第10話 毒蛇たちの宮廷
「——以上が、辺境都市エルドラークから届いた惨状の報告でございます」
重苦しい沈黙が、王宮の円卓会議室を支配した。
報告を終えた文官が、震える手で書類を畳む。
国王陛下は病床にあり、この場を仕切っているのは白髪の狐——宰相マルクスだ。
「……恐ろしいことですな。罪なき民が、正体不明の疫病に蝕まれるとは」
マルクスが悲劇の幕開けを嘆く役者のように、芝居がかった溜息をつく。
対面に座る大神殿の長、フェリクスが眉をひそめて応じた。
「これは神の怒りか、あるいは邪悪な呪いの類でしょう。今の我々にできるのは、救いの祈りを捧げることだけだ」
——ふん。揃いも揃って、白々しい。
私は円卓の末席で、祈るように手を組みながら、冷ややかに彼らを観察していた。
報告書に記された「疫病」の症状。
高熱、全身に浮かぶ紫色の斑点、そして死の間際に見せる激しい痙攣。
——これのどこが疫病だ。
——毒草『紫蜘蛛』を精製し、井戸や水源に混入させた際に見られる典型的な中毒症状じゃない。
前世で、私はこの毒を何度も扱った。
無味無臭。潜伏期間は三日。
一度発症すれば、専門の解毒剤なしでは生存は絶望的だ。
自然発生などあり得ない。誰かが意図的に、大規模な毒物散布を行った証拠だ。
「聖女リーゼロッテ様」
不意に、マルクスが私に鋭い視線を向けた。
「民は、あなたの奇跡を求めています。この未曾有の危機を救えるのは、あなたしかおられない」
「私に、できることがあれば……」
私は困ったように眉を下げ、か弱き聖女を演じる。
「ですが、私はまだ王宮に来たばかり。辺境へ向かうなど、お役に立てるかどうか……」
「何を仰いますか! あなたの聖光魔法があれば、いかなる病も浄化されるはずだ!」
今度はフェリクスが身を乗り出してきた。
いつもは対立している二人が、今この瞬間だけは、奇妙なほどに足並みを揃えている。
——なるほどね。二人にとって、私は「使い勝手のいい道具」であると同時に「目障りな爆弾」なんだわ。
聖域での暗殺未遂を返り討ちにし、民衆の支持を急速に集める私。
王宮に置いておけば、いつ自分たちの尻尾を掴まれるかわからない。
だから「疫病退治」という美名の下に、私を王都から追い出したいわけだ。
あわよくば、道中で事故を装って処理するか、辺境の混乱に乗じて消すつもりだろう。
「リーゼロッテ様。我ら神殿の精鋭を、あなたの守護としてお付けしましょう」
「いえいえ、神殿長。軍の騎士団こそが、聖女様をお守りするのに相応しい」
再び始まる、見苦しい派閥争い。
どちらが私を「確保」し、恩を売るか。
その醜い駆け引きを、私は慈愛に満ちた微笑で見守る。
「……皆様、落ち着いてくださいませ」
私は鈴を転がすような声で、静かに場を制した。
「苦しんでいる民を放っておくことは、私にはできませんわ。……エルドラークへ参ります。それが、神から授かった私の使命ですから」
私が決然と告げると、マルクスとフェリクスの顔に、満足げな色が浮かんだ。
計算通りだ、とでも言いたいのだろう。
——いいわよ、その誘いに乗ってあげる。
王宮に籠もっているだけでは、前代聖女を殺した証拠は掴めない。
外へ出れば、彼らは必ず「隙」を見せる。
暗殺者を仕掛けてくるなり、裏工作に動くなり、何らかのアクションを起こすはずだ。
獲物を狩るなら、まずは囮になって誘い出すのがプロの鉄則。
「リーゼロッテ様……本気でございますか?」
会議の後。
廊下を歩く私に、護衛騎士のクロードが低い声で問いかけてきた。
彼の金の瞳には、明らかな懸念が宿っている。
「辺境は今、混乱の極致にあります。刺客が紛れ込む隙など、いくらでもある。王宮からの追放……いえ、左遷も同然です」
「クロード様。私を心配してくださるの?」
私は足を止め、悪戯っぽく微笑んで見せた。
クロードは一瞬、言葉に詰まったように視線を彷徨わせる。
「……護衛としての、当然の危惧です」
「ふふっ。ありがとうございます。でも、大丈夫ですわ」
私は彼の耳元に、そっと顔を近づけた。
人には聞かせられない、しかし聖女らしい穏やかな声音で囁く。
「病を治すには、まず病巣を特定しなくてはなりません。王宮というこの美しい場所が、実は一番深く病んでいるのかもしれない……そうは思いませんこと?」
クロードが、目を見開いて私を凝視する。
その瞳に映る私は、きっと最高に清らかで、そして最高に不気味な聖女だろう。
「さて、"治療"の準備を始めなくては。メルに旅支度を頼まなくてはなりませんわね」
私は優雅に背を向け、自室へと歩き出す。
背後で、クロードが拳を握りしめる気配がした。
——辺境エルドラーク。
——そこで待っているのは、単なる疫病ではない。
——私を殺そうとする毒蛇たちの、冷たい牙だ。
「受けて立つわよ。今度はどっちの首を、根こそぎ切除してあげようかしら」
銀髪の聖女は、仮面の下で冷酷な笑みを深めた。
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