第21話 クロードの決意
「——聖女様。今夜は一段と冷え込みます。中庭に出るのはお控えください」
夜の回廊。
自室に戻ろうとする私を呼び止めたのは、護衛のクロードだった。
鎧を纏った彼は、月の光を反射して白銀に輝いている。
だが、その金の瞳には、昼間の謁見の間から消えない深い懸念が沈んでいた。
「まあ、クロード様。そんなに怖い顔をなさらないで。私は平気ですわ」
私は足を止め、穏やかな聖女の微笑みを向けた。
けれど、私の内心は彼の焦燥を冷静に分析している。
——無理もないわね。
あのヴィクトルという男が放つ「同類の気配」。
超一流の武人であるクロードが、本能的な危機感を覚えないはずがない。
「あの帝国使節……ヴィクトルという男。あれは、ただの騎士ではありません」
クロードが私との距離を詰め、低い声で告げた。
「私では測りきれないほどの、得体の知れない『闇』を感じる。あのような男を、聖女様の近くに置かせてしまったこと……不甲斐なさに胸が焼ける思いです」
「クロード様……」
「リーゼ様」
不意に、彼が私の名前を呼んだ。
騎士としての「聖女様」ではなく、一人の少女としての「リーゼ」を。
クロードは私の前に膝をつき、騎士の誓いの礼を取った。
その大きな両手が、私の細い手を、壊れ物を扱うようにそっと包み込む。
「たとえ何が起きようとも、誰が相手であろうとも。……私の命に代えて、あなたをお守りいたします。これは私の一生の誓いです」
真っ直ぐな、熱い言葉。
そこには一切の損得も、政治的な計算も、信仰の強制もない。
ただ「私という存在」を守りたいという、痛いほどの純粋な決意だけがあった。
(……ああ)
その瞬間、私の脳裏に強烈なフラッシュバックが走った。
——降りしきる雨。冷たいコンクリート。
——血の匂いが漂う、前世の最後の任務地。
——『……逃げて。私は大丈夫だから。あなただけは、生きて』
——死にゆく私に、震える声でそう誓ったあの少女。
(……前世で、こんな誓いを聞いたのは……あの時だけだったわ)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
暗殺者「ファントム」として生きた二十七年間。
私は誰かを守ると言いながら、実際には多くの命を奪ってきた。
自分を犠牲にしてまで誰かを守ろうとする、そんな眩しい光とは無縁の世界にいたはずなのに。
「……ありがとうございます、クロード」
気づけば、私の声から聖女の演技が抜け落ちていた。
私は彼の手を、そっと握り返す。
「……嬉しいですわ。あなたのその言葉が、今の私には何よりの救いです」
(……もし)
私の内心で、これまでになかった迷いが生じる。
(もし、いつか……。この男になら、本当のことを話してもいいのかもしれない)
私が清らかな聖女などではなく、血塗られた過去を持つ人殺しだということ。
この手は祈るためのものではなく、命を奪うための技術を刻まれたものだということ。
それを知っても、彼はこの手を握り続けてくれるだろうか。
「リーゼ?」
「いいえ、なんでもありませんわ。……信じていますわね、私の騎士様」
私は再び仮面を被り、慈愛の笑みを浮かべた。
けれど、私たちの間に横たわる「秘密」という名の壁は、前よりもずっと薄く、そして脆くなっているように感じられた。
クロードは満足げに頷き、私の部屋の前までエスコートを続けた。
彼の背中は頼もしく、しかしどこか悲壮な覚悟に満ちている。
——まだ、今は言えない。
この平和な王国を、そして彼という光を、私の過去で汚すわけにはいかないから。
「おやすみなさい、クロード」
「はい。おやすみなさい、リーゼ」
扉を閉め、一人になった暗い部屋。
私は月明かりの下、自分の両手を見つめた。
クロードは、私のこの手が守ってくれたと言ってくれた。
けれど、ヴィクトルは言った。「殺し屋のほうが美しい」と。
「……治療が必要なのは、私だけじゃないようね」
私は独り、夜の闇に向かって不敵に唇を端を吊り上げた。
平和と、友情と、そして裏切り。
帝国の影が、静かに、しかし確実に王宮を飲み込もうとしていた。
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