第14話 暗殺者 vs 暗殺者
パチッ、と焚き火の爆ぜる音が静かな野営地に響いた。
深夜。
護衛の騎士たちも交代で仮眠を取り、天幕の中ではメルが規則正しい寝息を立てている。
私は暗闇の中で、音もなく目を開けた。
——さて、お仕事の時間ね。
ゆっくりと身を起こし、「気配遮断」のスキルを全開にする。
呼吸音、衣擦れの音、さらには体温や心拍数すらも極限まで抑え込む。
テントの隙間から滑り出るように外へ。
見張りに立っている騎士の背後を通り抜けるが、彼は夜風が吹いたとしか思わなかっただろう。
少し離れた天幕で休んでいるクロードの鋭い勘すらかいくぐり、私は野営地を囲む森へと足を踏み入れた。
——距離、およそ三十メートル。風下。
——木の上に一人。茂みの陰に一人。
私は月明かりの届かない深い影の中を、這うように、しかし滑るように進む。
獲物に気づかれないよう、背後を取る。
「……遅いな。いつ仕掛ける」
頭上の枝から、微かな声が降ってきた。
黒装束に身を包んだ男が、野営地の私の天幕をじっと監視している。
もう一人の仲間と合図を交わそうとしているらしい。
——今よ。
私は音もなく木の幹を蹴り、跳躍した。
「なっ——!?」
男が気づいたのは、私が彼の背後に着地した瞬間だった。
プロの暗殺者としての反射神経は悪くない。即座に振り返り、毒の塗られた短剣を私の喉元へ突き出そうとする。
だが、遅い。
私は男の手首を外側から打ち据えて短剣の軌道を逸らし、そのまま手首を掴んで捻り上げる。
「ぐっ……!?」
関節を極められ、男の体が硬直した。
——体術、合格。十五歳の華奢な体でも、テコの原理と急所への打撃を使えば大の男を容易く制圧できる。
私は男を木の枝から引き摺り下ろし、地面へと落下させた。
ドスッ、という鈍い音が鳴るが、私が事前に張っておいた「防音の結界(風魔法の応用)」のせいで、野営地には届かない。
「てめえ、何者——」
地面に叩きつけられた男がうめく。
その首筋に、私は彼が落とした毒短剣の切っ先をピタリと突きつけていた。
「しっ。静かに。起きている人がいるでしょう?」
私は月明かりの下、氷のように冷たい声で囁いた。
純白の法衣を着た「聖女」が、自分の短剣を喉に突きつけている。
その異常な光景に、プロの暗殺者であるはずの男の顔が恐怖で引きつった。
「ば、馬鹿な。聖女だと……? なぜ、俺の気配に……」
「質問に答えなさい。宰相の犬」
私は短剣の先を、彼の皮膚が微かに切れる程度に押し当てた。
一筋の血が流れる。
「ひっ……!」
「誰に命じられたの? 辺境で私を『事故死』させるため?」
男はガチガチと歯を鳴らしながら、必死に首を縦に振った。
「そ、そうだ……! 宰相閣下の命で、馬車が崖を通る時に、落石を装って……っ!」
——なるほどね。証言、確保。
これで確定だ。マルクスは本気で私を殺しに来ている。
茂みに隠れていたもう一人も、異変に気づいて飛び出してきた。
手にはクロスボウ。
「くそっ、離れろ化け物!」
私は男の首筋から短剣を離し、振り返りざまにその短剣を投擲した。
ヒュッ!
短剣はクロスボウの弦を正確に切断し、そのまま男の肩を浅く掠める。
「ぎゃあっ!?」
毒が回り、二人目の男は一瞬で痙攣してその場に倒れ伏した。
致死量ではないが、数時間は動けないだろう。
「さて、と」
私は再び、足元の男を見下ろした。
男は絶望的な目で私を見上げている。
「殺せ……どうせ、失敗すれば組織に消される……」
「殺さないわよ。私は『癒しの聖女』ですもの」
私はふわりと、いつもの慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「でも、少しだけ"治療"が必要ね。このまま帰すわけにはいかないから」
私は男の首の後ろ、記憶を司る神経の近くにある特殊な急所に狙いを定める。
前世で、標的から情報を引き出した後に「処理」する際によく使った技術だ。
「少し痛いわよ。——おやすみなさい」
トンッ、と。
指先で正確に急所を打ち抜く。
男は白目を剥き、バタリと意識を失った。
これで数日間の記憶は混濁し、自分が「誰に、どうやって」倒されたのか思い出せなくなる。
——ふぅ。いい汗かいたわ。
私は乱れた法衣の裾を払い、すまし顔で野営地へと戻った。
翌朝。
「な、なんだこれは!?」
「賊だ! 賊が倒れているぞ!」
見回りの騎士の叫び声で、野営地は騒然となった。
縛り上げられ、森の入り口に転がされている二人の黒装束の男たち。
「聖女様! ご無事ですか!」
クロードが血相を変えて私の天幕に駆けつけてきた。
「まあ、クロード様。外が騒がしいですが、何事ですの?」
私は寝ぼけ眼を擦りながら、純真無垢な少女の顔で首を傾げる。
「野盗のようです。森の入り口で倒れていました」
「野盗……! 恐ろしいことですわね」
私は胸に手を当てて、ホッと安堵の息を吐いてみせた。
「でも、よかったですわ。昨夜、念のために野営地の周りに『邪悪な者を退ける結界』を張っておいたのです。おそらく、それに触れて気絶したのでしょう」
「聖女様の結界が……!」
騎士たちが感嘆の声を上げる。
「奇跡だ! やはり聖女様は神に守られておられる!」
チョロい。
物理的な打撃と暗殺術でボコボコにしただけだが、「神聖な結界」という魔法の言葉さえあれば、彼らは勝手に納得してくれる。
だが、ただ一人。
クロードだけが、周囲の熱狂から一歩引いた場所で、静かに私を見つめていた。
「……結界、ですか」
「ええ。驚かせてしまってごめんなさいね」
私が微笑みかけると、クロードの視線が、ふと私の「右手」に落ちた。
昨夜、暗殺者の手首を打ち据え、関節を極めた右手。
「……」
クロードの金の瞳が、微かに細められる。
——しまった。
私の右手の手刀部分に。
ほんの僅かだが、青黒い『打撲痕』が残っていた。
暗殺者の硬い革の小手を全力で打った時にできた、防禦傷。
クロードは何も言わなかった。
ただ、縛り上げられた暗殺者たちと、私の手にある打撲痕を交互に見比べ。
静かに、深く息を吐いた。
(……結界に弾かれただけで、賊の関節が外れるものだろうか)
クロードの心の声が、聞こえた気がした。
(それに、あの打撲痕……あれは、素手で刃を弾いた時にできる傷だ)
——やはり、この男は誤魔化しきれない。
私の最大の理解者にして、最大の「壁」。
「出立の準備を急がせます」
クロードは一礼し、背を向けた。
辺境都市エルドラークまで、あと少し。
この旅は、まだまだ波乱を含んでいるようだ。
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