表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/41

第12話 毒の知識、再び

「——これは、厄介な代物ですな」


薬草の匂いが立ち込める王宮の医務室。

主任医師のガレノスが、フラスコに入った濁った液体を前に眉間を揉み解していた。

辺境都市エルドラークから急送されてきた、疫病患者の血液検体だ。


「ガレノス様。お疲れのようですわね」

「おお、聖女殿。明日には辺境へ向かわれると聞き、案じておりましたぞ」


出立の準備を抜け出し、私は医務室を訪れていた。

ガレノスの手元にある検体を、横からそっと覗き込む。


——黒く変色した血液。微かに漂う、鉄錆と甘い果実が混ざったような腐臭。

なるほど。昨日、会議の報告書から推測した「紫蜘蛛」の毒だけじゃない。


私の暗殺者としての知識データベースが、瞬時に正解を弾き出した。

これは、複数の毒を掛け合わせた「複合毒」だ。

紫蜘蛛で皮膚に斑点を出し、疫病に見せかける。

だが、本当の致死原因となるのは別の毒——『赤月草』の抽出液。


「ガレノス様。この患者様たち……とても苦しんでおられるのでしょうね」


私は悲痛な面持ちで、完璧な聖女の顔を作った。

だが、その視線はフラスコに釘付けにしている。


「ええ。高熱と痙攣が止まらず、既存の薬が全く効かんのです」

「……」

「聖女殿?」


私はゆっくりと顔を上げ、ガレノスの丸眼鏡の奥にある鋭い瞳を見つめ返した。


「神の啓示で……視えたのですわ」

「ほう。何が視えましたかな?」


「赤い月のような、不吉な草の影が。……それが、人々の血を黒く染め上げていると」


静寂が、医務室に降り下りた。


赤月草。

それは王国の一般的な医学書には載っていない、裏社会特有の遅効性猛毒だ。

本来、深窓の聖女が知っているはずのない名前。


ガレノスは一瞬だけ目を見開き、やがてフラスコと私の顔を交互に見比べた。

そして、フッと口元を綻ばせた。


「……赤月草の変異種。なるほど。それならば、この不可解な血液の凝固と熱にも完全に辻褄が合う」


ガレノスは追求しなかった。

私がなぜ、そんな裏の毒を知っているのかを。

彼はただ、私の「神の啓示」という最強の言い訳を、最高の笑みで受け入れた。


「聖女殿の"啓示"は、相変わらず恐ろしいほど正確ですな」

「神のお導きですもの。私には、皆様を癒すことしかできませんわ」


「はっはっは! 頼もしいお導きだ!」

ガレノスは機嫌よく笑い、即座に作業台の前に立った。

「さあ、急ぎましょう。聖女殿の"啓示"に従って、特効となる解毒薬を調合しますぞ!」


「ええ、お手伝いいたしますわ」


それからの数時間は、まさに阿吽の呼吸だった。


「聖女殿、そこの青い瓶を」

「こちらですね。三滴でよろしいですか?」

「いや、赤月草が相手なら四滴だ。……いや、待てよ」

「中和剤として、白百合の根の粉末を混ぜてはいかがでしょう? 神の啓示が、そう囁いておりますの」

「……素晴らしい。天才的な発想だ!」


私のプロとしての毒物知識と、ガレノスの王国随一の医学知識。

表向きは「老医師と、彼を手伝う熱心な聖女」。

実態は、裏社会の毒殺専門家と、マッドサイエンティスト気味の老医師による、高度な化学セッションだ。


——悪くない。

組織の薄暗いラボで、一人で孤独に致死毒を調合していた前世。

誰かと知識を共有し、人を「生かす」ために薬を作る日が来るなんて、思ってもみなかった。


数時間後。

フラスコの中で、液体が澄んだ黄金色に変わった。


「できましたぞ! これで、病の進行は完全に止められる!」

ガレノスが歓喜の声を上げる。

だが、その直後、彼の顔に深い翳りが差した。


「……しかし。完全に体内の毒を消し去るには、これでは足りん」

「足りない、とは?」

「最後の仕上げに必要な、強力な浄化作用を持つ薬草が欠けているのです」


ガレノスは悔しそうに拳を握った。


「市場には絶対に出回らない品だ。辺境エルドラークの、さらに奥深く……魔獣が巣食う『深層の森』にしか自生していない、幻の薬草が」


深層の森。

魔獣の領域であり、常人では生きて帰れない危険地帯。

なるほど。一筋縄ではいかないようにできているらしい。


「ガレノス様、どうかお顔を上げてくださいませ」


私は黄金色の液体の入った小瓶を手に取り、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

胸の奥で、暗殺者の血が静かに滾るのを感じながら。


「神の御加護があらんことを。……その薬草、私が必ず見つけ出してみせますわ」


——さて。

明日は辺境への長旅だ。

私の"治療"に必要な道具は、自らの手で刈り取りに行くとしよう。



--------------------------------------------------

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ