第13話 クロードの過去
「少し、道が荒れてきましたね。お疲れではありませんか、聖女様」
ガタガタと揺れる馬車の中で、向かいの席に座るクロードが気遣わしげに声をかけてきた。
「ええ、大丈夫ですわ。お気遣いありがとう、クロード様」
私は窓の外の景色から視線を戻し、いつもの完璧な聖女スマイルを向けた。
メルは隣の席で、長旅の疲れからかすでに船を漕いでいる。
——と、優雅に微笑み返してはいるものの。
私の脳内は、常に周囲の地形と脅威度の分析でフル回転していた。
(サスペンションが甘い。この振動では、万が一襲撃を受けた際の初動がコンマ一秒遅れる)
(それに、この先の切り立った崖。落石や弓矢でのアンブッシュには絶好のポイントね)
暗殺者としての生存本能が、平和な馬車旅を許してくれない。
だが、そんな物騒な私の内心など露知らず、クロードは窓の外の険しい山並みをどこか懐かしそうに見つめていた。
「もうすぐ、辺境の領域に入ります」
「クロード様は、辺境の地理にお詳しいのですね」
私が尋ねると、彼は少しだけ目を伏せ、静かに口を開いた。
「……私は、この先の辺境にある小さな村の出身なのです」
「まあ。そうでしたの」
「五年前の話です」
クロードの声が、微かに硬くなった。
「私の村は、森から溢れ出した魔獣の大群に襲われました。防壁もない小さな村は、一晩で壊滅した。……私が、唯一の生存者です」
その言葉に、私は息を呑む演技をした。
だが、彼の顔に浮かんでいるのは、隠しきれない深い自責と悲痛だ。
「私は無力だった。家族も、友人も、何も守れなかった。瓦礫の中で死を待つだけだった私を救ってくれたのは……視察に訪れていた、前代の聖女様でした」
前代の聖女。
その名が出た瞬間、私の胸の奥が冷たく凪いだ。
「聖女様は、瀕死だった私に強力な治癒魔法をかけ、こう仰った。『生きなさい。そしていつか、誰かを守れる強い人におなりなさい』と」
クロードが自分の大きな両手を見つめる。
「だから私は剣を執った。聖女様をお守りする騎士になるために。……それが、私に命をくれたあの方への、唯一の恩返しですから」
真摯で、あまりにも真っ直ぐな忠誠心。
前世の裏社会では、絶対に存在し得ない純粋な光。
だが。
——残酷ね。
私の内心で、冷たい声が響く。
この不器用で実直な騎士は、何も知らないのだ。
命の恩人であるその聖女が、もうこの世にいないことを。
誰かを救えるほど優しかった彼女が、「病死」という綺麗な嘘で塗り固められ、冷酷な権力者たちの手によって無惨に殺されたという真実を。
私は膝の上で、きゅっと拳を握りしめた。
真実を告げることはできない。今の私には、彼と一緒にこの国の闇を暴くための「証拠」も「力」もまだ足りない。
「……立派ですわね、クロード様」
気づけば、私の口からこぼれた声は、演技抜きの震えを帯びていた。
「聖女様?」
「大切な人を守れなかった悔しさなら……私も、よく知っていますわ」
その瞬間、馬車の中に静寂が落ちた。
クロードが弾かれたように顔を上げ、目を丸くして私を見つめている。
無理もない。
神殿の奥深くで蝶よ花よと育てられたはずの無垢な十五歳の少女が、泥を啜るような「喪失の悔しさ」を知っているなど、あり得ないのだから。
しまった、と一瞬後悔した。
だが、もう言葉は戻せない。
私は誤魔化すように、ふわりと慈愛の微笑みを浮かべた。
「だから……あなたのその強さは、とても尊いものです。前の聖女様も、きっと今のあなたを見て喜んでおいでですわ」
「……聖女様にも、そのようなことが」
クロードが、探るような、しかしひどく優しい声で呟いた。
「あなたは……私が思っている以上に、多くのものを背負っておられるのかもしれない」
金色の瞳が、私の奥底まで見透かそうとするかのように真っ直ぐに向けられる。
その視線の熱さに、私は思わず目を逸らしそうになった。
——危ない。この男の勘の鋭さは、別の意味で心臓に悪い。
「あ、あれ? 私、寝ちゃってました……!?」
その時、隣でこっくりこっくりしていたメルが、ビクッと跳ね起きた。
「もー、メルったら。大事な護衛中ですよ」と私が笑うと、馬車の中の重い空気はふっと霧散した。
「申し訳ありません! す、すぐにお茶の準備を……って、ここは馬車の中でした!」
慌てふためくメルの様子に、クロードも思わず小さく吹き出した。
「もうすぐ中継地点の野営地です。そこで少し休憩を取りましょう」
クロードが穏やかな顔で告げた。
夕刻。
馬車が野営地に停まり、騎士たちが手際よく天幕の準備を始めている。
「少し、外の空気を吸ってきますね」
私は護衛たちに声をかけ、馬車から少しだけ離れた木立の陰へと歩みを進めた。
夕闇が迫る森の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。
ここからは辺境。魔獣の領域だ。
そして——。
「……」
私は表情を一切崩さず、背後の森の奥へと微かに視線を向けた。
気配遮断のスキルはあえて使っていない。
私という「目立つ標的」を、あえて無防備に晒している。
——ピリリ。
肌の表面を、針でなぞられるような微かな悪寒が走る。
ただの魔獣が放つ野性の気配ではない。
訓練され、感情を殺し、息を潜めて獲物を狙う「同業者」の気配。
距離はおよそ五十メートル。木の上。数は一人か、それとも。
——王都を出た時から、ずっとくっついてきてたわね。
——宰相派の密偵か、あるいは暗殺者か。
彼らは「辺境での不慮の事故」を装って私を消すつもりだ。
「ふふっ」
誰もいない森に向かって、私は楽しげに、残酷に唇の端を吊り上げた。
——尾行ご苦労様。
——誰が私を「事故死」させるつもりか知らないけれど。
返り討ちにして、逆に利用してあげる。
前世の暗殺者の血が、久々の獲物を前に静かに沸き立つのを感じながら、私は聖女の仮面を被り直して天幕へと戻った。
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