
朝日が差し込む中、メルが木剣を振り回しては、自分の足に引っかけて転んでいた。
赤毛のポニーテールが砂まみれになり、そばかすの浮いた顔を真っ赤にしている。
「メル。腰が高いですわよ。重心をもっと下に」
私は日傘を差し、優雅な椅子に腰掛けたまま、聖女らしい穏やかな声で助言した。
クロードは非番だが、遠くの物陰から心配そうにこちらを伺っている気配がする。
「はいっ! ……でも聖女様、どうしてそんなに詳しいんですか?」
「まあ、本で読んだだけですわ。それに、光の導きが体の動かし方を教えてくれるのです」
——嘘だけど。
私の内心は、メルの絶望的なフォームを冷徹に矯正するシミュレーションで溢れていた。
彼女が復讐のためではなく、「私を守るために強くなりたい」と言い出したのは数日前のこと。
その健気な決意を無下にはできず、私は「護身術」という名目で彼女の指導を引き受けたのだ。
(……足運びがバラバラ。腕の力だけで振っているから、軌道が丸見え。前世の新人暗殺者なら、初日にクビにしているレベルね)
だが、私は知っている。
彼女の家系——ロゼッタ家は、かつて辺境で魔獣と戦い続けた武門の名家だ。
彼女の血の中には、何世代にもわたって磨かれた「闘争の記憶」が眠っているはず。
「メル。次は、敵が目の前にいると思って。……あなたが守りたいものを、奪おうとする悪党が」
私の声に、殺し屋としての冷たい圧を僅かに混ぜる。
「……ッ!」
メルの空気が変わった。
ドジで天然な侍女の顔が消え、鋭い「戦士」の眼差しが宿る。
彼女は木剣を構え直し、無意識にロゼッタ家伝来の独特な型を取った。
「そこですわ。踏み込んで」
私の合図と同時に、メルが地を蹴った。
先ほどまでの鈍重さが嘘のような、鋭い突進。
木剣が空気を切り裂き、仮想の敵の喉元を正確に捉える。
——いい。素質はあるわね。
「やぁぁぁっ!!」
一撃、二撃。
メルの動きは、指導を重ねるごとに洗練されていく。
彼女は気づいていないが、私が教えているのは騎士の剣術ではない。
最短距離で急所を貫き、最小限の力で敵を無力化する、前世の「殺しの技術」の基礎だ。
「はぁ、はぁ……っ! 聖女様、今のは……!」
「素晴らしいわ、メル。光の御加護が、あなたに宿ったようですわね」
私は立ち上がり、ハンカチで彼女の額の汗を拭ってあげた。
「ありがとうございますっ!」と満面の笑みを浮かべる彼女を見ながら、私の胸の奥は少しだけ痛んだ。
(……この子には、血の道を歩ませたくないのだけれど)
守るための力は、時に振るう者を蝕む。
前世で、守るために剣を執り、最後には修羅の道に落ちていった仲間を、私は何人も見てきた。
メルのような純粋な子が、復讐や殺意に心を染めてほしくはない。
「メル。この力は、誰かを傷つけるためではなく、守るために使いなさい。……いいわね?」
「はい! 私は、大好きな聖女様の『剣』になりたいんです。だから、もっともっと頑張りますっ!」
迷いのない、キラキラとした瞳。
私は微笑みながら、彼女を優しく抱きしめた。
その温もりを感じながら、私は心に誓う。
——汚れ仕事は、すべて私の役目。
——あなたには、光の中を歩んでほしいから。
訓練を終え、部屋に戻る途中。
物陰で見ていたクロードが、驚愕の表情で立ち尽くしているのが見えた。
「……驚きました。メルの才能もそうですが、聖女様の教え方。あれは、実戦を知る者の指導です」
「あら。光が導いてくれた、と申し上げたでしょう?」
私はトボけた顔で通り過ぎる。
クロードの視線が背中に刺さるが、今は気にしない。
(……さて)
私は自室に入り、鍵をかけた。
メルの覚醒は、私の戦力としても大きなプラスだ。
帝国の影、宰相の罠。
これから始まる本当の戦いに向けて、駒は揃いつつある。
「待っていなさい、ヴィクトル。あなたの望む"殺し屋"は、そう簡単には捕まえられませんわよ」
窓の外、遠くに見える帝国の使節団の滞在地を睨みつけ、私は不敵に笑った。
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